6.29.2021

[film] Peter Rabbit 2: The Runaway (2021)

6月26日、土曜日の午後、TOHOシネマズの新宿で見ました。

「こころ」(1955) を見た後にややジャンプしすぎな気もしたが、漱石とBeatrix Potterは同時代人(ひとつ違い)だし、妻と親友(or うさぎ)との間でうじうじする他に友達のいないだめな男の話、という点では近いじゃん、とか思って。 そして、チケットを取ってしばらくして、あ! Daniel Schmid… って(泣)。

前作は悪くなかった.. と思うもののブラックベリーの件だけは受け入れるわけにはいかなくて(英国でもTV放映の際はカットされておらず)、でもそこを差し引いても連中を見たいという欲望にまけた。

前作からの続きで、冒頭にBea (Rose Byrne)とThomas (Domhnall Gleeson)はめでたく結婚 - 思い描いた阿鼻叫喚の結婚式は妄想のなかだけ – ふたりは地元に小さなショップを開いて、自主制作したウサギ話の冊子を売ったりして、Peter (James Corden)と仲間たちは適度に庭を荒らしても許されるくらいの協定を結んで緩く幸せに暮らしていたら、ロンドンからセレブ出版人のNigel Basil-Jones (David Oyelowo)がやってきて、是非この話を出版させてくれ、と言ってきたのでウサギたちみんなを連れて列車でグロスターの町に出かける。

Nigelは彼のオフィスでPeterたちのキャラ化とフランチャイズ計画を揚々とぶちあげるのだが、その中でひとり悪者キャラに設定されていたPeterは拗ねて彼らから逸れてひとり町をうろついているとBarnabas (Lennie James)ていう年長のウサギと出会う。Peterの父のことを知っているらしい彼の言葉に乗せられて人間たちに痛い目を見せてやろうぜ、って彼の仲間 - 猫とかネズミとか – と一緒にファーマーズマーケットの襲撃(実際にはドライフルーツの樽の強奪)を計画して、そこにPeterの仲間たちと地元からアナグマとかカエルとか豚とか鹿とか全員が加わるのだが、やっぱり計画は失敗してみんなペット屋経由で散り散りに売られちゃって…

話自体は(ヒトから見れば)どうってことない小噺みたいなもんなのだが、それをいかにも世のおおごととして堂々物語ってしまうところはPotterの原作みたい、というのと、更にこの映画そのものがNigelのやり口のままにキャラクターとストーリーを産業化している、というメタ構造になっていて、それがものすごくおもしろく機能してくれれば感心もするのだが、そうでもないところがどうにも中途半端で、最後にはPeterたちがかわいいからまあいいか.. になってしまうところもオリジナルのありようとおなじだったり。

一作目で「家族」ができあがって、二作目ではその「絆」が試される、ってこういうファミリー向けのでは定石の展開なのだが、ここでやはり比較してしまうのは”Paddington”の方で、あっちは都市に迷いこんだ一匹の熊とそれを囲む家族を中心とした人間たちの話で、こっちは田園地帯の動物たちとBeaとThomasの夫婦がばちばちする話で、お話として圧倒的におもしろいのは前者の方だと思うのだが、それでもこの作品を捨てがたいものにしているのは物言わぬ(実は凶暴な)動物たちをたったひとりで引き受けてぼこぼこにされるDomhnall Gleesonの身体のすばらしさなのだと思う。これはEwan McGregorでもDaniel CraigでもAdam DriverでもBen Whishawでも難しい、あの針金みたいな体と叫び声があっての芸当ではないか。

あと、James Cordenの声はいまだになにかどこかが違う気がしてならないの。

あと、究極の野望は”Paddington vs Peter Rabbit”と、もういっこは”The Secret Life of Pets”のSnowballたちとのバトルなんだけど。ウサギの目が湛える狂気って確かにあって、それはネコのともクマのとも違う。(Warner Bros. のウサギはちょっと違う)

音楽は辻楽士みたいなリスが歌ってくれたり楽しいのだが、全体のノリはSupergrassの”Alright”が軽快に刻んでくれて懐かしくて気持ちよい。春に向かっていく映画だなー。


そんなことよりもう1年のはんぶんが終わろうとしている。なにもかも嘆いているうちに過ぎてしまうなんてひどい。

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