2.05.2026

[theatre] Ballad Lines

1月26日、月曜日の晩、Southwark Playhouse Elephant (Elephant and Castleにあるから)で見ました。

“A Folk Musical”とあって、コンポーザーはFinn Anderson、演出はTania Azevedo。
タイトルは声に出すと”Blood Line”と読めなくもなくて、ポスターはそれに沿うかのように草や紐やワイヤーをわし摑みする拳で、ちょっと熱い。

7人の女優(シンガー)と1人の男優、バンドは3人(+裏にドラムスがひとり)、全員が手を打ち足を踏み鳴らしたりしながら歌って踊るが、West Endのミュージカルに見られる華々しく弾けて元気いっぱいのショーの要素はそんなにない。微細なハーモニーを重ねて響かせ聴かせるのに注力しているような。

カナダから連なるアパラチア山脈の南側、ウエストバージニア州、バージニア州、ケンタッキー州、テネシー州、ノースカロライナ州に移住してきたスコットランド系アイルランド人(スコッツ=アイリッシュ - アルスター系移民)の間で歌い継がれてきた音楽 – カントリーミュージックの原型になったと言われる – についてのお話し、というかその歌の背後にはどんな(女性たちの)ドラマがあったのか。

現代のNYに住むSarah (Frances McNamee)とAlix(Sydney Sainté)のカップルのところに、死に瀕したSarahの叔母Betty (Rebecca Trehearn) から箱が送られてきて、こんなのいらなんだけどどうしよう、と言いながら箱に入っていたカセットテープをかけてみると、Bettyと一緒に歌っている子供の頃のSarahの声、Bettyを経由して彼女の先祖たちの声が聞こえてくる。

17世紀初のスコットランドで牧師の妻Cait (Kirsty Findlay) は出産を望んでいなくて、そこから5世代を経た18世紀初、アイルランドのアルスターに渡っている15歳のJean (Yma Tresvalles) は子供が欲しくて逃げるようにNYに渡ろうとしている。そしていまの時代の、SarahはAlixとの間の子供が欲しくなって、Alixと一緒に病院に行って検査を受けよう、と誘っている。

いろんな事情だったりやむにやまれぬを抱えて、海を渡って国を越えて生きながらえてきたSarahの先祖 - スコッツ=アイリッシュの民、そのなかで、彼らが海を渡った背景には男女、家族、集落、それぞれの理由や事情があったはずだが、ここでは女性の、おそらく産む(産まない)自由なんて、家を出ていく自由なんてなかった、そんなふうに掟のような何かに縛られなければならなかった彼女たちの声にフォーカスして、それが歌として、複数の声として立ちあがって、最初はひとりぼっちだった鼻歌がみんなの歌に撚りあげられていく様をダイナミックに描く。

なぜ女性なのか - 彼女たちの声が正しくとりあげられ振り返られてきたとは思えないから、だし、それは歴史の捉え方も含めて今も我々の認識の底に無意識にあるように思えるから、だし、でもなにより、彼女たちの歌は美しくて正しいからだ、それなのになんで? という螺旋の問いのなかに閉じこめて、その同じ歌がそれを開け放ってくれたりする。

歌はそんなに(自分のイメージする)フォークのかんじはなくて、ところどころメジャーなスケールで聞こえて声の重なりとか感動をもたらしてくれたりもするのだが、そう来れば来るほど、現代のSarahたちとのギャップがやや気になった。Sarahのような同性婚で精子提供を受けるようなケースがぶち当たる壁、悩みや逡巡と、彼女の先祖たちの受難の話って、同じバラッドのなかで歌ってしまってよいものだろうか - どちらも痛みを伴う選択であるとしても - とか。

今公開中の映画 - “The History of Sound” (2025)も昔の歌に耳を傾ける、というのがテーマになっていたが、これってどういうことか、を少し考える。

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