1月31日、土曜日の晩、Abbey Theatreで見ました。
Abbey Theatreは1904年に建てられた(火災で1951に再建)アイルランドの国宝で、William Butler YeatsやSeán O'Caseyが設立に関わってアイルランドの文学復興運動にも貢献した場所、なのだがシアターとしてはものすごくシンプルであっさりしている。バルコニーもドレスサークルもなく、だんだんの傾斜があるだけ。でもおそらくこのサイズでのこの傾斜がものすごく見やすい、没入できる空間を作っているのだと思った。ロンドンのNational Theatreもこのサイズのがあったらなー、とか。
原作はこれが劇作デビューとなるBarbara Berginの同名戯曲(2025)。演出はCaroline Byrne。上演時間は2回の休憩を挟んで3時間半。
舞台は、三階建てのビルの断面のような、朽ちたビルの骨格だけが露わになったような構造になっていて、1830年からの約150年に渡る複数の家族の歴史を描いていくなか、その内装は時代や場面によって変わっていくが、120のキャラクターを次々に演じ分けていく19人の俳優たちは着替えで出たり入ったりする以外は、だいたいこの3層のどこかにいる。上の階での動きは(寝ていたり)少なくて下に行けば行くほど出入りは激しくなる。舞台手前の土があるところ – 地上層には、シャベルが5本くらい無造作に突きたてられている。
時代は1830年から1910年までが第一部、1910年から1950年までの戦争期が第二部、1950年から1980年までが第三部で、そこにおける負けっぱなし(Loser)の家族の歴史が、貧困、地主、階層、移民、宗教、性労働、エイズ、家父長制などの角度からショートコントのように忙しないやり取りで、やられて下に落ちたり転がったり泣いて泣かれてどこかに消えていく様が次から次に世代を伝って連鎖するように繋がれていく。”Loser”の主は、地主から虐げられる小作人からはじまり、弱いものはずっと弱いまま、ストライキや暴動、さらには独立戦争~2つの大戦を経て、その容赦ない虐めの連なりの行きつく先は常に末端の(末端と見られている)力のない女性たちで、そんなことになっても彼らとしては立ちあがって生きていくしかない。たくましい女性たちも当然出てくるが彼女たちもずっといるわけではなく、いつの間にか背後の闇に消えていく。
休憩時間には幕に出てきた家族の家系図が投影されて、最初の休憩では3世代3家族だったのが、次の休憩では確か5世代4家族になっていたり。でもそれでああそうか、ってなるところは少ない。
あまりに登場人物が多すぎて慌しく錯綜しつつ転がっていって、演じる方も大変だろうが見る方もあっぷあっぷで、とにかく各階/層で何かが起こって、誰かが殴られたり泣いたり落ちたり死んだりしていて、それらのシルエットを追っていくのが精一杯で、そこには常に地を這っていくような死や退廃のイメージがあった、という意味での”Gothic”であれば、それはそうなのだろうが、もうちょっと落ち着いて像を焼きつけられるようにしても、とか。
路地を抜けても抜けてもずっと果てなく続いていく出口なしのごじゃごじゃ、という点で、例えばLondon Gothicとはどう違うのか? Londonだと、もっと足元がきつく縛られていて身動きが取れずに埋められていく気がする。Dublinは勝手に動けてしまう分、後からのダメージとか踏み外しとか破滅がよりはっきり出て、でもなんかめげない(気がする)。
そして今はあの国がしみじみ嫌だ。あんなところに戻りたくない。
2.10.2026
[theatre] Dublin Gothic
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