1.22.2026

[theatre] The Spy Who Came in from the Cold

1月16日、金曜日の晩、@sohoplaceで見ました。 Chichesterでの上演後、West Endに来たもの。

原作はJohn le Carréの同名小説(1963)、脚色はDavid Eldridge、演出はJeremy Herrin。
John le Carréが生前は許可しなかった自作小説の舞台化が彼の死後に実現されて、これが最初の舞台作品となる。

原作を最後に読んだのは前世紀だが、舞台化にはやはり大丈夫かな? ってなる。le Carréのスパイ小説の醍醐味 – 小さな町の小さな出来事がいろんなものを引き摺ってグローバルに転がっていく、そうして狂った世界全体を見せるスケールと、その反対側で万能でもなんでもない主人公達が苦悩し逡巡しやがて破滅的な行動に出る、背負ったものや宿命を巡る押したり引いたりの微細なせめぎ合いを舞台上できちんと表現できるとは思えなかったし。

今作に関していうと、やはりそれなりに単純化したり、George Smiley (John Ramm)をある種の(典型的なスパイの)象徴のように - 高いところにサーチライトで照らされ、無言で、銅像のように立っているだけ - 描いたりすることで、テーマである冷戦時代のスパイの過酷さ/に対する非情、など、いろんな落差も含めてある程度は表現できていたのではないか。

上演前の舞台上には自転車が無造作に転がっていて、床の上には矢印で国境の向き → UKとかが描いてある。

冷戦時代のベルリンでスパイ活動をしてきたAlec Leamas (Rory Keenan)は、部下の情報提供者が自転車で国境を跨ぐ手前で射殺され、うんざりして飲んだくれてロンドンに戻されて干されて、どん底で入った図書館で司書のLiz (Agnes O’Casey)と出会って、少しだけ上向いたようになる。

粗暴なアル中でだらしなくてゴミ溜めの底まで落ちた男が、そこで出会った女性と恋に落ちて、その恋に囚われて最後は破滅する – 恋は何かのはじまりではなく、Endを後押しし、視界を塞いで破滅に導くものでしかない、というのはle Carréのスパイ小説でも繰り返し現れる風習のようなものなので、わからなくはないのだが、舞台上の流れの中でやはりちょっとこのパートは浮きあがって見えた。

なのでこの後、終盤にかけて、Leamasに与えられた任務の入り組んだ、敵方との間で罠のように仕組まれた罠と、その必然でやってくる最後の悲劇をどう見せるか、のところも相当あっさりに見えた。じゃあ、あっさりじゃない風ってどんななのか? って考えるとどれも違うかも、になるので、この見せ方しかないのかー、って。


The Spy Who Came in From the Cold (1965)  


こちらは60年前に作られた映画版。
少し前だが、昨年12月8日、月曜日の晩にBFI SouthbankのRichard Burton特集で見ました。
Richard Burtonの孫娘の方がイントロで紹介していた。

監督はMartin Ritt、脚色はPaul Dehn、Guy Trosper、撮影はOswald Morrisで、アメリカでブラックリストに入って撮れなくなったアメリカ人たちが多く参加して作ったイギリス映画でもある、と。あと、ヒロインの名前が原作から変えられてNan Perryになっているのは原作の”Liz”だとRichard Burtonの妻と混同される恐れがあったため、とか、トリヴィアがいろいろある。

モノクロで、割と原作に忠実 – であろうとしすぎてスパイ映画としてはやや複雑で暗くて難しく見えてしまう感もあるが、こういう裏とか陰がいっぱいある役をやらせるとRichard Burtonはさすがにうまいなー、しかない。うますぎてサスペンスの流れのなかで彼ひとりが浮きあがってしまう – ほんとは屑として葬られる役なのだが過剰で、かっこよすぎる。同様にヒロインのClaire Bloomもきれいすぎて、le Carréの最初のチョイスはRita Tushinghamだった、とか。

あと、Globe座にある蝋燭照明の大好きなシアター、Sam Wanamaker PlayhouseのSam Wanamakerが出演していて、この人だったのかー、って思った。アメリカ人だったのね。

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