10.09.2026

[film] Disclosure Day (2026)

10月4日、日曜日の昼、109シネマズ二子玉川のIMAXで見ました。 本国公開から4カ月遅れてようやく。

一応備えというか、振り返りというか、前日3日の朝に、シネママリスで”Close Encounters of the Third Kind - Final Cut” (1977)を見ておいた。劇場で見るのは4回目くらい、最初に見たのは日本公開時の小学生のときで、この時は盛りあげを狙ったのか”Star Wars”か『未知との遭遇』か、みたいなのがあり、周囲には「未知との遭遇」の方が断然おもしろいよ、と言っていた。実際そう思ってて、そう言いながらSWに通いまくっていたのだが。

宇宙人との遭遇を描く、というより宗教の話 – なにを信じるかというより、信じているもののありようを開示する話、だと思った。おもしろいおもしろくないで言うと、すごくおもしろかった。

脚本David Koepp、監督Steven Spielberg、撮影Janusz Kamiński、音楽John Williams。

冒頭、プロレス興行が行われている会場からDr. Daniel Kellner (Josh O'Connor)が恋人Jane (Eve Hewson)と一緒に車で逃げだす。 彼はアメリカ政府の下請け業者Wardex (Waived Reporting, Development, and Extraction)のサイバーセキュリティ専門家で、そこから持ち出したアーカイブ一式と怪しげなデバイスのようなブツをもっていて、彼を導いていくのはWardexを抜けた彼の元上司のHugo (Colman Domingo)、彼を追っかけていくのはWardexのヘッド、Noah Scanlon (Colin Firth)。かつて修道院にいたJaneは、Danielと一緒にそこに匿ってもらい、彼の抱えているモノの中身となんで追われているのかを聞くと動揺する。

カンサスのローカルTV局の気象予報士Margaret Fairchild (Emily Blunt)は、出勤前にアパートのキッチンに迷いこんできたカーディナル - 赤い鳥と目が合ったらちょっと眩暈がして、そこから仕事場に車で向かう途中、交通違反で呼びとめられた警官の心に暖かく触れてしまったり、北朝鮮情勢で緊迫している局内の関係者をロシア語と韓国語で落ち着かせたり、更に生放送中に、ヒトの言葉とは思えない変な音声を発声して自分でびっくりする。(聖霊降臨)

TVであんな声を発してしまってから、Wardexはあいつだ、って彼女の方も追い始めて、Noah自らが変なデバイスを握りしめ憑りついてぼろぼろに消耗しながら突きとめようとするその場所には、Noah(と元Wardexのスタッフたち)がある施設を作りあげていて、それはやがて到来するその日その時 – Disclosure Dayに向けたものだった。

約束の地と時に向かって走る啓示を受けた者とそれを阻止しようとする者の追いかけっこで、その過程で誰がなんのためにそんなことをしているのかが見えてきて、そうやって見えてくるものに大きな驚きはなくて、どちらかというとやはりこういうことだったのか、に落ち着いていく。 『未知との遭遇』でも、約束の地、あの晩、は決まっていて、そこに向かう追いかけっこはあったが、その情報を持つものの立場、優位性のようなもの、は逆転している。そこの落ち着き(落ち着かせ)かたが過去のSteven Spielberg作品と比べるとあまりにわかりやすすぎ、座りがよくない、つまんない、唖然とするようなものがない、ということなのではないか。

Spielbergは過去の自作で何度も地球には宇宙人がいる/きているのだ、ということを描き続けてきて、よくわかんないけど追っかけていく対象だったり、友達になるものだったり、襲ってくるものだったり、古代からずっといるものだったり(まだありそう)するし、それは他のハリウッド映画でも同様なので、映画のフィクションとして”Disclose”したところで、今さらふううん程度でしかないし、そこに重みを持たせるには宗教(キリスト教)的な啓示(覚醒~伝搬~迫害~開示)や象徴(カーディナルも雄鹿も狐も)に重ねて委ねて、でっかいストーリーとして語ってみることだったのでは。

この映画で示される開示がどうして宗教的な認知や啓示の更新に繋がる(懸念のある)おおごとなのか - おおごとと言えるのか、とか、最後に出てくるリンカーンの椅子に座ったあれを、この時期が到来するまで維持したりケアしたりしてきたのはどこのだれだったのか、とか、最後の一言とか、あえてぼかしているところもなー。

MargaretがTVであの声を出して、それがブロードキャストされてしまったことで、他にも同様の人々がいっぱい湧いてくるとか、感応した動物たちがわらわら立ちあがるとか、ノアの箱舟とか、それくらいのスケールのやつを期待したのだが。

ラストで開示されていく映像のなかには『未知との遭遇』のもあった。”Independence Day”のとか”Paul”とかも出てきてほしかったのに。

でも、追いかけっことぐるぐる動きまくるカメラとEmily Bluntがとにかくおもしろい。それだけで十分ではないか。

10.08.2026

[film] Violent Saturday (1955)

9月29日、火曜日の晩、シネマヴェーラの「映画を輝かせるために」特集で見ました。

監督はRichard Fleischer、邦題は『恐怖の土曜日』。90分。 低予算カラーのシネマスコープ。

何度でも書くけど、今回のこの特集が痛快としか言いようがないのは、「映画を輝かせるために」と題されて集められた映画が、ろくでなし、ごろつき、犯罪者など、社会規範から外れたことばかりしている連中のしょうもない所業ばかりを活写した、それ自体が映画文化の端にも引っ掛からなさそうな、一見どこからどうみても「輝かせる」なんておこがましい、そんな作品ばかり(そうじゃないのもあるけど)が並べられていることで、こういうのはずっと街の片隅で、いつでもだらだらと見られるようにしておいてほしい。 ロンドンのPrince Charles Cinemaがやっているようなかんじで。NYのFilm Forumみたいにおいしいポップコーンとキャロットケーキがあって。

銅鉱山がある小さな田舎町に、列車に乗って3人組の銀行強盗(Stephen McNally, Lee Marvin, J. Carrol Naish)がやってくる。銅鉱山の支配人(Richard Egan)は浮気性の妻を抱えてどうしたものか、になっているし、同僚のSherry (Victor Mature)は、よき父親ふうだが、彼の息子は第二次大戦に行かなかった父親を恥じているし、銀行の支配人はしょうもない覗き魔だし、図書館員のElsie (Sylvia Sidney)は借金返済のため盗みを働こうとしている、そんな中に立ちあがる犯罪映画、というよりはふつうにそこらで働く人たちがそれぞれに抱える日々の凸凹のどこか、ある土曜日の昼間に、いきなり銀行強盗が割って入ったらこんな… というアンサンブル劇。

車の乗り継ぎで農家にやってきた強盗たちにSherryひとりが納屋の影から立ち向かおうとして、傍にいた農家のアーミッシュの家族に手伝ってくれ、というが暴力はいけない、って宗教的に断られてしまい、でも、というあたりはたまらない。すべては劇的でもなんでもなく、あっという間のあれよあれよ、で立て続けに起こって、でも元に戻ることはない。亡くなった人は戻ってこないし、旅行の計画は宙に浮いたまま...  後悔まみれのあなたに、だからといってどうしろというのか、を軽く投げてくる。 そんなヴァイオレントな土曜日。

ここから銀行強盗要素を抜いてみたら構造としてどんなふうになるのか、見えるのか、っていうあたりからアルトマンの群像劇は始まったのだろうか、とか。


Suddenly (1954)


9月30日、水曜日の晩に、↑と同じ特集で見ました。
たるいったらない火曜日と水曜日の晩、会社帰りにこんなのばかり見ていたらすべてどうでもよくなってしまう。

監督はLewis Allen、邦題は『三人の狙撃者』。77分。

↑のも、のどかな田舎町で起こった3人組による強奪で、こちらも3人組による狙撃で、見て一週間経ってしまうとどっちがどっちだったか? って混同しがち。 ↑のはLee Marvin vs. Victor Mature、こちらはFrank Sinatra vs. Sterling Hayden、銀行強盗 vs. 大統領狙撃、どちらも金めあて。

冒頭、”Suddenly” っていうのは町の名前なんですよ、って説明が入る。 「いきなり町」。

カリフォルニアのこの小さな町にアメリカ合衆国大統領の列車が停車することになり、駅を見下ろす丘の上に建つBenson家 – 戦争で夫を亡くしたEllen、その幼い息子、義父の3人が暮らす - に大統領到着前の警備チェックを行うFBIの警護官と名乗る3人の男が現れて、でもこいつらが狙撃犯で、そこに本物の大統領の警護官と地元のシェリフのTod (Sterling Hayden)が現れると、連中は簡単に警護官を撃ち殺して、Todも腕を撃たれて、狙撃犯のリーダーのBaron (Frank Sinatra)はテンション高くべらべら喋って家族を脅しながら銃を据え付けたりしていく。

そこにたまたまTVの修理で電気屋が来たり、引き出しにあるおじいちゃんの銃をどうにか、とか、でもどれもこれもうまくいかなくて、駅の方に様子を見に行ったひとりが撃たれて(これはまぬけすぎ)、部屋の中では電気屋が仕掛けたコップの水のびりびりで…

スリリングなところと間抜けなところが絶妙に混在・交錯しつつ、一触即発のクライマックスになだれこむ... わけではなく、どちらかというとBaronのサイコパス設定の方が残ったりするのだが、とにかくぜんぶ予定通りにはいかないSuddenlyで、大統領を乗せた列車みたいに77分がびゅん、て。

Frank Sinatraはやっぱりうまくて、Sterling Haydenとのやりあいとか、たまんないの。

10.07.2026

[film] L'étrange Madame X (1951)

9月28日、月曜日の晩、シネマヴェーラの「映画を輝かせるために」の特集で見ました。
監督はJean Grémillon。 英語題は”The Strange Madame X”、邦題は『迷宮の女』。

Irene (Michèle Morgan)は出版社社長の妻として社交界の華だったが、体面とお金のことばかり気にする夫とは冷めて終わっていて、でも木工所で働く若者Etienne (Henri Vidal)と恋におちてしまい、身分を隠して自分は金持ちのお屋敷で働くメイドである、って嘘をついて、会えない時も仕事の事情で、って断ったり(それは正しいのだが)。

やがてEtienneの子を妊娠してしまったIreneは夫とも相談して隠れて子供を産んで(ちょっと無理あるよね)Etienneに託し、彼はそれをおじさんのとこに預けて、もう結婚しかない結婚したい、と押してくるEtienneにIreneも同意して、夫にもそれを告げる(夫は自分のビジネスにも影響するので当然いやだ、と)。

のだが赤ん坊が突然病気になって、大変な時にIreneがつかまらない – Etienneが思い切って彼女が働いているはずの屋敷に駆けこんだら彼女はメイドではなくゴージャスな衣装(by Pierre Balmain)を纏う女主人で、うそ… とか言っているうちに赤ん坊は亡くなってしまい、Etienneは彼女のもとを去って、彼女は…

『曳き船』もそうだったが、自分のことなんて屁とも思っていない夫のもとで鉄の仮面を被るようになってしまった女が、ようやく素敵な男に出会えた、と思ったのに、その男にもふられることになり、あーあ(でも生きていかなければ)。この、でも生きていかなければ - の冷たさを正面から受けてひとりで立っている姿がかっこいいの。男からすれば自業自得、って言われそうなところを、それがどうしたこれが自分だ、って返して、決して媚びを売ったり泣きついたりしないその面構えの見事なこと。(日本の女優だったら誰だろうか、ってずっと考えている)

映しだされる路地の風景が素敵でさー、通りの奥に向かってずっと走っていく黒猫とか、ベンチで泣き崩れるIreneの少し奥から現れてくる馬車とか、動く絵、としての痺れるようなかっこよさがある。


Remorques (1941)

9月26日、土曜日、シネマヴェーラの特集初日の4本目で見ました。

上映前に蓮實重彦さんのトークつき。ほんとどうでもよさそうな、他愛ないことをおもしろおかしく話して、でも映画の根幹のようなところはちゃんと掬って、枯れて何を言ってもおもしろくなる落語家みたいになってきたなあ、って。彼のこういうプレトークを最初に聞いたのはいつだったか。シネセゾン渋谷での記念碑的な上映となった「生きるべきか死ぬべきか』のオープニングの時だったか? あの時は横に淀川長治さんがいたなあー。 今回でた本、どうせなら『映画千夜一夜』もマージして四巻本とかにしてもよかったのに。

英語題は” Stormy Waters”、邦題は『曳き船』。原作はRoger Vercelの同名小説 (1935)、シナリオ/台詞にはJacques Prévert。監督はJean Grémillon。 もう何遍も見ている。

André (Jean Gabin)は嵐とかで動けなくなった船から救助を求められると海に出ていってロープで引っ張って救助する曳き船の船長で、面倒見もよいので自分の仲間からの信頼も厚くて、冒頭は自分の船の仲間の結婚記念パーティなのだが、雨天で救助依頼が入ったとたんに出て行っちゃうので、妻のYvonne (Madeleine Renaud)は心配で心配で、この晩の活動ではその船にいた船員たちの救助はできたものの、船はそこの船長が嫌なやつで向こうから勝手にロープを切断しやがったので、お金を取りっぱぐれたAndréはそいつを殴り倒す。

救助された船員のなかに、その嫌な船長の妻Catherine (Michèle Morgan)がいて、彼女も夫に愛想をつかしてもうあの船にもあいつのところにも戻らない、と言い張るので、心配になったAndréが気にかけていたら、ふたりは恋におちてしまい、でもその裏でYvonneは病に倒れて…

ずっと大雨で天気が悪かったり揺れまくる船の上だったり、結婚式のすぐ後に新郎が指切断とか、不倫に死別に「呪われた映画」ここにありー、としか言いようがないのだが、「曳き船」そのものが絶望のなかの光として現れるように、彼らが苦しんでどうしようもない状況にこそ生がばちばちと叩き出されてくる。 吹きっさらしの階段に容赦なく叩きつけられる雨のようなあれらがどうにもすごいったらなくて、名画を見る感動とは別に、生きていくのは大変だなー、の重さがじっとりやってくるの。 もちろん、「曳き船」なんて来てくれない…

[film] La venue de l'avenir (2025)

9月27日、日曜日の午後、『眺めのいい部屋』のあと、ヒューマントラストシネマ有楽町に移動して見ました。

英語題は”Colours of Time” - 邦題は『モネと時間旅行』。 客寄せだろうけど、「モネ」の名前を出すのはどうかと思うし、時間旅行をする話でもない、原題をそのまま翻訳すると「未来の到来」。 監督はCédric Klapisch。

現代のフランスの郊外の宝探しと、ベルエポック時代のル・アーブル/パリでの親探しの話が交互に行ったり来たりしていく。

現代の方では、巨大なショッピングモール建設計画の予定敷地内にある1944年から誰も中に入っていない家屋の取り壊し承認を得るために、その家を所有していたAdèle (Suzanne Lindon)の子孫たちが不動産会社によって大量に集められて説明会が開かれ、建設の邪魔になるので潰しちゃってよいでしょうか? って問うて、でもその家の中に何があるのか誰も知らないので、Adèleの直系の親族から4人の代表 - 教師のAbdelkrim (Zinedine Soualem), コンテンツ写真家Seb (Abraham Wapler), 会社の偉いひとCéline (Julia Piaton), 養蜂家のGuy (Vincent Macaigne)が選ばれて、初めて対面する4人が互いの腹のなかと家のなかを探っていく。

これと並行して、19世紀では、その同じ村のその家を出て列車と船を乗り継いでひとり母親探しにパリへと向かうAdèleの姿が描かれる。 Adèleに向けて生活費の仕送りだけはしてくれている母親を訪ねるべく公証人のところで住所を聞いて行ってみたらそこは娼館で、客の相手をしている母Odette (Sara Giraudeau)を見ていたたまれなくなって、旅の始めに出会った青年2人のモンマルトルの下宿に転がりこんで、せっかく来たのでしばらく滞在してみることにする。サラ・ベルナールなどにも会えたりするし。

現代の方では家の壁に貼ってある大量の古い写真とか油絵とかカンバス布に赤い線とか、アートっぽいものが見つかるが専門家でもないのでほぼガラクタにしか見えなくて、破棄してよいものか、になっていくのと、Adèleの方は改めてきちんと母と対面して、自分の父親は誰? と聞いてみたら、ふたりの候補がいると。 ひとりは写真家のナダール、もうひとりが画家の…

ここまで来たら、Adèleの家にあれらがどういう経緯で遺されていたのか、というのと彼女の父親はどちらなのか、を詰めていくのかと思ったら、4人が薬草 – やはりVincent Macaigne持ち込み – でナダールのアトリエで開かれた第1回印象派展のサロンにタイムスリップするとか、父親については、うーんこっちじゃない気がするとか、その程度のもので、それなら『マンマ・ミーア!』みたいな楽しいバカコメディにしちゃえばよかったのに。(最初からその程度に軽く見るべきだった?)

当たり前だけど、誰にでも親がいて祖先がいて、それらはずっと繋がっていて過去でも今でも未来に向かって開かれているのだ、というだけの話が、モネの絵とかショッピングセンターとか、結局お金とか資産の話から切り出されていくのはしょうがないのか。落ちるところが「あなたの大切な資産をお守りします」みたいな話になるのがどうにも。

結局Adèleはどっちの男と結婚したのか、とか、あの絵は結局慰謝料なんだから親族全員で分配すべきではないか(→戦争)、とかそういうぐだぐだに向かっていった方が楽しくなったのではないか。

それか、Adèleの父親(候補)がRenoirだったら、Cézanneだったら、Manetだったら、果たしてどんな絵が遺されただろうか、彼女の運命も変わったのではないか、とか。

それか、実はあの家のなかでAdèleの遺体が見つかって、それを見つけた親族も殺されて、現場に遺された絵具のタッチから犯人を捜してみよう! とか。

Vincent Macaigneがいなかったらどうなっていたことか。

10.06.2026

[film] A Room with a View (1985)

9月27日、日曜日の昼、ル・シネマの7階で見ました。 4Kリストアされた『眺めのいい部屋』。

封切り時には当然シネマライズに並んで見た。今にして思えばバカみたいだが、誰もがStyle Councilの”Shout to the Top” (1984)の12inchの裏ジャケットの世界に繋げて夢と理想を見つめてうっとりしていた季節。 約40年後、これのリストア版を文化が隅々まで粉微塵に駆逐されてゴミそのものと化してしまったその同じ街の、家電量販店の上階なんかで見ることになろうとは。映画なんかよりも街をまるごとリストアしてくれないものか。

原作はE. M. Forsterによる同名小説 (1908)、監督はJames Ivory、製作はIsmail Merchant率いるMerchant Ivory Productions。このプロダクションについては、2024年のドキュメンタリー映画 - ”Merchant Ivory”で歴史も含めて詳しく綴られていて、裏側の事情などもすごくおもしろいので見る機会があったら是非。

この後の“Maurice” (1987)や“Howards End” (1992)といったもう少し文芸作っぽくなる映画よりもふわふわぼーっとしているかも。「眺めのいい部屋」では、窓の向こうに広がる眺めを楽しむべきなのか、そうして置かれた部屋そのものを楽しむべきなのか揺れてしまうのと同じように、主人公のLucy Honeychurch (Helena Bonham Carter)は、結局あんた、どこで、だれと、なにをしたいのよ ?! の山や谷間で揺れまくって、とにかく落ち着かない。親戚のおばちゃんになってそんな彼女を眺めているだけの約2時間。

1907年、Lucyは年長の従姉妹であるCharlotte Bartlett (Maggie Smith)と一緒にフィレンツェのペンションに滞在していて、ふたは当初約束されていたアルノ川を望む眺めのよい部屋でなかったことに落胆して、それでぶつぶつ騒いで呪っていたら、なにをして生きているのか不明なMr. Emerson (Denholm Elliott)とGeorge (Julian Sands)の父子が自分たちの部屋と交換してあげましょう、と言ってきてそんなのいいのどうするの?って揺れるのだが交換して、でもそんな翌日、広場の喧嘩で男が殺されるところを目撃して気を失ったLucyをGeorgeが助けてくれて、その後、小説家のEleanor Lavish (Judi Dench)を含むイギリス人一同の遠出で、GeorgeがLucyに情熱的なキスしているのを見てしまったCharlotteは、これは母親とかに言ってはいけません、旅もこれで終わり、ってイギリスに帰ってしまう。

イギリスのサリーに戻ったLucyは冷淡で尊大で身分以外に取り柄のなさそうなCecil Vyse (Daniel Day-Lewis)からプロポーズされて、お家も身上も安泰になるから、とあっさり受けて、一応これでめでたしになると思ったら、Cecilの嫌味でEmerson父子が近所のコテージに滞在することを知って…

誰が誰を見初めたくっついたはなれたを内なるエモの暴走と想定壁への激突と諦めの一人称のなかに楽しく描いていくJane Austenも楽しいが、ここでのLucyの「部屋」と「眺め」を巡る一筋縄ではいかない、外面からはあまり窺うことのできない呻きや爆発、などが見事で素敵で、この辺は公開時に見た時には(自分が未熟すぎて)見えていないところだったなあ、って。Helena Bonham Carterの自在に伸縮して溢れだす髪の毛の見事なこと。

彼女の内側に張られた糸が惑いながら解れて回りだすイタリア-フィレンツェの眺め、それはイギリスの都市や田園のそれとは違うものだった、というのは実際に行ってあの川とかドゥオモとかを見て思い知るようなことで、その眺めのよさって、単に内から外を眺めるだけのものではなかったのだなー、って。

あと、Maggie SmithとJudi DenchとHelena Bonham Carterの3人が同じ画面に入っている、ってなんだかたまんなかった。

あと、Julian SandsとDaniel Day-Lewisの殴り合いとか素裸の水浴とか、あってほしかったかも。(Bridget Jones以降の)

10.05.2026

[film] The Spikes Gang (1974)

9月26日、土曜日の昼、シネマヴェーラで新しく始まった特集 『『映画を輝かせるために -蓮實重彦 山田宏一 山根貞男 映画談義集成』刊行記念特集』で見ました。

サイン本も欲しかったので早めに行って並んで、しょうもない雨であんま外に出たくないし特にすることもないし夕方にはトークもあったし、この日はここで4本見た。やっぱりつかれた。

今回の特集は、本の刊行記念 - 出たばかりの本に絡んで特集されたものなのだが、読んでいないからといって見るのを躊躇するかというともちろんそんなことはない、その逆で、「映画を輝かせるために」あらゆる言葉、映画史の知見を駆使してきた3人によって世にでた本、それに因んだ特集のために選ばれた作品なんて問答無用で輝いているに決まっているので、端から見ていくしかない。 実際にどれを見たってすごいし、時間も1時間半くらいのが殆どなので、平日の仕事帰りに引っかけるのに丁度よいの。

邦題は『スパイクス・ギャング』、これのスチールが今回の特集のカバーになっている。
原作はGiles Tippette による”The Bank Robber”、監督はRichard Fleischer。カラーの西部劇。
今回の特集のどれもが、みんなが知っているクラシックというより、半端でお金かけてなさそうなB級ばかりで、原作とか撮影とか音楽とかは知らない人ばかり、知らなくたってこんなにもすごいのかー、この勢いはなに? ばっかり。めちゃくちゃうまい3ピースバンドの3分間の演奏にぶっとばされる、そんなのばっかり。

Harry Spikes (Lee Marvin)は西部開拓時代の終わりを生きる老いた銀行強盗で、名は知られているががたがたで、冒頭に血まみれで死にかけているところを3人の小僧 – Wil (Gary Grimes), Les (Ron Howard – あのRon Howardね), Todd (Charles Martin Smith) – に助けられ治療をしてもらって食べ物ももらって、3人は謝礼とか受けとらなくて、Harryはこの恩は忘れねえ、と言って彼方に消える。

やがてWilは粗暴な父親からの暴力に耐えられなくなって家を出ると、あとの2人も彼についてきてみんなで放浪の旅に出て、お金がなくなったので見よう見まねで銀行強盗をしたらTodが人を殺してしまい、Lesはお金を落として、殺した相手が州の上院議員だったので全員が重めのお尋ね者になってしまうのだが、とにかくメキシコに流れ着く。

メキシコでも不器用で警察にしょっぴかれて、そこにたまたま通りかかったSpikeに助けてもらって、この時はそれだけで、まっとうな生活に戻ろうとするのだが、次にまたSpikeと会うと、自分とこのギャングにならないか、と言ってくる。

で、予行練習のような銀行強盗でも失敗して、Todが背中を撃たれて、Spikeは彼を捨てて逃げろ、というのだが2人は拒んで動かないのでSpikeは呆れて彼らから離れて、亡くなったTodの埋葬をしているところをまた襲われて、とにかくまったくついてなくて、そのうち改めてSpikeとも対峙するのだが、結局みんな…

そもそもがろくでなしのSpikes Gang – よれよれの年寄りと3人のガキ、が鈍かったり未熟だったりで全員散ってしまうしょうもないお話なのだが、印象はとても爽やかな青春劇のように瑞々しく、あまりにさらさら風となって消えてしまうのでなんだったのだろう、って3人とじじいの像がずっと残る。果たしてこんなの「西部劇」と呼ぶことが許されるのか、任侠モノのようにべったりしていなくて、女っけゼロで、そこらの道端に転がっていそうで、誰もあとで思いださないまま風に消える。 でも映画ったら、こんなふうにー。


The Rise and Fall of Legs Diamond (1960)

9月26日、↑のに続けて見ました。この2本はどういう事情か知らないけど特別料金設定(1600円)。
邦題は『暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド』、監督はBudd Boetticher。

こちらは西部劇ではなくて都会のギャングもの。1920年代のNYで、チンピラ小悪党のJack Diamond (Ray Danton)は宝石店からネックレスを盗むためにそこにいたダンス教師のAlice (Karen Steele)に近づいて、しょっぴかれたりするものの、ちっとも懲りなくて、戻ってから口八丁手八丁でギャングの用心棒になって、密造酒、麻薬、賭博といったあらゆる利権を自分の好きなようにすべく動き回って、親分が亡くなった後は勝手に引き継いで大股でやりたい放題を始めるのだが、当然敵もわらわら湧いてきて…

これも↑の西部劇と同様、暗いところがちっともない、でも陽気でバカなわけでもない、最後にAliceが彼について語る「彼は多くの人に愛されたけれど、誰のことも愛さなかった」姿そのもの、その空っぽさ、穴の輪郭が鮮やかに残るの。 ”The Spikes Gang”とはあらゆるところで対照的な。

[music] ROUGH TRADE 50

イギリスのインディペンデント・レーベルRough Tradeの設立50周年を記念して、同レーベルに所属する最近のバンド2つのライブと創業者のGeoff Travis、Jeannette Leeが来日してレクチャーとDJをするというので行くしかないと思った。

10月2日、東京藝大でのレクチャーの冒頭で司会のおじいさんも語っていたが、1980年のThe Pop Group の”For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?”と翌81年に出た日本編集のオムニバス - “Clear Cut”は自分の物の見方とか世界への関わりかたをすっかり変えてしまった。当時はもちろん他にもいろいろあったが、Rough Tradeのとっ散らかった音がイギリスの、メジャーなわけではない、インディペンデントから来た、というのも大きくて、当時聴いていたPILとかSlitsとかと合わせて、当時の他のインディペンデント - Factory, Cherry Red, 4AD, Mute, Stiff, CRASS, なども含めて自分のイギリス熱を決定的なものにした(のはパンクよりもこちらの方だった)。

2人ともものすごくわかりやすい英語で、まずはGeoffのCity Lights Bookstoreの話は嬉しかった。あそこの地下フロアの哲学書と音楽本があるところが身悶えするくらい好きなの。

あと、まずディストリビューション(ネットワーク)から考えた、というところの正しさ。レーベルのカラーのようなのを前面に出す、というよりStep-ForwardとかPostcardとかPianoとか更に小さいところを繋いでいって、だから例えば、ポストパンクとは? と問われたら最初の”Clear Cut”の12曲を通しで聴いてみればよいのだし、今回の50thで復刻されている初期の7inchもその適度なばらけ具合がたまらない。

Jeannetteの子供の頃からMotownをずっと聴いていた、というところもすてき。一番聞きたかったのは講堂のスクリーンにもジャケット写真が大写しされたPILの”The Flowers of Romance” (1981)のどこにどう関わったのか、出かける前にこの時期に彼女がバンドの周辺を撮ったポラロイドの写真集 - “Private Image” (2017)を振り返っておこう、と思ったのだが、山の奥に埋もれていて出てきてくれなかった。

ただ、全体として、1時間半はあまりに時間なさすぎ。設立当初〜Jeannette加入時の話題からいきなりThe Smithsに飛んでしまうのはあまりにも。Young Marble Giants周辺、The Raincoats周辺、Scritti Politti周辺が当時のGeoffからどう見えていたのか、そこから彼の政治的な立ち位置がそれなりに見えて、それはそのままポストパンクをポストパンクたらしめた当時の視座、のようなものに繋がるはず、と思っていたのだが。あと3時間は語って欲しかったかも。

あと現在の主にロンドンにある、店舗としてのRough Tradeが今後どうなっていく/どうしたいのかも聞きたかった。マイナーなのとか重箱の隅系は年2回のRecord Store Dayと通販でどうにかなってしまっている昨今、イベントスペース提供とスタンダードな本とレコードを中心とした地元の発信地、のようなのでよいのか? - それでもあの居心地のよさは十分に素敵なのだけど。

10月1日、O-Eastのライブの合間のふたりのDJはリラックスした楽しいものだった。どうしても曲当てクイズみたいになりがちで、そういうとこも含めて。

ふたつのバンド、最初のMy New Band Believeも次のCarolineのライブ、SNSなどを見るとみんな大絶賛なのだが、自分にはあんま来なかったかも。

どちらも長めの、ストーリーを意識したような曲構成、フリージャズのような対話即興を交えつつ終盤に向けて盛りあがっていって、無邪気に真摯に音楽をとっても愛して取り組んでいることはわかるのだが、それならクラシックやジャズやプログレと同じで、自分にとってのRough Tradeの音は、そんな音楽、意識的なとこも含めたロックのありようとか態度とか愛とかに斜め左からばーか、ってやる音たちだったので。

あと、どちらの音にも、とにかく新しいなにか、得体の知れない、怪しいなにかがまるで感じられなかった。これは自分が鈍くなっているだけなのだろうが、むかしにGodspeed You! Black Emperorあたりで聴いたような壁の質感、最近のなんでもシューゲイザー(もどき)と同じような包み込んだもんがち、みたいなのしか。音楽が好きなんだようー なのはとてもよくわかったけど。