1月16日、金曜日の晩、@sohoplaceで見ました。 Chichesterでの上演後、West Endに来たもの。
原作はJohn le Carréの同名小説(1963)、脚色はDavid Eldridge、演出はJeremy Herrin。
John le Carréが生前は許可しなかった自作小説の舞台化が彼の死後に実現されて、これが最初の舞台作品となる。
原作を最後に読んだのは前世紀だが、舞台化にはやはり大丈夫かな? ってなる。le Carréのスパイ小説の醍醐味 – 小さな町の小さな出来事がいろんなものを引き摺ってグローバルに転がっていく、そうして狂った世界全体を見せるスケールと、その反対側で万能でもなんでもない主人公達が苦悩し逡巡しやがて破滅的な行動に出る、背負ったものや宿命を巡る押したり引いたりの微細なせめぎ合いを舞台上できちんと表現できるとは思えなかったし。
今作に関していうと、やはりそれなりに単純化したり、George Smiley (John Ramm)をある種の(典型的なスパイの)象徴のように - 高いところにサーチライトで照らされ、無言で、銅像のように立っているだけ - 描いたりすることで、テーマである冷戦時代のスパイの過酷さ/に対する非情、など、いろんな落差も含めてある程度は表現できていたのではないか。
上演前の舞台上には自転車が無造作に転がっていて、床の上には矢印で国境の向き → UKとかが描いてある。
冷戦時代のベルリンでスパイ活動をしてきたAlec Leamas (Rory Keenan)は、部下の情報提供者が自転車で国境を跨ぐ手前で射殺され、うんざりして飲んだくれてロンドンに戻されて干されて、どん底で入った図書館で司書のLiz (Agnes O’Casey)と出会って、少しだけ上向いたようになる。
粗暴なアル中でだらしなくてゴミ溜めの底まで落ちた男が、そこで出会った女性と恋に落ちて、その恋に囚われて最後は破滅する – 恋は何かのはじまりではなく、Endを後押しし、視界を塞いで破滅に導くものでしかない、というのはle Carréのスパイ小説でも繰り返し現れる風習のようなものなので、わからなくはないのだが、舞台上の流れの中でやはりちょっとこのパートは浮きあがって見えた。
なのでこの後、終盤にかけて、Leamasに与えられた任務の入り組んだ、敵方との間で罠のように仕組まれた罠と、その必然でやってくる最後の悲劇をどう見せるか、のところも相当あっさりに見えた。じゃあ、あっさりじゃない風ってどんななのか? って考えるとどれも違うかも、になるので、この見せ方しかないのかー、って。
The Spy Who Came in From the Cold (1965)
こちらは60年前に作られた映画版。
少し前だが、昨年12月8日、月曜日の晩にBFI SouthbankのRichard Burton特集で見ました。
Richard Burtonの孫娘の方がイントロで紹介していた。
監督はMartin Ritt、脚色はPaul Dehn、Guy Trosper、撮影はOswald Morrisで、アメリカでブラックリストに入って撮れなくなったアメリカ人たちが多く参加して作ったイギリス映画でもある、と。あと、ヒロインの名前が原作から変えられてNan Perryになっているのは原作の”Liz”だとRichard Burtonの妻と混同される恐れがあったため、とか、トリヴィアがいろいろある。
モノクロで、割と原作に忠実 – であろうとしすぎてスパイ映画としてはやや複雑で暗くて難しく見えてしまう感もあるが、こういう裏とか陰がいっぱいある役をやらせるとRichard Burtonはさすがにうまいなー、しかない。うますぎてサスペンスの流れのなかで彼ひとりが浮きあがってしまう – ほんとは屑として葬られる役なのだが過剰で、かっこよすぎる。同様にヒロインのClaire Bloomもきれいすぎて、le Carréの最初のチョイスはRita Tushinghamだった、とか。
あと、Globe座にある蝋燭照明の大好きなシアター、Sam Wanamaker PlayhouseのSam Wanamakerが出演していて、この人だったのかー、って思った。アメリカ人だったのね。
1.22.2026
[theatre] The Spy Who Came in from the Cold
1.20.2026
[film] Sotto le unvole (2025)
1月14日、水曜日の晩、ICAで見ました。
英語題は”Below the Clouds”。昨年のヴェネツィアでプレミアされてSpecial Jury Prizeを受賞したGianfranco Rosiによるナポリの町とそこに暮らす人々を3年に渡って撮影して作ったモノクロ、ナレーションも字幕もなく進んでいくドキュメンタリー作品。音楽はDaniel Blumberg。 ローマ郊外を描いた”Sacro GRA” (2013) – ランペドゥーザ島を描いた“Fire at Sea”(2016)に続くイタリアの町シリーズ。前2作は見ていないが、これはすばらしくよかった。
冒頭、タイトルはコクトーの“Vesuvius makes all the clouds in the world”から来ていることがわかり、ポンペイを灰の下に埋めてしまったヴェスヴィオ山のもと、いまも頻繁に地震が起こっている町と人々の様子を紹介していく。
市内をゆっくり走っていく電車、人のいない映画館(ロッセリーニの『イタリア旅行』がかかったり)、夜とか地震の度に緊急コールセンターにかかってくる電話(いま揺れたよね?ね? 程度でかけてくるのがすごい)、夜のコールセンター宛にかかってくるその他の電話(家人の暴力とか)、過去に墓泥棒が入って根こそぎ持っていったりしたその跡地、博物館の学芸員の活動 - というか彫刻を眺めてほれぼれする、日本から遺跡の発掘にきたチームの活動、シリアからの労働者のこれからどうする、の会話、などなど。
ナポリは近くにポンペイ遺跡があって、観光客で賑わっていて、自分も行ったことはあるが、こんななだらかな地形の穏やかそうな土の上で、突然に自分たちの築いてきたものが一瞬で灰で埋まり、家族も親族もぜんぶ亡くなる、消滅する - そういうことが起こった、地政も含めて、そういう脆く危うい脅威やリスクにずっと曝されながら暮らしてきたんだな、というのがだんだん見えてくる。ここで、モノクロの鉛のような質感のなかで描きだされる町の情景は静かで深くて、終わりの見えている閉塞感のなかにあり、どこにも動けないまま止まっているような。
日本も地震はいっぱいあるし、経済的にも安定していないので、同じような風景が見えてきてもおかしくない気がするのだが、そうならないのは家長を含めた共同体ががっちりといろいろガードして固まって異質な空気や不安を排除してしまうから、だろうか。あと、子供みたいに落ち着きなくずっとちゃかちゃか… (これはこれでいやだ)
イタリアの、ナポリの陽光溢れる陽気で華やかなイメージはまったくなくて、どちらがよい正しいとかいう話でもなく、山の上に雲がでて、それが広く町を覆っている時、その下で人々はこんなふうに生きて活動している、してきたのだよ、と。ここに年末に行ったフィレンツェとか他の町の聖堂の暗がりに浮かびあがったフレスコとかモザイクの擦りきれた影や跡 - とその彼方に広がる宇宙、噴火の火砕流で固められてしまった人々、墓泥棒がフレスコのあった壁ごと剥いでしまった石室、そしてほぼ人がいない状態で走っていく夜の電車、映画館、博物館のぼわーっと浮かびあがる - ”Below the Clouds”というかんじがすばらしい。
ナレーションや説明の入らない世界について、Frederick Wisemanの描こうとしているのが所謂「社会」であるとすると、Gianfranco Rosiの描こうとしているのはその土地を流れていく、その土地をつくってきた雲とそれができるまでの「時間」のありようなのではないか、と思った。
[theatre] When We Are Married
1月12日、月曜日の晩、Donmar Warehouseで見ました。
原作はJ. B. Priestley (1894-1984)の同名戯曲 (1934)で1943年にはLance Comfortによって同じタイトルで映画化されている。演出はTim Sheader。なかなかチケットが取れなかった。
舞台はクラシカルでゆったりとしたリビング、中央にソファがあり、端にはピアノがあり、鉢植えの植物だけ異様にでっかい。
1908年、ヨークシャーの中流階級家庭で、25年前の同じ日、同じ場所で結婚式をあげた3組の夫婦が仲良くみんなで銀婚式を祝おうと集まってくる。
ホストとなる家の家政婦は見るからに聞き耳たてる詮索好きで、記念写真を撮りにきた写真家はべろべろに酔っぱらっていて、中心の夫婦は一見まともふう、一組は夫ががみがみ内気な妻を怒鳴りつけていて、もう一組は逆に妻が夫を尻に敷いていて、そんなテーブルを囲む手前で、25年前に式を執りしきった神父が現れて、ごめん、君らの結婚ちゃんと手続きしてなかったかも、という。いやいやいや、それはとーんでもないことだしなんで今日のこの日にそんなこと言うわけ? なので聞かなかったことにしましょうか、にしようとしたのだが、家政婦が全員にばらしちゃったのでざわざわし始めて止まらなくなる。
まずは全員が体面体裁もあるので穏やかで、でもそのうちずっと尻に敷かれていた側のそれぞれの妻と夫が、おうおうそれってどういうことだよ~こういうことか? って立ちあがってこれまでの恨みも含めてとにかく散々やってくれたよなあー もう関係ないってことよね? っていきなり逆の態度で反乱を起こすし、夜の繁華街からやってきたそれっぽいレディーまで絡んできて…
結婚なんて紙切れ一枚のー というのが事実だとしたら、紙切れの拘束が解けたらこんなふうになる、なにやったっていいんだよね他人だし、というのを普遍性をもってわかりやすく描いていて、とにかくおもしろいったら。切れ目にどかどか流れるBeyoncéの”Single Ladies”なども違和感なく溶けこんでいて、俳優みんなすごくうまくて楽しいし。
戸籍とかマイナンバーとかがあると、こういうおもしろいことも起こらなくなるので、みんな気をつけようね、って。
The Rivals
1月13日、火曜日の晩、Orange Tree Theatreで見ました。
これもなかなかチケットが取れなかったやつで、テーマ的には結婚制度のばかばかしさを嗤う系のが連日偶然重なったかも。(月曜日のが事後、火曜日のが事前、というか)
原作はアイルランドの劇作家Richard Brinsley Sheridan(1751-1816)の同名戯曲 (1775)、これが彼の最初の作品だそう。ここから250年を記念した公演で、演出はTom Littler。舞台の床上には18世紀バースの古い地図が描かれている - 上の席だったので、この地図とGoogle Mapを重ねてみたけどよくわかんなかった。
舞台上にはマイクスタンドがあって、最初のアナウンスから大勢でセット(リビングからお風呂から食堂から)を置いたり組んだり、それを振付や場合によっては歌もダンスも込みの一連の動作として、目まぐるしくレビュー・ショーのように移し替えていく。囲み型の結構狭いシアターなのによくあそこまで、ちゃきちゃきと、って感心する。
そんな慌しい交錯のなかに浮かびあがる若い貴族のJack Absolute (Kit Young)が貧しいけど聡明なLydia (Zoe Brough)に恋をして、彼女を落とすべく、階級が下のBeverley軍曹になりすまして近寄っていく話と、もう一組、Jackの友人の“Faulty” Faulkland (James Sheldon)とJulia (Boadicea Ricketts)のうまくいっているのかいっていないのか一部壊れたような付き合いが進行して、息子の恋愛→結婚にやきもきするJackの父Sir Anthony (Robert Bathurst)とLydiaの後見人で叔母のMrs Malaprop (Patricia Hodge)の言い間違いなどが混乱に拍車をかけて、それぞれが思いこみも含めたいろんなライバルたちに翻弄されつつも、最後にはどうにかなる、というかなってしまう。そうさせたパワーってなんだったのかしら? というすっとぼけた、でも勢いにあふれたコメディ。
舞台とか回転しないかわりにセットを人力で目まぐるしく回転させていくせわしない演出で、それがこの劇のテーマ – 身分階級なんていいから、恋は自分で勝ちとれ、みたいなのにうまくはまっているようで、よかった。
それにしても、自分が知らないだけだし、考えてみればあたりまえなんだけど、いろんな劇作家がいてまだまだ知らないことだらけだなー、って。
[film] Moss Rose (1947)
1月6日、火曜日の晩、BFI Southbankの古いやつをアーカイブから引っ張りだす”Projecting the Archive” のシリーズで見ました。90年代にオリジナルのナイトレートから焼かれた35mmフィルムでの上映で、一般公開用の上映で使われるのは初めてのプリントだって。
主演のPeggy Cumminsの生誕100年を祝う上映でもある。Joseph H. Lewisの”Gun Crazy” (1950) - 『拳銃魔』でのぶっとんだ役が有名だが、元はイギリスの女優さんで、晩年はBFIのイベントによく来てくれたり地域のボランティアに参加したり、とても素敵な方だったそう。
「霧のロンドン」をたっぷり見せたいアメリカ映画で、監督は、俳優としてもいろいろ出ているGregory Ratoff、原作はJoseph Shearing aka Marjorie Bowenの1934年の小説。ヴィクトリア朝の頃、実際にあった事件を元にした小説。IMDBには邦題『モス・ローズ』とあるので、日本でも公開されたのかしら。
ミュージック・ホールで踊り子をしているBelle aka Rose (Peggy Cummins)が、仕事仲間のDaisyがフラットで殺されているのを発見して、亡くなる直前まで彼女と一緒にいたRoseは現場近くにいて怪しかった男Michael (Victor Mature)を追っかけて、あんたやったでしょ?あたし見たんだからね、 って脅迫してお金ではなく田舎にある彼の屋敷に滞在させてもらうことにする。
連れていかれた貴族のお屋敷と生活にはほぇーってなるものの、そこには彼を溺愛する母親(Ethel Barrymore)がいて、彼の婚約者もいるし、なにやってんだろあたし、になったりするのだが、そこに次の殺人が起こって…
現場に残されているMoss Rose(和名マツバボタン)が意味するところは、とか、肝心なところでかき乱してくる警部Clinner (Vincent Price)とか、犯罪推理モノっぽいところはあるものの、犯人捜しの建付けと謎解きはどうってことなくて、なんにでもクビを突っ込みたがりのキュートなRoseのスクリューボール・コメディのように見ることもできるかも。でも興行的には惨敗だったって..
それにしても“Gun Crazy”でめちゃくちゃぶっとばしてしまう前にこんなことを、相当度胸のあるあれだと思うが、とにかく彼女の軽くてとっぽい仏頂面などがたまらなくよいのだった。
High Treason (1929)
1月18日、日曜日の午後、BFI Southbankで見ました。
1月の特集に、”Magic Rays of Light: Early Television”という特集があって、初期のTVプログラムを集めて上映している。時間があれば見てもおもしろいだろうな、と思うものの、知識としてはなんも持っていない世界なので、見れる範囲で、くらい。
これは1950年頃の世界を舞台にしたサイレントで、トーキーの到来を意識した音声付きバージョンも作られたらしいが、今回の上映は35mmフィルム上映でピアノ伴奏がつく。なんでこれをEarly Televisionの特集でやるかというと、劇中にTV電話のようなディスプレイ機械が出てくるからで、工夫された未来描写はなかなか楽しかった。
第一次世界大戦は終わっていて、世界は"United States of Europe" vs アメリカを中心とした"Empire of the Atlantic States"のように分かれていて、このふたつが国境でのしょうもない小競合いの果てに一触即発になり、イギリス海峡の海中地下トンネル – Eurostarぽい豪華列車が走っている - が爆破されて次の大戦まであと一歩、のところでイギリスの平和連盟が動きだして… という政治サスペンスなのだが、筋書きやキャラクター造型以上に、TV通話とか、シャワー(シャワーシーンがあるの)の後の全身ドライヤー(拭いたほうがぜったい早い)とか、どうでもいいところに目が向いてしまう。
女性のぴっちりした衣装とか、Fritz Langの”Metropolis”(1927)に影響を受けたことは見ればわかるのだが、それ以上に絶対平和を唱える平和大臣(ヒロインの父)が戦争をしたくてたまらない偉ぶった大臣を撃ち殺しちゃうとか、なかなかリアルでよかったかも。全ヨーロッパ vs アメリカなんていままさに。(とにかくあのバカほんとどうにかして)
1.19.2026
[log] Athens - Corfu - Jan.08 -11 2026
1月8日の木曜日から1月11日の日曜日の晩まで、ギリシャのアテネとコルフ島に行ってきた。
あと残り3ヶ月でどこまで行けるか、を考えたとき、行ったことないとこで行けるところから行っちゃえモードになっていて – でもそういうのを「考えた」とは言わない。
まずはアテネで、ギリシャというのはヨーロッパ文明の源流みたいなとこ(あくまでイメージです)があるし、どうせ見るところなんて死ぬほどあるだろうし、アクロポリスだけでも、程度で。実際には見るところいっぱいで途方に暮れた。
細かく書いていったら終わらなくなることがこないだのイタリアのでわかったので、簡単に。
着いた日の午後はベナキ博物館とかキクラデス博物館とかを見て宿の近くを散策して終わり、アクロポリスとかの本丸(いかにも本丸ってかんじ)は、9日にまわった。アクロポリスとスロープも、少し歩いたところにあるゼウス神殿も、世界遺産だし有名な遺跡なのだが、でっかい怪獣の死骸のようにやたらでっかくて見あげるしかない。なんであんな山の上に建てるのか - 山の上だからか。 絵葉書で見るのともTVで見るのとも当然のように違って、偉い人たちは日々ここでなにをしていたのか、と。猫がいてカササギがいた。コルフでは「カカサギ」になるやつ。
遺跡以上にそれらからの出土品を集めたAcropolis MuseumとNational Archaeological Museumのふたつのてんこ盛りがとんでもなくて、特に部屋を渡っても壁を超えてもずらずらきりがなくやってくる彫刻群が圧巻で、ずっと見ていた。お寺で仏像がいっぱい並んでいるときに来る壮観さとかありがたみ、みたいのはあまりなくて、なんでこんなに - 胸像から女神から獣から家具みたいのから - いろんなのがあるのか、なにをしたい?しろというのか? など。
この後に、先日15:30で閉まっていたByzantine and Christian Museumに入って、年末のイタリア旅行も振り返りつつ、ビザンティンいいなー、って回る。あんなカサブタみたいなのばかりなのに、暗いなかに浮かんでいるだけで、素敵で。ここの庭にはみかんの木があって、人懐こいネコが2匹いるの。
10日は日帰りで、コルフ島に行った。飛行機で片道1時間、この時期は朝に一便、戻りは夜の一便のみ。
元々ギリシャに行くならコルフ島はぜったい、の決意があった。
子供の頃、市の交通標語かなんかのコンクールで当たって(当たって、じゃない)、ご褒美に図書券を貰って - 自分で稼いだ最初のお金(相当)で - 近所の本屋でジェラルド・ダレル(池沢夏樹訳)の『鳥とけものと親類たち』を買ったの。当時は動物生態学者になりたいという夢があって、そのためのお勉強をしようと思ったのだが、この本は動物は出てくるもののそういう類のではなくて、動物たちよりヒトの方がめちゃくちゃ変でおかしくて、これがきっかけでロレンス・ダレルを知り、そこからヘンリー・ミラーを知り、あとはしょうもない変態の道を転げ落ちたのだったが、その土壌となったコルフ島については、ずっと自分のBucket Listに入っていた。
ダレル家は、TVシリーズの” The Durrells”もあったので、英国人には人気で、ゆかりの地を巡るツアーもいくつかあるようだったが、いまはシーズンオフであちこち閉まっていて、小さな島なのでレンタカーして周るのがお勧め、と言われたのだが、それも無理だし、公共バスでの移動もできないことはないが、時刻表通りに動いている可能性は低い.. などなどをAIさんと話して、空港到着から4時間分、タクシーをチャーターして行きたいところに連れていって貰うことにした。AIさんはチャーターしても仲間で割れば安くなりますよ、とか言うのだったが、仲間ってなんだよ。そんなのいねえよ。
空港でタクシーの運転手の人が待っていて、Durrells知ってる? と聞いたら知らん、というので不安になったが、行き先として告げてあった場所はふつうに有名なところらしく、すいすい連れていってくれた。
アテネはよい天気だったが、コルフは雲が厚くて風が吹いてて、晴れて曇って雨が来て、まるでいつものロンドンだった。最初に東の北の海辺の彼らが住んでいた家 - The White Houseを見て(もちろん開いていないので外側だけ)、荒れた岩場の海を見てから西の方に横断して夏だったら素敵に違いなくて、ボートでいっぱいになるという入り江と砂のビーチを眺める。酔っ払った船長のせいで船がひどいことになってラリーが死にかけたとこ。
あとは風のせいか低いところでよれてぶっとく捻れ捻れたオリーブの樹のしぶとそうでかっこよいその輪郭。入り江を見渡せる高台にも登って、荒れた海と風に痺れた。海のごうごう呻くような様が昔行ったアイルランドのようだ、と思ったら運転手の人が「コルフは緑の島なんだよ」って言うのでおおー、って。
4時間なんてあっという間で、お昼頃にコルフの旧市街で降ろして貰ってから魚市場などを覗く。海が荒れていたせいかそんなに並んではいなかったが、シャコやイカタコはさすがにぴかぴか。運転手さんに教えてもらったシーフードの食堂でBourdettoっていう郷土料理をいただいた。サソリ魚などを辛めのトマトソースで煮込んだ - たしかジェラルドの本にもあったやつ。
世界遺産にもなっている旧市街は潮と風に曝された建物の色合いと寂れ具合が極上で、ダレルの世界以上にやられてしまったかも。美術館 - Byzantine Museum of Antivouniotissa - 15世紀からヴェネツィア共和国の支配下にありビザンツ帝国との交易の要でもあった - 19世紀には英国の統治下だった島なので、要塞のがっちりしたかんじとかビザンティンのコレクションは見事で、考古学博物館にも行ったのだが、お店も含めて16時前に閉まるところが殆どで、天気も回復しないし寒いしで、早めに空港に行って寝てた(空港にもなんもないし)。
空港に並んでいたコルフのお土産に金柑があって、ジャムの他に個別包装された甘露煮みたいのがあったので買ってみたら、これがほぼ和菓子のおいしさで、飛行機を待っている間に袋の半分くらい食べてしまった。
でも行ってよかったー。ちゃんとしたシーズンにまた行けたらなー。
11日の最終日は、National Gallery に行って常設展示を見て、Basil & Elise Goulandris Foundationに行って印象派を中心としたモダン・アートを見て - ずっと古代〜中世中心に浸かってきたのでなんか新鮮 - その後にその近くのLyceumに行った。野外の原っぱ - 遺跡の発掘現場なのだが、ここにアリストテレスの哲学の学校があったの。自分が初めて読んだ(気がした)哲学の本は『ニコマコス倫理学』だったので頭の奥で何かが燃えあがって、個人的にはアクロポリスより盛りあがったかも。
この後はNational Gardenをふらふらして、いろんな鳥とかヤギとか鯉とか金魚とか亀とか(ノラ?)猫とかいっぱいいるので和んだ。セントラルパーク、ハイドパークみたいな市民の憩いの場なのだと思うが、ここなら毎週来てだらだらしたい。
食べものはGreekのつくサラダもヨーグルトもとてもおいしかった。滞在していた界隈、華やかな表通りから外れると怪しげなアジア系の飲食店、レコード屋が並んでいて、緩めの坂があって、まるで前世紀末の渋谷のようだった。
ネコはちょっと気をつけていれば町角にいくらでも見つけることができて、でもイスタンブールの奴らよか人懐こくはなかった。古代からずっとああしていたんだろうな、と思わせる威厳と温度感で媚びることなく歩いていてかっこよかった。
こんなものかなー。まだあったようなー。
1.16.2026
[theatre] Indian Ink
1月5日、月曜日の晩、Hempstead Theatreで見ました。
原作は昨年11月に亡くなったTom Stoppard (1937-2025)の同名戯曲(1995)で、その元はラジオ劇の”In the Native State” (1991)だそう。当初は初演から30周年を記念して上演されるはずのものだった。 演出はJonathan Kent。
舞台の右手にはいろんな植物が植わった小屋のようなものが建っていて、左手の方にも植物はあるのだが、少し植栽が違うような、と思ったら理由は後でわかった。
1930年、エドワード朝時代のインドを旅する詩人Flora Crewe (Ruby Ashbourne Serkis)がいて、ひとり旅でも平気な奔放さと物怖じしない強さがあって、小屋 - コテージを借りて、そこで出会った地元の若い画家Nirad Das (Gavi Singh Chera)に肖像画を描いてもらいながらいろんな話をしていく。
舞台の左手は80年代の英国で、とうに亡くなったFloraの妹Eleanor Swan (Felicity Kendal)がアメリカ人の学者Eldon Pike (Donald Sage Mackay)からFloraのインドでの足跡について聞かれて話していく。30年のインド - 舞台の右手でお話しが進行しているときは、左手が少し暗くなり、でも俳優はそのままいて、スイッチが切り替わるように80年代のイギリスに移った場合も同様。 Floraは自分が話したりやったりしていることが80年代のEleanorに影響を及ぼしているなんて思っていないし、Eleanorがそんなことを話しているなんてFloraにとってはまさか、でしかない。 でもそんなふうに思いがけないかたちで時間と場所は明滅しながら繋がっている。
Niradは(当時としては)モダーンなイギリスの女性Floraにインドのラサについて教えて、それは9つあって、色彩、雰囲気、そして音階と結びついていて云々、Floraはふーん、くらいなのだが、Niradと一緒の時間を過ごしていろんなことを楽しく突っ込みあいながら話していくうちに、西洋の描き方で絵を描いているNiradとインドの陽気や空気に触れているFloraはだんだん近寄っていく。 タイトルの“Indian Ink”はエロティックな愛のラサであるShringaraを示していて、でも右手の舞台の上で話を続けていくふたりがこの後どうなったのかは示されない。
こういうことだったんじゃないか、ということが見えてくるのは80年代のEleanorの方で、でもそれも遺されたものを辿って、でしかない。FloraとNiradの間に愛は生まれたりしたのだろうか? でも確かなものはなにも、遺されていたのはNiradが描いた肖像画くらいで…
異なる人種、言葉、文化、歴史、育った環境などなどを跨いで、人はどんなふうに、どこまで近くなって恋に落ちるものなのか、そんなの人によってだし、場所によってだし、互いの思いこみであることだってあるし、でもそれでも、例えばこんなふうに恋がありえたことを描くのはできるのではないかと、二重三重のロマンチックとしか言いようのない妄想のようなものが、インドとイギリスの30年代と80年代をピンポンしながら広がっていく。植民地時代の縛りや不幸を超えて何かが見えてきそうなこれとか、80年代のMerchant Ivory (films)のようなケースを思ったり。
チェコに生まれてナチスから逃れて幼少期をインドで過ごしたTom Stoppardが90年代初、この作品の元となったラジオドラマの”In the Native State”のFlora役に当時のパートナーだったFelicity Kendalを起用し、彼女はそのまま”Indian Ink”の初演時にもFloraを演じ、今回はElenorの役で舞台に帰ってきた。彼女自身も7歳でインドに移住し、“Shakespeare Wallah” (1965) – Tom Stoppardはこの映画が好きでFelicity Kendalのためにこれ-“Indian Ink”を書いた、とプログラムにはあった。それはそうとこの映画おもしろいんだよ – に出演していて、インドに関わってきた彼女のドラマとして見てもよいと思う。
同じくTom Stoppardの生前のインタビューが載っているプログラムで、FloraのモデルはEdith Sitwellか? と聞かれて明確にNo. と返している。特にモデルはいないんだって。
[film] Hamnet (2025)
1月7日、水曜日の晩、Curzon Bloomsburyで見ました。
イギリスでの本公開日は1月9日、旅に出る予定だったので、あーあになっていたが出発の前夜にPreviewをやってくれた。
LFFでいくらがんばってもチケット取れなかった1本、でもある。
監督はChloé Zhao、原作はMaggie O’Farrellの2020年の同名小説、脚本はChloé ZhaoとMaggie O’Farrellの共同。音楽はMax Richter、撮影は”Ida” (2013)などを撮ったポーランドのLukasz Zal。ProducerにはSteven SpielbergやSam Mendesらの名前がある。
最初に”Hamnet” - ”Hamlet”という名前には互換性がある、という字幕がでる。William Shakespeareの息子Hamnetは1596年に11歳で亡くなり、Shakespeareの悲劇”Hamlet”は1599年から1601年にかけて書かれた。彼の息子の死と彼の代表作となる悲劇の間には関連があったのではないか、という想定に基づいて書かれたドラマで、あくまで想定なので学術的にどう、とかリンクや謎を明らかにしていくような話ではない。両者の間に関係はあったのかなかったのか、は横に置いて、悲劇”Hamlet”上演の背後には、William Shakespeare (Paul Mescal)と妻Agnes (Jessie Buckley)の間にはどんなドラマがあったのか、を描いてみる。ここでももちろん、ふたりの人物像、その造型は、ふたりの女性による創作である。
最初はStratford-upon-Avonの森の奥で鷹を操ってジブリのアニメの主人公のようにノラに自由奔放に生きているAgnesの姿が描かれて、その姿を見たWilliamは魅了されて近づいていく。彼は粗暴な父親(David Wilmot)の虐待とやはり強い母Mary (Emily Watson)に囲まれて家業の手袋作りをやらされていて、Agnesの鷹匠用の手袋を新しいのにしてあげるところから扉を叩いて、野生の彼女と一緒になる。
やがてAgnesは森の中で長女Susannaを出産し、続いて屋内で、難産の末に双子JudithとHamnetを出産し、演劇の仕事が当たり始めたWilliamはロンドンでの仕事が多くなるがStratford-upon-Avonに大きな家(New Place)を持つこともできて、幸せが見え始めたころ、Agnesの鷹が亡くなり、双子にペストの病が…
Judithが危篤と聞いてロンドンから馬で駆けつけたWilliamはJudithの姿を見て安堵するが、Hamnetが... 悲嘆の後、あっさり慌しくロンドンに戻ってしまったWilliamにAgnesは激怒するが、ロンドンで上演される彼の新しい芝居のチラシ – “Hamlet”を見た彼女は、弟Bartholomew (Joe Alwyn)を連れてロンドンに行ってみる。
最初の方は森のおとぎ話のように、Chloé Zhaoの過去作のように社会の柵から離れて自由に生きようとする人々を描いて謎めいていて、結婚して家族ができたところで、その幸せがあっけなく崩れ落ちて、どうして? なぜ彼が? というとてつもないエモの渦に飲みこまれる。向こう側に行ってしまうのがなぜ自分ではなく、彼なのか?亡くなるべきなのは彼ではないはず、という強い思いが劇作のHamlet”をあんなふうにした – という解釈の是非すらなぎ倒して、父は真剣に息子を蘇らせようとする。
最後のグローブ座のシーンは、ものすごく臭くなってしまう可能性もあったがぎりぎりでそうなっていない気がした。舞台の上で甦る、鏡の向こう側に転生する生を見あげるAgnesの姿は宗教画のようで、”Eternal”のようでもあった。ここでのJessie BuckleyとPaul Mescalは視線も会話も交わさないけど、彼らの演技はやっぱりすごい。物語というより俳優の映画だと思った。
Stratford-upon-Avonもグローブ座も、Shakespeareの劇も、ここ1年ずっと追いかけるように触れてきたもので、でもそういうのとは切り離して見ないと、と思っても、やっぱりこれはShakespeareのお話しなのだと思ってしまうと、この映画での彼とあれだけのいろんななんでもありの劇たちを書き散らかしていった彼とがあまりうまく繋がらなくて、もう少し勉強しようか、って思った。
後日談というかこれに続く劇、Williamと舞台でHamletを演じた彼(Noah Jupe)が恋仲になってしまってAgnesを含めて周辺パニック、というコメディはどうだろうか?
1.15.2026
[film] Menus-plaisirs - Les Troisgros (2023)
1月2日、金曜日の晩、BFI Southbankで見ました。 “Anaconda” (2025)を見た後、今年最初のドキュメンタリー作品。
1月のBFI Southbankでは、この作品のニューリリースに合わせてFrederick Wisemanの特集があって、Curzon BloomsburyのDocHouseでも小特集がある。 フランスにパートで住んでいるらしい監督本人が来てもおかしくなさそうなのに、これらの特集に顔は出さないみたい。
日本では『至福のレストラン 三ツ星トロワグロ』という邦題で既に公開されていた作品。上映時間4時間。
90年代からLa Comédie-Française、パリオペラ座、Crazy Horse等を対象に撮り始めたフランス文化シリーズの流れ、でよいのか。
ロワール地方にあるレストラン数軒 - Troisgros家が経営するビストロから高級なのまで、マーケットでの食材調達から仕込み、レシピやメニュー、ワインの検討など内部の議論から、調理の現場とそれを供するテーブルのセッティング、皿の仕上げ、客の嗜好やアレルギー対応、接客を経たあとの客の反応まで、更には食材 – はっぱ、きのこ、チーズなどを提供する農家のあれこれまで、ナレーションも字幕による説明もほぼなく、でも画面上でなにが起こっているのか、どうなったのか、は見ればわかるようになっている。
レストランのドキュメント – 特に三ツ星を獲ったりしているところの裏側などは、TVなどでいくらでも紹介されるようになっているので、だいたい何をやっているのか、どうなるのかはわかって、TVのそれと違うのは、それを食べたひとが「おいしいー」とか聞きたくもないようなことを言わないこととか、大失敗や問題が起こって解決のために偉い人がやってきてざわざわしたりの緊迫した盛りあがりもない。食べた人がテーブルで微笑んでいるシーンはあるが、何を食べてそうなったかはわからないし。すべてがそれに関わる集団作業の流れ、個々の分担作業として確立され、客を迎えて食事を終えて帰るまでが流れるようなサービスとして供され、それがどんなふうにして実現されるのかを細部まで静かに追っていく。
レストランの世界は特殊なものではなく、世界のどこにでもあって、それは監督がこれまで描いてきたいろんなビジネス、職場、裁判所、美術館、図書館、地方自治体、などと変わらない、それなりの普遍性をもった何かを追求していく世界である、ということ – でもひとつ気になったのは、これがフランスにあるフランス料理のレストランである、ということ。 指導された若いシェフが分厚いエスコフィエかなんかの料理書を見る場面があった(そんなの読んでないの?って思った)が、フランス料理の食材やソース、味付けや盛り付けに関する伝統を伝統芸的に継承してやっている側面もあって、つまり中華料理の現場とフランス料理のそれとでは、違ってくるところも多くあるはずで、それってどうして、どこからくるものなのか?というのを細かい分岐のなかで考えさせてくれる - これもまたいつものWisemanの映画なのだが。
自分の味覚の基礎は90年代のNYのフレンチ - Lutèce, Cirque, Montrachet, Chanterelle, Bouley, Danielなどで作られたので、ああーおいしそうだなーいいなー、ばかりだった。イノヴェイティブなんてジャンルも概念もなくて、ひたすらバターとクリームまみれだったけど、お腹が破裂しそうになることも多かったけど、なんだこれは、の連続だったし。でももうほとんど残っていない。あれらを味わってお腹にいれることはもうできないのかー っていうのも思った。
イギリスのフレンチは、そんなに数は行っていないのだが、やはりNYのそれとはまったく違っておもしろい。特にチーズとか、スティルトンのすごいのってめちゃくちゃすごかったし。
最近のWisemanの取りあげる世界、彼が3~4時間かけて映しだす世界って、美術館でも図書館でもバレエでも、今回のフレンチレストランでも、自分が好きなところ(逃げこむ先)ばかりなので、ここで静かに淡々とがんばっている人たちの世界に触れてしまうと、世界ってそんなに悪くない、とてもよい場所のように見えてしまう。
でも実際にはなんでこんな… って打ちのめされてばかりなのよね。
1.14.2026
[film] Anaconda (2025)
1月2日、金曜日の午後、Curzon Aldgateで見ました。
新年で、新作は見たかったのはだいたい見てしまっていて、”Avatar-“は長いからいいや、と同じ”A”始まりでこれにした。
元のアニマル・パニック・サスペンス・ホラーから随分離れて、Jack BlackとPaul Ruddが主演なので、しょうもないコメディなのだろうな、と思ったら正にそうで、でもなかなかおもしろかったかも。
Jennifer Lopez, Ice Cube, Jon Voightなどが出ていた“Anaconda” (1997)のメタ・リブートというのだそうで、”Anaconda”シリーズとしては6つめ、とのこと。監督、共同脚本はTom Gormican。
アメリカ、バッファローの凍える田舎町でウェディングビデオを撮るスタジオをやっているDoug (Jack Black)と彼の幼馴染でLAで端役ばかりのいけてない俳優をしているGriff (Paul Rudd)がいて、Dougの誕生日にGriffを含めてかつて一緒に映画を作っていた仲間たちが集まり、当時自主制作した作品のビデオを見て盛りあがり、Griffが実は”Anaconda”のリメイク権を買ったので、また一緒にやらないか、とDougを誘う。
こんな冒頭から十分に怪しいのだが、DougとGriff、撮影担当のKenny (Steve Zahn)、女優のClaire (Thandiwe Newton)はアマゾンに飛んで、現地で十分に怪しいけどヘビには詳しいSantiago (Selton Mello)を雇い、地元のやばい事件に巻き込まれているらしいAna (Daniela Melchior)を船長としてジャングルの奥地に進んでいく。
Jack BlackとPaul Ruddの競演なので、テンション高くギャグをぶちかましながら襲いかかってくるヘビとか危機とかを乗り越えていくような作品かと思ったら、あまりそういうところはなくて、ふたり共中年を過ぎて、このままでよいのか、こんな半端な作品のリメイクなんかして、自分たちはもう終わりではないか、ってうじうじうだうだ自問自答と小競り合いばかりしていて、実際の撮影の現場もあまりぱっとしないでしょうもない議論や衝突ばかりしている、と、自分たちより遥かにすごい規模と設備を携えた本物っぽい撮影チームとすれ違い、あーあ、ってなっているところでやっぱり出てきたよ(ストーリー上では本物、もちろん機械かCGであることはすぐわかる)アナコンダ、と。
ここでのアナコンダは秘境に現れる謎の驚異的な生物、というよりも、彼らが実現したい夢の象徴であり、同時に彼らの夢をばらばらにする怪物のようにも機能して、ヘビがどんなふうに襲ってくるので怖い、とか、どんなふうにこのモンスターと戦うかについては、あまり、ぜんぜんきちんと描かれていなくて、そんなんでよく現地に行って撮るな、なのだが、それでもなんだかおもしろいのは、真ん中のふたりが捨て身で必死でなにかを取り戻そうとしているから、だろうか。そういう状態になった時のPaul Ruddの輝きというのはいつも通りすばらしくて。
あと、いちおうリスペクトというのか、Ice Cubeと、ラストにあの人まで出てくるし。
Blue Velvet (1986)
1月4日、日曜日の昼、BFI IMAXで見ました。
BFI Southbankの1月の特集はDavid Lynchのレトロスペクティブ – “David Lynch: The Dreamer”で、そのうちいくつかの作品はIMAXの大画面でも上映されている。
この作品は封切りの時に渋谷のシネマライズで見て、ものすごい怖くおどろおどろしたのを想像していったら、なんだこの変態どものパレード、みたいな感触で、でもそれはそれで新鮮だった。もう少し大人になったら見えてくるものもあるのかも、って今世紀に入ってからたしかNYの映画館で見てみたのだが、変わらずよくわかんなかった。そのわからない大人の世界を覗きに行ってひどい目にあうJeffrey (Kyle MacLachlan)と彼に引っ張られるSandy (Laura Dern)も、最後までなんだったんだろう.. みたいな顔をしているし。
なんらかのよからぬコトが夜の世界、古いアパートの一室で行われている。原っぱの隅で切り取られて虫が集っているヒトの耳を見つけたJeffreyはよせばいいのに首をつっこんで、でも結局、Dorothy (Isabella Rossellini)もFrank (Dennis Hopper)も闇夜に蠢く動物として奇怪で異様で残忍なだけで、なんであんなことをしたり、あんなことになってしまったのか、1951年のタイトル曲がもつ意味なども含めてわからなくて、わかったところでなにかがどうなるというわけでもないし、というあたりをぐるぐる回っていく。
その落ちつきのないぐるぐるを一瞬で叩き潰すのが、ほぼ静止した状態でドアを開けられたあの部屋の断面 - 立っている人、座っている人 - で、あの画を目にした時、目に焼きつけられてしまった時のうわあぁーは、未だに鮮烈に残っていて、あれを見てしまったらこれ以上のことは知らなくていいや、ってドアを閉めて去るしかない。この衝撃がIMAXのサイズでやってくるの。
この後に、IMAXではないふつうのスクリーンで”Lost Highway” (1997)も見た。これも再見だったが、この作品の困ったところは内容が変すぎて、見た後に何も残らないことだろうか。まさに”Lost Highway”。時間ができたら書いてみるかも。
1.13.2026
[log] Paris - Jan.03 2026
1月3日、土曜日、日帰りでパリに行ってきたのでその備忘。
前回の日帰りが11月の終わりだったので、ほうら言わんこっちゃない、なのだがいつでもどこでも見逃しは常にあるし、寒くて動けなくなったりしたし、新年に行くのって縁起よいのかもしれないし(そんなことはない)。
1925-2025. Cent ans d’Art déco @ Musée des Arts Décoratifs
パリ装飾美術館での、1925年に開かれたパリ万博(アール・デコ博覧会とも呼ばれた)の100年を記念して1910年頃から1925年頃までの約1000点を並べた総括的な展示。アール・デコなんて結局金持ちの道楽~大衆化に向かう堕落じゃん、って、この時代のアートについて自分が見てきたのは別の、どちらかというと反対の方角のものだったのだが、そんなにきれいにジャンルとして切れるものではないし、背後に金持ちがいないアートなんてないしで、まずは見てみようかと。
個々の作家やブランド(カルチェ等)に特化していろんな側面を見せていく、というのもあるが、これらがどれだけ現代のデザインや意匠の原型や型紙のようなものを100年に渡って提供〜再生産してきたか、その艶でてかてかじっとりとした工芸のパワーを圧倒的な物量で見せつけてくるものだった。貧乏な田舎者としては、どの部屋に行っても、コーナーに寄っても、ひぇぇーしか出てこない燦然とした輝きとその迫力。その究極が展示の終わり、地上階にあったオリエント急行の客車内部の再現だろうか。これと比べたら今の飛行機のファーストクラスなんて厩でしかない、くらいの細部へのこだわりとそれが地点Aから地点Bへの列車の移動の間にだけ現れて、今はもう(まだあるのかな?) というまさに夢のような。 全体の図録は買わなかったけど、オリエント急行の冊子だけ買ってしまった。
Paul Poiret, la mode est une fête
ファッション・デザイナーPaul Poiret (1879-1944)の企画展示 - 「ファッションは饗宴である」。
コルセットを解放し、ファッション業界の近代化、ブランドを持つファッション・デザイナーとして家具から香水まであれこれど派手に(いまから見れば十分地味だけど)手掛けたマルチ・アーティストとしての側面を強調した総合的な展示で、おじさんなんでもやってきたのね、という印象が強い。沢山の彼の肖像画、彼自身の絵画などは御愛嬌。
Georges de La Tour - Entre ombre et lumière @ Musée Jacquemart-André
フレンチ・バロックの画家Georges de La Tour(1593-1652)の企画展で、ふだんあまり見れない(何かの企画展で、ひとつ出ていたりすると嬉しい)作家なので、ふつうにうれしい、けどめちゃくちゃ混んでいた。蝋燭の光が、どんなふうに聖と俗+その他を光と影のなかに対置するのか – 光は影ではないということ、特にその白め淡めの蠟燭の光が、何を照らして浮かびあがらせるのか - その何かが浮かびあがる様がそのまま絵となり、絵を描くこと、見ることの根源にある何か – 映画でも同じかも – の驚異が迫ってくるようで、それはなぜ我々は光を必要としてきた/いるのか、というところまで向かうようだった。我々の目をそのシンプルさによって光のもつ柔らかさに導くというか。絵を見るとき、闇や暗い影のところに何がいるのか、を見てしまいがちだが、それとは逆の方に目を向かわせる力があるというか。
いま丁度ロンドンのNational Galleryで”Wright of Derby: From the Shadows”という小企画展をやっていて、イギリスの画家Joseph Wright of Derby (1734-1797)のこれも光と影をどう描いたのか、を見せていて、場所も時代もジャンルもぜんぜん違うのだが、比べてみるとおもしろい。産業革命期の光と闇が作りだす劇画のように太くて力強いドラマ性 - 光があることで安堵する、というより光に照らされ浮かびあがったものを畏怖する、それらが宗教とは別のパワーやドラマによって強いられる - これってde La Tourの頃にはなかったやつかも。
Rick Owens, Temple of Love @ Palais Galliera
Rick Owens (1961- )の回顧展、というよりは”Temple of Love”というテーマに沿って彼のデザインしたファッションが祭壇上にずらっと並べられて神々しく、でもゴスというほど漆黒でグロくもなく、グレイにそびえ立つ像はなかなかかっこよい。服以外だとIggy Pop、Klaus Nomi、David Bowieのレコードジャケットがトリオで並んでいて(Iggy Popは”The Idiot”のレコードを売店で売ってた)、彼の本棚まで展示されているのだが、そこまでやるとわかりやすくなりすぎてつまんなかったかも。
Tisser, broder, sublimer. Les savoir-faire de la mode
同じPalais Gallieraでやっていた、英訳すると”Weaving, Embroidering, Embellishing, The Crafts and Trades of Fashion” - 『織り、刺繍、装飾、ファッションの工芸と交易』。
18世紀から現代までのファッション史をクラフト - 工芸のテーマ、技術・技法の観点から因数分解して振り返ってみよう、という展示で、完成された服や装飾品も並んでいるが、それらがそうなっていく過程や経緯がわかる、イメージできる形に並べてあり、これらはみんなパリがThe Crafts and Tradesの集積地であったから浮かびあがった何か、なのだろうか。
自分がこういう技術に触れただけですべてを一瞬で破壊してしまう不器用の鬼だからか、こういう世界には憧れしかなくて、釘付け頻度がすごくて、いようと思えば3時間くらいいられたかも。職人の技、すごいんだから、みたいな展示にしていないところが却って凄みを感じさせたり。
この後はGaleries Lafayetteに行ってクリスマスの飾りを見て、食材売り場で悩んで、でも買うのはやめて、いつものLa Grande Épicerie de Parisに移動して、チェリーとかイチジクとかお菓子いろいろと、帰りの電車で食べるバゲットサンドなどを買って帰った。
あーあと何回行けるだろうかー。
[theatre] Ballet Shoes
1月1日、元旦の晩、National TheatreのOlivier Theatreで見ました。さすがに満員御礼ではなかったけど、十分に埋まっていた。
これの前には隣のBFI Southbankで『大人は判ってくれない』を見て、続けて”All About Eve” (1950)を見て、『大人は.. 』はいつもの、でよいのだが、”All About Eve”に充満するどろどろに改めてやられて - ずっとげらげら笑っている人が何人もいたんだけど、そういうもの? - これで新たな年が始まってしまうのは… にちょっとなったので、それだけでも。
Noel Streatfeildによる子供向け同名小説 (1936)をKendall Feaverが脚色し、Katy Ruddが演出している。
2025年の初めにNational Theatreの別のシアターで上演していた作品で、評判がよかったからか、子供向けとしてクリスマス〜年越しによいと思ったのか、シアター内の宣伝飾りも力が入っていて、プログラムにはクイズや切り絵がついていたり、でもそんなに子供向けでも、ホリデイ向けでもなかったような。
開演前に座席への案内をしたりする係の(制服を着た)人たちが、あちこちの客席を回って簡単なストレッチとかエクササイズみたいなことをして、はーいみんなよくできましたぱちぱち、とかやってて、ちょっと苦手だなやだな、と思っていたら自分の両隣りの人達がそういうのには乗らない、っていう態度だったので助かった。
舞台は中央手前に恐竜かなにかのでっかい頭の骨が置いてあり、背面にはナチュラル・ヒストリー系の骨格標本や剥製などが、上から下までびっちりと積みあがっていて壮観で、これをここの大きなステージで組んでみたかった、というのはわかる。かっこいいし。
時は1930年代、お屋敷はChelseaのCromwell Road(昔、南方熊楠もあの辺にいたはず)にあって、その標本たちを世界中から集めてきたのは、古生物学者のMatthew、通称Gum (Justin Salinger)で、世界の辺境に行って、研究対象の古生物系に加えて現地で身寄りのない女の子を保護して一緒に連れてきて養子として迎えて、こうしてできあがった3人姉妹のPauline (Nina Cassells)、Petrova (Sienna Arif-Knights)、Posy (Scarlett Monahan)、彼女たちを束ねてほぼ母親として世話する婆やのNana (Lesley Nicol)、Gumの姪として最初に家にやってきたお姉さん的な役割のSylvia (Anoushka Lucas) 、大家族でばらばらだったり力を合わせたりしながらの日々を追う(でもGumはほぼ家にいなくて、最後にやあやあって現れてどうした? って虫がよすぎない?)
でも生活が苦しいので、下宿屋をやろう、って元気で華やかなダンスの先生とか、自動車整備工のひととか、いかにもで厳しそうな英文学教授などが同じ屋根の下にやってくると、3人の少女たちは彼らの影響をもろにひっ被って将来なりたい自分たちを意識し始めて、みんなそれぞれ楽しそうだからいいけど、いいのか。
やがて、それでもやっぱりお金がなくなって家を売らなければならなくなって、娘たちが力を合わせてどうにかするところでPosyのやってきたバレエの話になり、バレエそのものはよいのだけど、そういうふうに出してくるのかー、って。
(家族ではないけど)家族的な繋がりの中で結ばれた彼女たちの苦難と歓び(労働の苦役の話はない)、他者を受け容れるということ、一緒にやっていくこと、そうして流れてきた時間、それをずっと見守ってきたみんなの家、その家がなくなる、というときに、救ってくれるのは例えばこんな… っていうめくるめくファンタジー - 子供たちにとっては特に - に近いお話しだと思った。古生物の世界を追って旅を続けるGumの情熱、Posyのロシアのダンスの先生の輝ける過去の栄光のことなど、子供たちの反対側にいる大人たちのファンタジーも物語に深みをもたらしている。
話の転がし方はおもしろく、役柄も多彩でばらけていて、みんな元気にめでたしめでたしよかったね、なのだがでもやっぱり、こうなってしまった原因を作ったのは採集旅行ばかり行って不在にしていたGumなんだから、あったもっと反省してなんかやりなさいよ、サンタさんはいないんだよ、って思ってしまうのだった。 彼がサラリーマンだったら許されなかったに決まってる。- と、汚れて歪んだ大人が見たらこうなってしまうのかも。
1.07.2026
[film] Marty Supreme (2025)
12月31日、大みそかの夕方、Curzon Sohoで見ました。 これが2025年最後に見た映画。
年末はいつも怖めのホラーとかを見ていたのだが、今年は適当なのがなくて、これを年明けに見るのはなんか違うかも、程度で。
監督はJosh Safdie、実在した卓球プレイヤーMarty “The Needle” Reismanの話にインスパイアされて、Ronald Bronsteinと監督が共同で脚本を書いて、すばらしいProduction Designは多くのTerrence Marick作品を手掛けたJack Fisk。音楽はDaniel Lopatin - Oneohtrix Point Never。Timothée Chalamet自身もプロデュースに関わったA24作品。 149分、ずっとスクリューボールで振り回され続ける卓球ゲームのような。
冒頭、なにも映っていない画面にTears for Fearsの”Change”のあのイントロが流れる。(イントロがこれだとエンディングはあれではないか、と思ったらあたった) 以降、舞台は50年代なのに80年代の音楽の断片 –サビではなく絶妙に切り取られた断片 – がちょこちょこ流れてくるので気が散ってしょうがなかった。(誰の趣味だろ?)
1952年のNY、ユダヤ人のMarty (Timothée Chalamet)はメガネにチョビ髭で、そのままだと「~ざんす」とか言いそうで、親戚の靴屋で働きながら、既婚のRachel (Odessa A’zion)と関係をもちつつ、卓球で世界制覇することを夢みていて、実際に卓球は強いようで曲芸みたいなプレーで勝ちあがって、ロンドンでの世界大会に向かう。
ロンドンにやってきた彼は順調に勝ちあがっていくのだが、同様に不気味なサーブで敵を寄せ付けないのが日本人選手のEndo (Koto Kawaguchi)で、決勝でMartyは彼に惨敗して、この辺りからケチがつきはじめて止まらなくなっていく。
ロンドンで見かけたセレブ女優のKay Stone (Gwyneth Paltrow)に一目惚れして追いかけて、でも彼女はペン会社の社長Milton (Kevin O’Leary)の妻で、Kayと付きあいたい、日本に行ってEndoと再戦したい、でもその反対側で、妊娠したRachelはお腹の子の父親はMartyだと言ってくるし、自分の家からは追いだされるし、唯一スポンサーになってくれそうなMiltonからは屈辱的なオファーを受けるし、どんな球を打ち返しても必ず返されて棒立ちで居場所もなくなっていく。 誰が、どっちが悪いとか、反省するのかしないのか、とかそういうのをすっとばして、とにかく目の前の事態、飛んでくる球を打ち返しつつジェットコースターで逃げていくのが精一杯で疲弊してぼろぼろになっていく。 “Marty Supreme”っていうのはMartyが考えて特許申請したいと思っていたオレンジ色のピンポン球のことなのだが、最後のほうのやけくそで、これらのSupremeがぜんぶ...
“Good Time” (2017)にも”Uncut Gems” (2019)にもあった、ユダヤ人の主人公によるどこを走っているのか、どこに連れていかれるのかわからない闇の怖さがひたひたずっと畳みかけるように襲ってきて、画面はずっと暗めで湿っている。だれが卓球起因でこんなことになるって思うだろうか。
本来のスポーツドラマであれば、日本での宿敵Endoとの対決がクライマックスになるのだろうし、実際そうなるものの、何ひとつ安心できないし、ずっと反復横跳びを繰り返していくような疲労感がずっと残って、これはスポーツドラマではないのかも。なんで卓球なのか、なんでチョビ髭なのか、なんの説明もないし、主人公の行動は明らかにちんぴらのそれで思い入れできるものではなくて、でもとにかく球を追っかけていく。
卓球のアクロバットもお尻も、Timothée Chalametは安定して見事で、こっちの方を”A Complete Unknown”と呼んでもよかったのかも、とか。
日本のあの応援(チャチャチャ)ってやっぱり恥ずかしいよね。子供の頃からずっと思っていたけど。
どうでもよいことだが、ロンドンの場面でMiltonがHatchards(本屋)でサイン会があって、と言う場面があって、丁度そのHatchardsに寄ってから映画館に来たので、おおーすれ違ったよ、って。
明日からギリシャのアテネとコルフ島に行ってきます。(ほぼやけくそ)
[theatre] Petty Men
12月18日、木曜日の晩、Acola TheatreのStudio2(たぶん小さい方)で見ました。
初めて行ったシアターだったが、これまで何度も通っていたライブ小屋Café OTOの隣なのだった。
殺風景な物置きのようなだだっ広い楽屋 – 萎れた花とか、小さいギターアンプとギター、上には字幕のスクリーンがあって、台詞が流れていく。そこにアンダースタディの二人の俳優がやってきて着替えて支度をする。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』 (1599)のウェスト・エンド公演で、この日は公演100回めを数えて、そこそこ成功しているらしい。Caesar役は大物俳優(けど嫌なやつ)がやっていて、暗殺者となるBrutusとCassiusのアンダースタディ(控え)のふたり - Brutus (John Chisham)とCassius (Adam Goodbody) - 劇の役名がそのまま - にはまだ出番が来たことはなく、でもスタンバイはしておかなければならない。
ふたりのうち、真面目そうなCassiusは準備体操をしっかりやって、日々やっているらしい台詞の暗唱(Brutusがチャプターかなにかの番号をランダムにいうとその箇所の台詞を機械のように喋る。すごい)をやって、万が一の出番が来た時に備えるのに対して、Brutusの方はぶらぶらつまんねー、というかんじでおもむろにギターをかき鳴らしたり紅茶にウイスキーを入れて飲んだりしている。ふたりの沈黙の合間にはシアターの方の劇の開始を告げるアナウンスが聞こえてきたりする。
待ちながらのぐだぐだをやりすごしていって、決して出番はやってこない – その時間のありようは『ゴドーを待ちながら』のようでもあり、シーザー暗殺のタイミングをねらう元の劇そのもののようでもある。
そのうちシアターの方からなにかざわざわ聞こえてきて、どうやらCassius役の人が倒れてしまったらしく、シアターからも指名が入る。ついにこの時が来たか、とCassiusは出番が来たスポーツ選手のように出ていくのだが…
こんなバックステージのありふれた光景を描いて、それでも/だから芝居はすばらしい!ってやるのではなく、なんかしょうもない時間とリソースの無駄で変すぎる… みたいな目線がおもしろいと思った。
Cassius役のAdam Goodbodyが設立したBuzz Studioの最初の公演で、脚本はJohn Chisham, Júlia Levai, Adam Goodbodyの共同、演出はJúlia Levai。本作はAdam Goodbodyの叔母、RSC初の女性演出家でStratford-upon-AvonにThe Other Placeというシアターを立ちあげてフリンジや実験演劇の先駆けをつくり - Patrick StewartもCharles Danceもここから出てきた - イギリス演劇界の性差別とも戦ったBuzz Goodbody (1946-1975)に捧げられている。
The Importance of Being Earnest
12月31日、水曜日のマチネ(これが2025年の終わり公演)をNoël Coward Theatreで見ました。
2024年の終わりにNational TheatreでやっていたMax Webster演出によるプロダクションを、キャストの一部を変え - Algernon役がNcuti GatwaからOlly Alexanderに、Lady BracknellをStephen Fry(え?)が演じている。
舞台はNational Theatreの時より幅も奥行きもやや狭くなって、その分全体のちゃきちゃきしたやかましさ、かしましさは増大したかんじで、そこにOlly Alexanderのおきゃんな魅力が炸裂して楽しくて、でもその上に鯨のようにばしゃーんて覆いかぶさってくるStephen Fryがぜんぶ持っていくような。 前のバージョンの舞台は華麗でゴージャスで貴族ぽいチャームに溢れていたが、こんどのは下町喜劇のごちゃごちゃが前面に出ていてたまんない。”Earnest”というただの名前をめぐるGwendolen (Kitty Hawthorne)とCecily (Jessica Whitehurst)のばちばちの掛け合いもたまらなくおかしいし。
Oscar Wildeぽさ、でいうと前のプロダクションの方なのかもしれないが、これもありなのでは、って垂れ流される下世話なかんじもよくて、でもどっちもおもしろいから。
日本人だったら誰もがマツコ・デラックスを思い浮かべるに違いないStephen Fryは、現れるだけで歓声が湧いてくる貫禄で楽しくて、前に”All My Son”を見終わってシアターを出たら、隣のシアターで終演後に外で待っていたファンと一緒に写真を撮ったり楽しそうにわいわいしてて、よい人なんだなー、と思った。
これもNTLにして、2本を一気にみて舞台のピンクに染まってみたい。
1.06.2026
[film] Train Dreams (2025)
12月23日、火曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
原作はDenis Johnsonの同名中編小説(2011 - 初出はThe Paris Review誌で2002年)、監督はClint Bentley。 2025年のSundanceでプレミアされて、Netflixなので日本でも見れている?
20世紀の初め、アイダホの山中に木こりのRobert Grainier (Joel Edgerton)がいて、寡黙でひたすら森のなかで木を切って倒して当時真っ盛りだった鉄道事業の開発に関わっているのだが、現場で仲間が中国人労働者に対する差別と暴行(突き落として殺す)を目にして、それ - 中国人の幽霊のような - がトラウマのように何度も出てくる(原作では彼が差別に加担した描写もあるそう)。
仕事の様子は差別のパートを除いても過酷で、爆発物を扱うArn (William H. Macy)とかお喋りなFrank (Paul Schneider)とか、印象に残る仕事仲間も出てくるが、みんなころころ落ちたり簡単に亡くなったりしてて、墓のかわりに木の幹に彼らの靴がぶら下げられるだけで次の現場に移っていく。これらの流れや経緯については、主人公は喋らないのでナレーターのWill Pattonがゆっくり訥々と語っていく。音楽はBryce Dessnerで、終わりの方でNick Cave & Bryce Dessnerによる挿入歌が流れる。
やがてRobertは美しいGladys (Felicity Jones)と出会って冗談のように夢のような恋におちて、何度か仕事の旅で離れては戻り、を繰り返していくうち、小川のほとりに一軒家が建って、一人娘が生まれて、家族といるときはとても幸せそうで、家族から離れて仕事をしている時はとても辛そうで、でも家族のためには仕事をするしかないのでひたすら働いて家に戻ろうとする。
しかしそのうち大きな山火事で家族を失うと、彼の悲しみの底が抜けて、この辺から監督自身も認めているし崇拝しているというTerrence Malickそっくりの、宙に浮いたような画面になるの。いつも微笑んでいてこちらに手を振ったり手を差し伸べてくるもういない、手の届かない彼女たちの、家族の像、キスして抱擁する像。それはいつも、いつまでも美しく弧を描いて彼のまわりにあって、そうでしょうとも、としか言いようがないのだが、見ている方はどうしたものか、に少しなる。
思い出の中ではすべてが美しい。失われてしまった、二度と戻ってこないものであれば猶更、Robertのように転々と場所を移動し、放浪のなかで仕事をして稼ぐしかなかった男にとっては、というのはその通りなのだろうが、そこにただでさえくどく残るTerrence Malickの光景はやはりどうも… で、でもRobertはずっとそのまま、アポロの月着陸の頃まで生きたのだ、ってなると彼にとってのGladysの像はほぼ信仰の対象のようになっていたのだろうな、って。
Joel Edgertonの黙ってずっとそこにいて、ただただ切ったり運んだりをしているだけの、少しだけ一緒にいた家族をひたすら愛しただけの、長く伸びたレールの上をまっすぐ走っていくしかなかった人生が、最後の最期に、いきなり飛行機に乗るところまでくる。TrainからAirplaneへ。 飛行機の上、レールなんて関係ない、上下の感覚が失われる状態を通して、彼はようやくGladysを。
邦画がこういう映画でぜったいにぶっこまないと気が済まない「幸せ」みたいなのを微塵も感じさせないJoel Edgertonの熊みたいな仏頂面がただよくて、彼でなければ成り立たない話だったかも。
ぜんぜん、真逆といってよいくらい違うタイプの人と映画ではあるが、“The Life of Chuck” (2024)で描かれたChuck (Tom Hiddleston)の生涯のことを少し思った。 自分とひとつの家の内側にすべてを反転させて抱えこみ、その周縁を軽やかにステップを踏みつつ駆け抜けていったChuckの一生。おなじ宇宙でも、おなじアメリカの近代でもこうも違ってくるものかと。
ヴェネズエラのカラカスは90年代に仕事で行ったことがある。とても綺麗な街だった。ブッシュも相当バカだと思ったが今度のはあまりに酷すぎて恐ろしい。あんなことが許されてはいけない。
1.04.2026
[log] Firenze, Arezzo, Siena, Ravenna
12月26日の金曜日から30日の火曜日まで、フィレンツェ & その他に行っていた、その備忘。
フィレンツェは2018年のクリスマスの後にもほぼ同じ日程で行っていて、この時にはミラノも少し混ぜていたので改めてもっとフィレンツェを、と思ったのだが、アレッツォ、シエナ、ラヴェンナを突っこんでしまったので結果的には薄まってしまったかも。
子供の頃からなんでか惹かれていたイギリスやヨーロッパの音楽とか美術とか小説とかの背後に見え隠れするキリスト教というものについて、サルトルから入ってしまったので洗礼こそ受けなかったものの大学はそれ系のに入って学んでいくとその広がりはとてつもないものであることがわかり、それが最初の英国駐在で少し再び燃え広がって、行った先々に寺院や聖堂があれば入ったりするようになり、これではないか、と思ったのが昨年の(MET →)National Galleryでの企画展示 - “Siena: The Rise of Painting, 1300 ‒1350”で、やっぱり現地に行って見たいかも、になった。丁度Beato Angelicoの2箇所を使った大規模な展覧会もあることだし。
以下、細かく書いていったら終わらないのでポイントだけ。
フィレンツェに着いた日は前回見ていなかったSanta Maria Novellaを見てから夕方にUffizi Galleriesに行って、ものすごい混雑のなかひと通り見て、セットで買っていたCorridoio Vasarianoに行ったらもう時間切れでCloseしましたごめんね、と言われて泣いた。あのびっちりの混雑をどうにかしてほしい。ルーブルよか酷い。Vasarianoは次回。
Beato Angelico
27日の午前はPalazzo Strozziでの展示で、まあすごかったこと。
昔からこの人の絵を前にしたときに襲ってくる至福感がなんなのか、よくわからなかったのだがこうして纏めて見せられると、天使が特に微笑んだりしているわけでもないのに何かを訴えてくる - 彼がSNSをやっていたら❤️をばちばちに飛ばして来そうなチャームがあり、それが僧でもあったこの人の技術(徳)として練り込まれていたのだろうな、と思った。なにを見ても拝みたくなる、というより祝福されている感が先にきて絵の前で手をあわせてしまう。
今回、有名な『受胎告知』等、移動不可の作品はもうひとつの展示会場 - もともとの置き場所 - Museo di San Marcoでやっていて、でもそちらのチケットは既に一杯で、この予約をなんとかメジャーなツアー会社経由でゲットして、29日の朝8:30に門前に行ったら時間になっても開くかんじがなくて、同じように待っていた人から、月曜日は休みってあるねえ.. って言われてみれば確かにそうで、後でツアー会社には文句言って返金して貰い、でもこの程度で諦められるわけないので、最終日30日の朝に行って並んだら割と簡単に入れた。
ここは2018年にも来ていたのだが、『受胎告知』の他の展示あるし、『受胎告知』は何度見てもすごいのでじっくりと見る。最後に、やはり図録は買うしかないか、になったのだがかなり重くて€80って。でもこれ、印刷がすごくよくて、開いているだけでありがたみが湧いてくるのでぜんぜん損しないよ(… 勧誘か)。
27日のお昼は、ドゥオモの前の洗礼堂のモザイク修復サイトのツアーというのに参加して、普段は修復工事している現場に土曜日だから入れてもらい、ヘルメットを被って工事用の足場を伝って(写真撮影不可)、修復しているモザイクの壁を前にいろいろ教わった。モザイクはどういう素材でできていてどこから来て、2029年頃に終わる予定の修復が日々どんなふうに行われているのか、などなど。タイルの総数は約10mil、総修復費用も約€10mil。どれだけ大変な作業であるかはよくわかったが、それよりもこんなものを創りあげて後に遺してくれた昔の人達だよね、という感覚はこの後もずっと。
Arezzo
27日の午後は電車でArezzoに行った。目的はGiorgio Vasariの家 - Casa VasariとBasilica di San Francesco。Casa Vasariはフィレンツェにもあって、こちらは個人向けの公開はしていなくて不定期に開催されるツアーに入るしかなくて、それが29日にあったので窓口の人とコンタクトはしていた - 結局時間割りが無理で諦めたので次回に。
Piero della Francescaの描いたBasilica di San Francescoのフレスコ画は褪せた色まで込みのコントラストが圧倒的で、色同士の境界と褪せて面が消えていくとこも含めすべてが動き出しそうな構図に溢れていてたまらない。どうやって描いていったのか、その形跡を辿れない魔法をかけられたかのように全体が浮かびあがってシュールリアリズムの絵のように見えた。こないだNational Galleryでやっていた”The Baptism of Christ”(1437-1445)とDavid Hockneyの繋がりのこととか。
本当はこの後、Piero della Francescaの故郷のSansepolcro - 市立美術館にいくつかある - にも行ってみたかったのだが、電車の本数がなくて開館時間中に辿り着けないことがわかって諦めた。これも次な。
Pisa
28日の日曜日は、朝からSienaに向かうはずで、8:00発のバスを予約していた。トラムに乗ってフィレンツェの中心から少し離れたところにあるバスターミナルに8:00少し前に着いたら、そこにいたバスは1台だけで、人々はそこに群れていて、運転手らしきおじさんにこれシエナに行く? と聞いたら行くよ、というので乗って出発して暫くしてmapを開いたらどう見てもぜんぜん違う方角に向かっているので、どこに向かっているの? と聞いたらPisaであると。そんなの知らない聞いてない。
というわけで、旅の計画段階では一応候補に入っていた(最終的にここではなくArezzoを選んだ)Pisaで降ろされて、ものすごーく頭にきていたのだが、目の前のPisaの斜塔は本当に傾いてて、ほーらこんな斜めになっても立ってるんだよー、ってご機嫌をなおしてくれた。あんなんで倒れないってすごい。勿論ついでに大聖堂とサン・ジョヴァンニ洗礼堂には入ってみた。
PisaからSienaはバスで鉄道の駅まで行って、直行でいく電車はなかったので1回乗り換えて12時過ぎに着いて、そこから更にバスでいろんな史跡があるエリアに向かう - これくらいルートとしては面倒くさいのでバスを予約したのにばかばかばか(って誰に)。
Siena
バスを降りて大聖堂の方に向かうところからそこは既に起伏たっぷり中世の城塞都市で、途端にご機嫌なおる。このような坂とか段々とか壁とか屋根の見晴らしの中でシエナ展にあったような絵たちが祈りと共に立ちあがって神のような獣のような丸みとでこぼこをもったあれらを形作っていったのだな、というのが見えてくるようで、そしてその中心に建っていた大聖堂はやはりすばらしかった。すべてを支える本丸としてある、というより宇宙の網目の一部の、見えない真ん中付近にあって隅々まで照らしている、というか。あと、大理石の敷石に彫られた絵? が素敵で、それについての本を買ってしまった。
日曜日のせいか早く閉まってしまう施設もあり、見れなかったところもあったが、大聖堂の一部の美術館の収蔵品は充実していていくらでも見ていられた。
ここは朝から晩まで過ごすことで見えてくるものもあるに違いない、と思ったので、次は満月の晩とかに行ってみたいな。
Ravenna
29日、月曜日の朝は先に書いたようにSan MarcoのBeato Angelicoでいきなり打撃をくらって、気を取り直してRavennaに向かうべく電車の駅に向かったら電光掲示板の遅延表示が大変なことになっていて、Roma行きのなんて130分の遅れとか出ていて、それってもうキャンセルではないのか、なのだがみんな割と平気な顔してて、確かにヨーロッパの鉄道圏ではこんなの屁でもないのだが、自分の乗るボローニャに行くやつも25分遅れででて、やっぱり乗り継ぎに失敗して1時間以上ロスした。無理して走れば間に合ったのかも知れないのだが、昨年行ったボローニャの駅の複雑怪奇な構造を走り回っているうちに思い出してこんなに毎日宗教画を見て聖堂でお祈りしているのになんのバチでしょうか神様? ってなった。
Ravennaは初心者なので5箇所を回れるRavenna Mosaics Passというのにして、それに従って歩いて回った。ここ以外のは年末の月曜日で閉まっているところが殆どだったが、半日間なので丁度よかったかも。
前々日にモザイクについて少しだけレクチャーを受けていたのですごいものであろうことは覚悟していったのだが、やはりBasilica of San Vitaleとその横のMausoleo di Galla Placidiaのスケールと強度は度肝で、上を見あげた途端にうわぁぁー(これはなんだ?)になる。部分は全体であり全体は部分である、という万物のありようについての素朴な、であるが故に打ち破れない強固な意思(世界観というよりは意思)が宇宙をまるごと貫いて実現されて、そんな宇宙が外から見れば茶色の地味な建物の内部で炸裂して数世紀に渡って膨張を続けていて、どんなプロジェクション・アートもこのフィジカルの前ではクズだな、って思った。
あと、ここにはダンテのお墓と、バイロン卿が住んでいたところがあり、ダンテ博物館は閉まっていたが一応お祈りしておいた(なにを?)。
30日、火曜日の出発の日は、San MarcoでのBeato Angelico展を見るために早めに並んで、その後はロレンツォ・メディチ図書館を見て、やっぱりもっと見たいかも、と橋を渡ってPalatine Galleryに並んでRaphaelを拝んで、おわり。
食べ物関係は今回まったくどうでもなんでもよくて、Tagliatelle → Spaghetti → burger → Pizza → Pici → burger → Fettuccine → risotto など。時間なさすぎて持っていったビスケットでしのいだり。もったいないー、って思わないでもなかったが、優先順位で。だってどこに入ったって外れないんだもの。
寒かったけど寒さは感じなかった。また行きたいな。行けますようにー。
1.03.2026
[film] Sentimental Value (2025)
12月24日、クリスマス・イブの水曜日の晩、Curzon Sohoで見ました。
監督は”The Worst Person in the World” (2021)のJoachim Trierで、脚本も同作と同じくEskil Vogtとの共同、主演のRenate Reinsveも同じく。
昨年のカンヌでプレミアされてグランプリを受賞して、来年のオスカーの外国語映画賞にもノルウェー代表でエントリーされている。
高名だけどキャリアとしては下がりめ、と周囲から見られている映画監督のGustav Borg (Stellan Skarsgård)が妻でサイコセラピストのSisselと暮らした一軒家がオスロにあり、Sisselが娘たちを育てて亡くなった後、Gustavはここを出ていって、今は次女のAgnes (Inga Ibsdotter Lilleaas)が夫と息子とそこに住んでいて、長女のNora (Renate Reinsve)は有名な舞台女優になっているが、冒頭では本番前に舞台恐怖症になっていたり、既婚の男性Jakobと関係を持ったり、不安定ながらどうにか乗り切ったりしている。
母への虐待を間近で見てきたNoraにとってGustavはずっと天敵で顔も見たくない関係にあったが、彼が突然コンタクトしてきて、準備している次の映画に出てくれないか、という。オファーされた役は戦時下のナチスによる拷問がトラウマとなってあの家で自殺した母(Noraたちにとっては祖母)Karinを元にしたキャラクター = 主人公で、Agnesが暮らして、自分も沢山の思い出があるあの家で撮影するという。
ずっと父に不信感と嫌悪を抱いてきたNoraは受け取った脚本を読まずに拒否して、子供の頃Gustavの映画に出演させられてあまりよい思いをしなかったAgnesも理解を示すが、オスロの家がいまだにGustavの所有になっていることに憤慨して、もともとあった父と娘たちの間の溝と不信は深くなっていく。
でも、Noraが拒否したGustavの映画の方はハリウッドの昇り龍女優Rachel Kemp (Elle Fanning)が興味を示して、彼女がNetflixとかにも声を掛けて動いてくれそうで、Rachelは撮影現場となる家にもやってきて、Gustavとの仕事をとても楽しんでいるようで、娘たちはそれをしらーっと眺める。
やがてNoraのJakobとの関係は破綻し、Rachelは自分にこの役は相応しくないと降板し、結果映画への出資の話もなくなって、もともと酒飲みで体を壊していたGustavは外で酔っぱらって倒れて…
父と娘たちの間の溝を埋める話、というよりは、あの家で祖母はどうして亡くなったのか、そんな家と高圧的な父の元でNoraは何を見ていたのか、そして父の用意した脚本には何が書かれていたのか - 父はなぜこれをNoraに演じてほしいと思ったのか、これらをNoraとAgnesのふたりの関係のなかに紐解いて、姉妹ふたりの抱擁のなかに浮かびあがったものとは。
rationalでもlogicalでもない “sentimental” valueというと情緒的な、まあいいじゃないか(小津の映画にも出てくるアレ)的なものとして捉えられてしまうのかも知れないが、それよりは、「あの時どうして...」の思いを姉妹が紡いでいくようなものだと思って、Gustavはもうどうでもいいか、と。(日本だと勘違いした親父たちが大量発生して大絶賛しそうなのがちょっと嫌)
もっと強いトーンで、父と娘の対決を正面から描くことも、Gustavをもっと嫌な奴として描くこともできたはずだが、そうはしなかった。とてもやさしい、北欧的なドラマなのかも。
“Rois et reine” (2004) – “Kings & Queen”を撮ったArnaud Desplechinだったら、この家族をどう描いただろうか。(あの映画も主人公の名前はNoraだった)
予告ではFacesの”Ooh La La”が爽やかに流れてきて、冒頭にTerry Callierが聞こえてきたり、音楽のセンスは変わらずよい。 Gustavが老いぼれた制作スタッフに会いにいくシーンで唐突に飛びこんでくるRoxyの”Same Old Scene”とか。 “Same Old Scene”が聞こえてくると、わけもわからず動揺してしまう自分にはなんとかしたい。
新年最初の新作映画は、Jack BlackとPaul Ruddの”Anaconda” (2025)でした。
新年最初のドキュメンタリーは、”Menus-Plaisirs Les Troisgros” (2023)をようやく。4時間で2Lくらいよだれがでた。
この状態で明日はパリ日帰りしてくる。
1.01.2026
[log] Best before 2025
新年あけましておめでとうございます。
元旦の朝は、いつものようにBBCのウィーンの新年コンサート(いつか行きたい)を流しながら、昨日買ってきた〆さばと、ついでに買ったマグロの赤身(50gだけ)をヅケにしようと思ったのだが日本酒がなくて、マデラ酒とシェリー酒を混ぜて煮切りを作ってみた(悪くなかった)。
BFI Southbankに向かい、元旦はクラシックなので、”Les Quatre Cents Coups” (1959) - 『大人は判ってくれない』を見て、”All About Eve” (1950)を見て、晩にNational Theatreの”Ballet Shoes”を見た。
元旦になにをしようが今年もどうせろくなことはないに決まっているので、好きにする。
以下、順位はなくてすべて見た順。10本とか絞れないので、適当に。
[film]
2025年は中短編含めて408本見ていた。やはり配信は1本も見ていない。うちBFI Southbankで251本…
映画は、Sight and Sound誌のベスト50のうち20本を、Guardian紙のUKベスト50のうち24本を見ていた。無理して新作を見なくてもいいや、にしてしまったので、数は少なくなっている。全て見た順で。
[新しいの]
▪️ Nickel Boys (2024)
▪️ Here (2024)
▪️ Companion (2025)
▪️ Ainda Estou Aqui (2024) - “I’m Still Here”
▪️ Santosh (2024)
▪️ Sinners (2025)
▪️ Sister Midnight (2024)
▪️ Julie zwijgt (2024) - “Julie Keeps Quiet”
▪️ M3GAN 2.0 (2025)
▪️ Materialists (2025)
▪️ Weapons (2025)
▪️ Sorry, Baby (2025)
▪️ Jeunes mères (2025) - Young Mothers
▪️ Kaj ti je deklica (2025) - “Little Troubled Girls”
▪️ Dead of Winter (2025)
▪️ Peter Hujar's Day (2025)
▪️ Dry Leaf (2025)
▪️ Die My Love (2025)
▪️ 100 Nights of Hero (2025)
▪️ The Mastermind (2025)
▪️ One Battle After Another (2025)
▪️ Is This Things On? (2025)
▪️ Sentimental Value (2025)
▪️ Marty Supreme (2025)
[ドキュメンタリー]
▪️ Architecton (2024)
▪️ I Am Martin Parr (2024)
▪️ We Are Fugazi from Washington, D.C. (2022)
▪️ Underground アンダーグラウンド (2024)
▪️ Where Dragons Live (2024)
▪️ Blue Road: The Edna O’Brien Story (2024)
▪️ Marlee Matlin: Not Alone Anymore (2025)
▪️ The Librarians (2025)
▪️ Testimony (2025)
▪️ 2000 Meters to Andriivka (2025)
[ふるいの]
▪️ Le notti bianche (1957) - 白夜
▪️ Nightbeat (1948)
▪️ Sergeant Rutledge (1960)
▪️ 特集”Chantal Akerman: Adventures in Perception” - でかかったの全て
▪️ La ciénaga (2001) - “The Swamp”
▪️ Margin for Error (1943)
▪️ Quatre nuits d'un rêveur (1971) - 白夜
▪️ Vingt et une nuits avec Pattie (2015) - パティーとの二十一夜
▪️ Five Star Final (1931)
▪️ Three on a Match (1932)
▪️ Vale Abraão (1993) - アブラハム渓谷
▪️ Such Good Friends (1971)
▪️ Rozstanie (1961)
▪️ Rich and Famous (1981)
▪️ The Green Man (1956)
▪️ Flickorna (1968) - “The Girls”
▪️ Star Wars (1977) *original
▪️ Unfinished Business (1941)
▪️ Strongroom (1962)
▪️ Westward the Women (1951)
▪️ 特集”Wanda and Beyond: The World of Barbara Loden” - でかかったの全て
▪️ Marry Me (1949)
▪️ The Swimmer (1968)
▪️ Il Grande Silenzio (1968) - “The Great Silence”
▪️ 特集”Anna May Wong: The Art of Reinvention” - でかかったの全て
▪️ Entertaining Mr Sloane (1968) (TV)
▪️ ”Too Much: Melodrama on Film” - でかかったの全て
▪️ Boy and Bicycle (1965)
▪️ The House of Mirth (2000)
▪️ Tea and Sympathy (1956)
▪️ 特集”Muse of Fire: Richard Burton” - でかかったの全て
▪️ Mansfield Park (1999)
[theatre]
ぜんぶで丁度100本見ている。映画を見る本数が少し減ったのは演劇を見るようになったから。
自分はこういうのが好きなのか、とか、なぜこれをよいと思うのか、などがわかってきたのでおもしろくてしょうがない期に入ってきた。でも高いのであまり行けない。 以下は見た順。
▪️ The Invention of Love @ Hempstead Theatre
▪️ The Years @ Harold Pinter Theatre
▪️ Elektra @ Duke of York's Theatre
▪️ Much Ado About Nothing @ Theatre Royal Drury Lane
▪️ Otherland @ Almeida Theatre
▪️ The Seagull @ Barbican Theatre
▪️ Punch @ Young Vic
▪️ The Brightening Air @ Old Vic
▪️ Hamlet Hail to The Thief @ Royal Shakespeare Theatre
▪️ 1536 @ Almeida Theatre
▪️ Stereophonic @ Duke of York's Theatre
▪️ The Fifth Step @ @sohoplace
▪️ Inter Alia @ National Theatre Lyttelton Theatre
▪️ A Moon for the Misbegotten @ Almeida Theatre
▪️ Every Brilliant Thing @ @sohoplace
▪️ (the) Woman @ PARK 200
▪️ Romans: A Novel @ Almeida Theatre
▪️ Measure for Measure @ Royal Shakespeare Theatre
▪️ The Weir @ Harold Pinter Theatre
▪️ Porn Play @ Royal Court Theatre - Jarwood Theatre Upstairs
▪️ Hedda @ Orange Tree Theatre
▪️ The Assembled Parties @ Hempstead Theatre
▪️ The Maid @ Donmar Warehouse
▪️ All My Sons @ Wyndham's Theatre
▪️ A Midsummer Night's Dream @ Sam Wanamaker Playhouse
▪️ Twelfth Night @ Barbican Theatre
▪️ The Importance of Being Earnest @ Noël Coward Theatre
[music]
CDもレコードもすっかり買わなくなった。ライブは39本。ライブハウスは体力的にもうしんどい。
音のとんでもなさでは、Swansが突出していた。
▪️ Beck with Live Orchestra (4/25) @ Royal Albert Hall
▪️ The Pogues (5/3) @ O2 Academy Brixton
▪️ Nine Inch Nails (6/18) @ O2 Arena
▪️ LCD Soundsystem (6/19) @ O2 Academy Brixton
▪️ Little Simz & Chineke! Orchestra (6/22) @ Royal Festival Hall
▪️ The Messthetics and James Brandon Lewis (7/7) @ Cafe OTO
▪️ Neil Young (7/11) @ Hyde Park
▪️ BBC Proms: Ravel's Piano Concerto for the Left Hand (7/20) @ Royal Albert Hall
▪️ BBC Proms - Late Night : Arvo Pärt at 90 (7/31) @ Royal Albert Hall
▪️ BBC Proms - From Dark Till Dawn (8/8) @ Royal Albert Hall
▪️ The Melvins (8/12) @ Electric Ballroom
▪️ Michael Shannon & Jason Narducy (8/22) @ The Garage
▪️ St Vincent (9/3) @ Royal Albert Hall
▪️ The Life and Songs of Martin Carthy (9/27) @ EartH theatre
▪️ Refused + Quicksand (10/3) @ O2 Academy Brixton
▪️ Edwyn Collins (10/4) @ Royal Festival Hall
▪️ Eiko Ishibashi (11/9) @ EartH theatre
▪️ Swans (11/11) @ Electric Brixton
[art]
企画展が殆どで、聖堂とか寺院など - インスタンブールのとかアルハンブラとかフィレンツェやラヴェンナのは入れていない。National Galleryの”Siena: The Rise of Painting, 1300 ‒1350”とフィレンツェの”Beato Angelico”が圧倒的だった。 あとは、Prospect Cottage。
▪️ Peter Hujar: Eyes Open in the Dark @ Raven Row
▪️ LOUVRE COUTURE: Art and Fashion: Statement Piece @ Musée du Louvre
▪️ A New Look at Cimabue: At the Origins of Italian Painting @ Musée du Louvre
▪️ Siena: The Rise of Painting, 1300 ‒1350 @ National Gallery
▪️ Leigh Bowery! @ Tate Modern
▪️ José María Velasco : A View of Mexico @ National Gallery
▪️ Wolfgang Tillmans - Nothing could have prepared us – Everything could have prepared us @ Centre Pompidou
▪️ Gabriele Münter - Painting to the point @ Musée d’ArtModerne de Paris
▪️ Agnès Varda’s Paris - from here to there @ MuséeCarnavalet
▪️ Emily Kam Kngwarray @ Tate Modern
▪️ Suzanne Duchamp Retrospective @ Kunsthaus Zürich
▪️ Félix Vallotton - Illusions perdues @ Kunst Museum Winterthur
▪️ Rose Wylie. Flick and Float @ Zentrum Paul Klee
▪️ Vija Celmins @ Fondation Beyeler
▪️ 記録をひらく 記憶をつむぐ @ 国立近代美術館
▪️ Luigi Ghirri - Infinite Landscape 終わらない風景 @ 東京都写真美術館
▪️ BLITZ - The club that shaped the 80s @ Design Museum
▪️ Radical Harmony - Helene Kröller-Müller's Neo-Impressionists @ National Gallery
▪️ Wayne Thiebaud. Delights @ The Courtauld Gallery
▪️ Cecil Beaton’s Fashionable World @ National Portrait Gallery
▪️ Gerhard Richter @ Fondation Louis Vuitton
▪️ Jacques-Louis David @ Musée du Louvre
▪️ John Singer Sargent - Éblouir Paris @ Musée d'Orsay
▪️ Turner & Constable Rivals & Originals @ Tate Britain
▪️ Beato Angelico @ Palazzo Strozzi + Museo di San Marco
春には帰国することになってしまったので、あとどれだけ見れるか。
今年もよい作品に出会うことができますように。