3月20日から21日の間、パリに行ったのでその簡単な備忘を。
パリはとても好きな場所で、今回の2年3ヶ月の滞在中に、さっき数えたら10回行っている。でもほぼ日帰り or 1泊で、そんな短い滞在だから何度も行くことになって、そんな短い滞在だからどんどん好きになってたまらなくなっているのだと思うが、こればっかりはどうしようもない。 帰国してからも雑誌Figaroのパリ特集とか買ってるし。
今回も、時期が時期(引越し荷物出し3日前)なので日帰りでいいや、だったのだが、20日からChristophe Honoré演出による”Bovary Madame”の舞台があるのを知り、チケットを探したら取れてしまったので、1泊しないわけにはいかなくなった。
朝6時くらいの電車 – Eurostarで行くのも北駅に着いてから地下鉄に潜るのも、お手のものでまるで通勤のよう。
Nan Goldin - This Will Not End Well
Grand Palaisで見ました。 その隣の展示”Matisse: 1941 –1954”は未だやっていなかった。
写真ではなく、ビデオ作品の展示で、場内にテントのような部屋が仕切ってあって、それを回っていく、のだが全部見ている時間はないので、”Stendhal Syndrome”(2024)と代表作”The Ballad of Sexual Dependency” (1981-2022)の一部くらい。”Stendhal Syndrome”はオウィディウスの『変身物語』のモティーフをルーブル美術館の所蔵品を中心に重ねつつ、スタンダール・シンドロームを引き起こすに決まっている美の根源に迫っていく。彫刻作品等を切り取る目線、光の具合が絶妙で、Nan Goldinてこんな… って。
”The Ballad of Sexual Dependency”の方はNan Goldinの王道で、夜の光とその下での体の線とか、なんであんなに切なく映えるのだろうか、と。
Visages d'artistes - De Gustave Courbet à Annette Messager
隣のPetit Palaisで見ました。クールベから現代のアネット・メサジェまで、アーティストの顔、貌は、その捉え方はどんなふうに変わっていったのか、を追っていく企画展示。アトリエでの、社交場での、プライベートでの、女性であることによる… など狭いようで十分に広いテーマなので、ちょっと散漫になっていたかも。モダン以降に絞った方がおもしろくなったのではないか、など。
Maison Gainsbourg
パリ行きを企画するたびに、後になって思いだしたり、Sold Outで入れなかったりで宿題になっていた館へ。
Serge Gainsbourgが1969年から亡くなるまで暮らした家と通りの向かいのミュージアム。まずミュージアムの入り口でヘッドセットを貰ってから家の方に向かい、約30分、Charlotteの声に導かれて彼の暮らした痕跡を見て、その後でミュージアムに移動して、彼の業績を辿って、最後にバーがあって、ブティックがあって。
彼とCharlotteが子供の頃に暮らしたお家の中は、黒め暗めのインテリアやいろんな散らかりようも含めてそうなんだろうなー、としか言いようのないモノたちで溢れていて、Gainsbourgだなあ、しかない。住んでいた頃はタバコですごい匂いだったりしたのかしら。
Serge Gainsbourgを聴いていたのは大学生の頃で、来日公演にも行ったし最初にCDボックスセットを買ったのも彼のだったし、そこからなんとなく離れてしまったのはなんでだろうか、などを振り返りつつ考えてしまった。
Clair-obscur
Bourse de Commerceで見ました。ここが持っているPinault Collectionの中から、“Clair-obscur” - 明暗対比というテーマで、光と闇の、その対置とか境目とか変化のありようを捕まえようとしたアーティストたちとその作品群を集めている。
レンブラントやカラヴァッジョが用いた描写の技法としてのchiaroscuro、というよりも、光と闇の成り立ちそのものを見つめるというか、会場にはジョルジョ・アガンベンの『現代/同時代性とは何か』 - “What is the Contemporary?” (2009) からの引用 – 「現代/同時代人とは、自らの時代を見つめる際に、光ではなく影に目を向ける者のことである 云々」が貼られていて、Frank Bowling, Alberto Giacometti, Pierre Huyghe, Bill Viola, Bruce Nauman, Carol Rama, Wolfgang Tillmansなど、懐かしいのも含めて、でもテーマそのものはやや古いような新しいようなー。
Fondation Cartier pour l'art contemporain
移転したカルティエ財団の現代アートのデパート。移転後に初めて行った。こんなのでっかいがらくたまみれなのがルーブルの向かいにある、ってだけでなんか痛快かも。
17:00からパフォーマンスがある、ということで、混んでて座れなくて上からだけど、説明がフランス語なのでさっぱりだったけど、なんとなく見た。
Le Musée Vivant de la Mode, performance quotidienne par Olivier Saillard & invites
Olivier Saillard本人(たぶん)がマイクをもって解説しながら(←仏語でもちろんわからないので以下憶測→)ミュージアムで展示される服と身につけられて機能する服の違いについて、モデルたちの実演を交えながら、服を着る、羽織る、纏うなど、そこにおける服や布、その形、それを身に着ける際の動作、などについて微分で見ていく。動きも服もシンプルなものばかりだが、こういうのと切り離されたところで発展(少なくとも経済的な)を遂げてきたモードとかクチュールのありようについて。 これ、西洋だとまだ連続性があったり見えたりでおもしろいかもだけど、東洋のもんぺとか割烹着みたいなものから追ってみたら(or 追えない)おもしろくなるのではないか、とか。
[theatre] Bovary Madame
20日の20:00からThéâtre de la Villeで見ました。
フランス語の劇だし、英語字幕なんてつくとは思えないのだが、なんたって「ボヴァリー夫人」だし、演出はChristophe Honoréなので、なんとかなるのではないか(←まったく根拠不明)、と。詳細は追えなかったので、以下、簡単な感想だけ。
ステージはすり鉢状の客席(バルコニーなし)から見下ろす形で、初日だったせいか取れたのは一番後ろの天辺に近いところだった。 上演は2時間半で休憩なし – この長さで休憩なしは珍しい。映画だと思えばよいのか。
原作はGustave Flaubertの”Madame Bovary” (1857)、プログラム冊子はなく”Bovary Madame”のタイトルでChristophe Honoréが作者名となっているスクリプトは売っていたので、翻案もHonoréなのだろう。Emma役は、François Ozon作品によく出ているLudivine Sagnier。
中央には丸い砂場があって、左側には段になった客席のようなのがあり、右側の奥にはピアノがあり、主人公達の内面を掘り下げていく心理劇というよりは玉突きアンサンブルで、常にわいわい人がいて、プロジェクションも使ってサーカスやバーレスクの要素もあって、音楽は村人たちによる楽団の演奏もあればダンサブルなJustin Timberlake もある。 Honoréの映画にもあるミュージカルの要素や指向 - 突然歌いださないわけにはいかない - はストレートに、よいかたちで出ている。
そんななか、EmmaもCharles Bovaryもエキセントリックな加害者だったり被害者だったりで突出して対峙する、ようなことはなく、Emmaは極めてまっとうに自由を希求するひとりの女性としてまっすぐこちらを向いていて、たぶん死なないの。
ここでいったん切ります。