9月27日、日曜日の昼、ル・シネマの7階で見ました。 4Kリストアされた『眺めのいい部屋』。
封切り時には当然シネマライズに並んで見た。今にして思えばバカみたいだが、誰もがStyle Councilの”Shout to the Top” (1984)の12inchの裏ジャケットの世界に繋げて夢と理想を見つめてうっとりしていた季節。 約40年後、これのリストア版を文化が隅々まで粉微塵に駆逐されてゴミそのものと化してしまったその同じ街の、家電量販店の上階なんかで見ることになろうとは。映画なんかよりも街をまるごとリストアしてくれないものか。
原作はE. M. Forsterによる同名小説 (1908)、監督はJames Ivory、製作はIsmail Merchant率いるMerchant Ivory Productions。このプロダクションについては、2024年のドキュメンタリー映画 - ”Merchant Ivory”で歴史も含めて詳しく綴られていて、裏側の事情などもすごくおもしろいので見る機会があったら是非。
この後の“Maurice” (1987)や“Howards End” (1992)といったもう少し文芸作っぽくなる映画よりもふわふわぼーっとしているかも。「眺めのいい部屋」では、窓の向こうに広がる眺めを楽しむべきなのか、そうして置かれた部屋そのものを楽しむべきなのか揺れてしまうのと同じように、主人公のLucy Honeychurch (Helena Bonham Carter)は、結局あんた、どこで、だれと、なにをしたいのよ ?! の山や谷間で揺れまくって、とにかく落ち着かない。親戚のおばちゃんになってそんな彼女を眺めているだけの約2時間。
1907年、Lucyは年長の従姉妹であるCharlotte Bartlett (Maggie Smith)と一緒にフィレンツェのペンションに滞在していて、ふたは当初約束されていたアルノ川を望む眺めのよい部屋でなかったことに落胆して、それでぶつぶつ騒いで呪っていたら、なにをして生きているのか不明なMr. Emerson (Denholm Elliott)とGeorge (Julian Sands)の父子が自分たちの部屋と交換してあげましょう、と言ってきてそんなのいいのどうするの?って揺れるのだが交換して、でもそんな翌日、広場の喧嘩で男が殺されるところを目撃して気を失ったLucyをGeorgeが助けてくれて、その後、小説家のEleanor Lavish (Judi Dench)を含むイギリス人一同の遠出で、GeorgeがLucyに情熱的なキスしているのを見てしまったCharlotteは、これは母親とかに言ってはいけません、旅もこれで終わり、ってイギリスに帰ってしまう。
イギリスのサリーに戻ったLucyは冷淡で尊大で身分以外に取り柄のなさそうなCecil Vyse (Daniel Day-Lewis)からプロポーズされて、お家も身上も安泰になるから、とあっさり受けて、一応これでめでたしになると思ったら、Cecilの嫌味でEmerson父子が近所のコテージに滞在することを知って…
誰が誰を見初めたくっついたはなれたを内なるエモの暴走と想定壁への激突と諦めの一人称のなかに楽しく描いていくJane Austenも楽しいが、ここでのLucyの「部屋」と「眺め」を巡る一筋縄ではいかない、外面からはあまり窺うことのできない呻きや爆発、などが見事で素敵で、この辺は公開時に見た時には(自分が未熟すぎて)見えていないところだったなあ、って。Helena Bonham Carterの自在に伸縮して溢れだす髪の毛の見事なこと。
彼女の内側に張られた糸が惑いながら解れて回りだすイタリア-フィレンツェの眺め、それはイギリスの都市や田園のそれとは違うものだった、というのは実際に行ってあの川とかドゥオモとかを見て思い知るようなことで、その眺めのよさって、単に内から外を眺めるだけのものではなかったのだなー、って。
あと、Maggie SmithとJudi DenchとHelena Bonham Carterの3人が同じ画面に入っている、ってなんだかたまんなかった。
あと、Julian SandsとDaniel Day-Lewisの殴り合いとか素裸の水浴とか、あってほしかったかも。(Bridget Jones以降の)
10.06.2026
[film] A Room with a View (1985)
10.05.2026
[film] The Spikes Gang (1974)
9月26日、土曜日の昼、シネマヴェーラで新しく始まった特集 『『映画を輝かせるために -蓮實重彦 山田宏一 山根貞男 映画談義集成』刊行記念特集』で見ました。
サイン本も欲しかったので早めに行って並んで、しょうもない雨であんま外に出たくないし特にすることもないし夕方にはトークもあったし、この日はここで4本見た。やっぱりつかれた。
今回の特集は、本の刊行記念 - 出たばかりの本に絡んで特集されたものなのだが、読んでいないからといって見るのを躊躇するかというともちろんそんなことはない、その逆で、「映画を輝かせるために」あらゆる言葉、映画史の知見を駆使してきた3人によって世にでた本、それに因んだ特集のために選ばれた作品なんて問答無用で輝いているに決まっているので、端から見ていくしかない。 実際にどれを見たってすごいし、時間も1時間半くらいのが殆どなので、平日の仕事帰りに引っかけるのに丁度よいの。
邦題は『スパイクス・ギャング』、これのスチールが今回の特集のカバーになっている。
原作はGiles Tippette による”The Bank Robber”、監督はRichard Fleischer。カラーの西部劇。
今回の特集のどれもが、みんなが知っているクラシックというより、半端でお金かけてなさそうなB級ばかりで、原作とか撮影とか音楽とかは知らない人ばかり、知らなくたってこんなにもすごいのかー、この勢いはなに? ばっかり。めちゃくちゃうまい3ピースバンドの3分間の演奏にぶっとばされる、そんなのばっかり。
Harry Spikes (Lee Marvin)は西部開拓時代の終わりを生きる老いた銀行強盗で、名は知られているががたがたで、冒頭に血まみれで死にかけているところを3人の小僧 – Wil (Gary Grimes), Les (Ron Howard – あのRon Howardね), Todd (Charles Martin Smith) – に助けられ治療をしてもらって食べ物ももらって、3人は謝礼とか受けとらなくて、Harryはこの恩は忘れねえ、と言って彼方に消える。
やがてWilは粗暴な父親からの暴力に耐えられなくなって家を出ると、あとの2人も彼についてきてみんなで放浪の旅に出て、お金がなくなったので見よう見まねで銀行強盗をしたらTodが人を殺してしまい、Lesはお金を落として、殺した相手が州の上院議員だったので全員が重めのお尋ね者になってしまうのだが、とにかくメキシコに流れ着く。
メキシコでも不器用で警察にしょっぴかれて、そこにたまたま通りかかったSpikeに助けてもらって、この時はそれだけで、まっとうな生活に戻ろうとするのだが、次にまたSpikeと会うと、自分とこのギャングにならないか、と言ってくる。
で、予行練習のような銀行強盗でも失敗して、Todが背中を撃たれて、Spikeは彼を捨てて逃げろ、というのだが2人は拒んで動かないのでSpikeは呆れて彼らから離れて、亡くなったTodの埋葬をしているところをまた襲われて、とにかくまったくついてなくて、そのうち改めてSpikeとも対峙するのだが、結局みんな…
そもそもがろくでなしのSpikes Gang – よれよれの年寄りと3人のガキ、が鈍かったり未熟だったりで全員散ってしまうしょうもないお話なのだが、印象はとても爽やかな青春劇のように瑞々しく、あまりにさらさら風となって消えてしまうのでなんだったのだろう、って3人とじじいの像がずっと残る。果たしてこんなの「西部劇」と呼ぶことが許されるのか、任侠モノのようにべったりしていなくて、女っけゼロで、そこらの道端に転がっていそうで、誰もあとで思いださないまま風に消える。 でも映画ったら、こんなふうにー。
The Rise and Fall of Legs Diamond (1960)
9月26日、↑のに続けて見ました。この2本はどういう事情か知らないけど特別料金設定(1600円)。
邦題は『暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド』、監督はBudd Boetticher。
こちらは西部劇ではなくて都会のギャングもの。1920年代のNYで、チンピラ小悪党のJack Diamond (Ray Danton)は宝石店からネックレスを盗むためにそこにいたダンス教師のAlice (Karen Steele)に近づいて、しょっぴかれたりするものの、ちっとも懲りなくて、戻ってから口八丁手八丁でギャングの用心棒になって、密造酒、麻薬、賭博といったあらゆる利権を自分の好きなようにすべく動き回って、親分が亡くなった後は勝手に引き継いで大股でやりたい放題を始めるのだが、当然敵もわらわら湧いてきて…
これも↑の西部劇と同様、暗いところがちっともない、でも陽気でバカなわけでもない、最後にAliceが彼について語る「彼は多くの人に愛されたけれど、誰のことも愛さなかった」姿そのもの、その空っぽさ、穴の輪郭が鮮やかに残るの。 ”The Spikes Gang”とはあらゆるところで対照的な。
[music] ROUGH TRADE 50
イギリスのインディペンデント・レーベルRough Tradeの設立50周年を記念して、同レーベルに所属する最近のバンド2つのライブと創業者のGeoff Travis、Jeannette Leeが来日してレクチャーとDJをするというので行くしかないと思った。
10月2日、東京藝大でのレクチャーの冒頭で司会のおじいさんも語っていたが、1980年のThe Pop Group の”For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?”と翌81年に出た日本編集のオムニバス - “Clear Cut”は自分の物の見方とか世界への関わりかたをすっかり変えてしまった。当時はもちろん他にもいろいろあったが、Rough Tradeのとっ散らかった音がイギリスの、メジャーなわけではない、インディペンデントから来た、というのも大きくて、当時聴いていたPILとかSlitsとかと合わせて、当時の他のインディペンデント - Factory, Cherry Red, 4AD, Mute, Stiff, CRASS, なども含めて自分のイギリス熱を決定的なものにした(のはパンクよりもこちらの方だった)。
2人ともものすごくわかりやすい英語で、まずはGeoffのCity Lights Bookstoreの話は嬉しかった。あそこの地下フロアの哲学書と音楽本があるところが身悶えするくらい好きなの。
あと、まずディストリビューション(ネットワーク)から考えた、というところの正しさ。レーベルのカラーのようなのを前面に出す、というよりStep-ForwardとかPostcardとかPianoとか更に小さいところを繋いでいって、だから例えば、ポストパンクとは? と問われたら最初の”Clear Cut”の12曲を通しで聴いてみればよいのだし、今回の50thで復刻されている初期の7inchもその適度なばらけ具合がたまらない。
Jeannetteの子供の頃からMotownをずっと聴いていた、というところもすてき。一番聞きたかったのは講堂のスクリーンにもジャケット写真が大写しされたPILの”The Flowers of Romance” (1981)のどこにどう関わったのか、出かける前にこの時期に彼女がバンドの周辺を撮ったポラロイドの写真集 - “Private Image” (2017)を振り返っておこう、と思ったのだが、山の奥に埋もれていて出てきてくれなかった。
ただ、全体として、1時間半はあまりに時間なさすぎ。設立当初〜Jeannette加入時の話題からいきなりThe Smithsに飛んでしまうのはあまりにも。Young Marble Giants周辺、The Raincoats周辺、Scritti Politti周辺が当時のGeoffからどう見えていたのか、そこから彼の政治的な立ち位置がそれなりに見えて、それはそのままポストパンクをポストパンクたらしめた当時の視座、のようなものに繋がるはず、と思っていたのだが。あと3時間は語って欲しかったかも。
あと現在の主にロンドンにある、店舗としてのRough Tradeが今後どうなっていく/どうしたいのかも聞きたかった。マイナーなのとか重箱の隅系は年2回のRecord Store Dayと通販でどうにかなってしまっている昨今、イベントスペース提供とスタンダードな本とレコードを中心とした地元の発信地、のようなのでよいのか? - それでもあの居心地のよさは十分に素敵なのだけど。
10月1日、O-Eastのライブの合間のふたりのDJはリラックスした楽しいものだった。どうしても曲当てクイズみたいになりがちで、そういうとこも含めて。
ふたつのバンド、最初のMy New Band Believeも次のCarolineのライブ、SNSなどを見るとみんな大絶賛なのだが、自分にはあんま来なかったかも。
どちらも長めの、ストーリーを意識したような曲構成、フリージャズのような対話即興を交えつつ終盤に向けて盛りあがっていって、無邪気に真摯に音楽をとっても愛して取り組んでいることはわかるのだが、それならクラシックやジャズやプログレと同じで、自分にとってのRough Tradeの音は、そんな音楽、意識的なとこも含めたロックのありようとか態度とか愛とかに斜め左からばーか、ってやる音たちだったので。
あと、どちらの音にも、とにかく新しいなにか、得体の知れない、怪しいなにかがまるで感じられなかった。これは自分が鈍くなっているだけなのだろうが、むかしにGodspeed You! Black Emperorあたりで聴いたような壁の質感、最近のなんでもシューゲイザー(もどき)と同じような包み込んだもんがち、みたいなのしか。音楽が好きなんだようー なのはとてもよくわかったけど。
10.02.2026
[film] Bob Trevino Likes It (2024)
9月14日、水曜日の晩、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
作・監督はTracie Laymon。2024年のSXSWでプレミアされて、Grand JuryとAudience Awardを受賞している。邦題は『私たちはちょうどいい。』 ... 「ボブ・トレヴィーノはいいね!をしました」でいいじゃん。なにと比べて、どう「ちょうどいい」というのか?
冒頭、Lily (Barbie Ferreira)がスマホを握りしめて、彼が間違って別の女性に向けて出したべろべろメッセージを読んでぼろぼろ泣いていて、向こうが「ごめんごめん」ていうので、「ううん、いいのよ」ってお人好しふうに言ってから「あーおわった」って更に泣く。
障害者のDaphne (Lauren "Lolo" Spencer)と暮らしながら彼女のケアをしているLilyは父親のBob Trevino (French Stewart)と会って自分の失恋のことを言っても父親は老人ホームで自分に向かってくる女性の話ばかりしているし、癒されるべくセラピーに向かっても、子供時代のことを話したらセラピストに泣かれてしまう(くらいひどい境遇であったと)。
父親Bobのデートについていって、相手の女性を怒らせてしまってから父親は彼女を置き去りにして(この父親がぜんぶ悪いのにひどすぎ)、なんとか彼との関係を修復すべくコンタクトを取らなきゃ、とFacebookを開いて、見つけたBob Trevinoに友達申請をしたら、「承認」が来たのでほっとするが、こいつは全く別、アカの他人のBob Trevino (John Leguizamo)なのだった…
彼は隣のインディアナ州に住む建築現場のマネージャーで、仕事もちゃんとするけどちょっと気難しいので友達もいなくて、間違いに気付いた後もLilyが送ってくるどうでもいいメッセージや投稿に「いいね」をぽつぽつしてくれるようになって、やがてチャットも楽しんで、Bobの妻のJeannie (Rachel Bay Jones)も最初はフェイクに騙されているんじゃないか、と疑うのだが、彼がなんだか楽しんでいるようなので放っておく。
Daphneが詰まらせてしまったトイレでどうしようもなくなった件のヘルプでやってきたBobとLilyは初めて対面して、BobはLilyの生活能力のなさに愕然としていろいろ教えてくれたり、Bobのことを冗談で「パパ」と呼んだら動揺した背景に彼は息子を亡くしていたことがわかったり、実父のせいで犬を飼えなかった彼女を保護施設につれていってあげたり、際どいところを行くようなほんわかしたエピソードが続いて、John Leguizamoだし、最後のほうにとっておきのが、と思っていたら…
もちろんとっておき、なのかもしれないが、いきなりあんなふうになるとは思わず、ペルセウス座流星群とかスクラップブックとかLilyの詩とか小道具がいっぱいあるので、なんかずるいや、のかんじもした。昔だったら手紙とか、近年だったら”You've Got Mail” (1998)の電子メールから始まっていった何かが、”Like”のクリックひとつのやりとりから始まって、その奥というか向こうの分厚いスクラップブックに溜まっていくまで、をrom-comを回避するかのように積みあげて、あそこまで持っていくのはたいしたもんかも。あ、でもLily役のBarbie Ferreiraがよすぎるだけかも。
監督の身に実際にあった話で、ショートフィルムの企画をやさしかったBobに伝えようとしたらああなっていたことを知って、そこからいろいろあってこの映画になったのだそう。ちょっといい話、というよりはもう少しおもしろく、深い。
それにしてもひどすぎる彼女の父親、最後にソーシャルでぼこぼこにされればよいのに、と思ったのだが、それはなくてただ視界から外す、みたいな消し方もよかったかも。
10.01.2026
[film] Mr. Nelson, Did You Kill People? (2026)
ロンドン行く前に見て、書いていなかったやつなどから。
9月13日、日曜日の昼、kino cinema新宿で見ました。
邦題は『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』 - これはどちらかというと洋画枠だと思うので。
この時も満席で、その状態が続いているらしいのは裏事情があるにせよないにせよ、よいこと。結果的にヒットすればもっとよいこと。とにかく多くのひとが見ればそれで。
原作はAllen Nelsonによる同名の手記、脚本・撮影・監督は塚本晋也、9月のヴェネツィアでプレミアされて、Leoncino d'Oro Award(イタリアの高校生たちが審査員となる)を受賞している。
元海兵隊員でベトナム戦争の退役軍人のAllen Nelsn (若い頃Mark Merphy、少し歳をとってからRodney Hicks)は、復員後NYで猫と暮らしているが明らかにPTSDで大きな物音がするとパニックを起こして倒れてしまう。ある日、高校の同窓生と再会して、小学校で教師をしている彼女から戦争体験について子供たちの前で話してくれないか、と乞われて、最初は断るのだが、子供たちの手紙をみてやってみることにして、なんとか自分の体験を話して、でもその最後に子供から「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と尋ねられると…
そこから数年後、Allenは妻のLinda、彼女の連れ子のSeanと暮らしてDr. Daniels (Geoffrey Rush)の元で治療を続けていて、そこで自分の過去を語る。暴力的だった元軍人の養父の元で育ったこと、そこから逃れるように海兵隊に入って、戦地ベトナムに派遣され、そこから先は凄惨な戦争 – 殺し合いの現場の描写が延々続いていく。それを治療とは言え記憶を掘って医師に語るのはものすごいストレスなのだが、治療の終わりにDr. Danielsは「なぜ人を殺したのか?」と聞うてきて、Allenは目を背けるように「戦争だった。殺さなければ自分が殺されてしまう」とか「上からの命令だった」とかどうにか返すのだが、その問いは彼にとって銃を突きつけられるような地獄で、でもDanielsは静かに、何度でも同じ問いを繰り返す。
戦時の前線での描写はいつもの塚本映画のそれで、恐怖を煽ってそれを重低音のように引き摺って目を背けさせない、ディゾルブの多用も含めて感覚にダイレクトにくるのはしんどいのだが、これと併せて彼が現地の子供たちと仲良くなって遊んだりする場面も描かれて、でも、それでもAllenは人を殺しているんです - こんなふうに、というところに戻っていく。
『野火』 (2014)の暴力が理性の崩壊の果てに現れるようなかたちを取っていたのに対して、ここでの暴力は理性を維持させようとする軍のシステムのもとで正当化され、でもどっちにしても人は殺されて、殺された人々は田村やAllenのように生き残る - 生き残って苦しむことはない。ただ消える。地獄はどっちの側に。
死のうが生き残ろうがどっちにしても救われない、戦争とは表向きは国と国がやるものだから、でもそれは地面の上で(or 空の上から)人が人を殺すということなのだ、とゆっくりと引き摺りおろすように告げる。 戦争が、でも軍が、でもなく主語は「自分」なのだと。
このやり方でいったら、例えばアメリカ人の社会のそこそこの地位にあって「よいひと」「頼りになる人」の半分くらいは人殺しになってしまうのかもしれないし、自分らの先祖だって人殺しだらけなのかもしれない、だって人類の歴史は戦争と共にあったのだから… という形で「そういうもんだ」と言うのをもうやめよう/やめるべきだ、ということを切々と訴えているのだと思った。
だってもうリモートで手を汚さずいくらでも大量に簡単に人を殺せるようになって、核兵器の所持や使用について政治家がカジュアルに口にするようになって、ガザであれだけ子供たちが殺されているのに誰もちっとも動かないし。 これらのメッセージに対して「不快感」とかのたまう腐った連中もな.. (まっくら)
もう始まっているのだろうが、AIが人の代わりに人を殺すようになったら、こんな問いは成立しなくなってしまうだろう。そうなってしまう前に。
9.30.2026
[log] London そのた
ここまでで書いてきた以外の展覧会など。10月から始まるあれこれの谷間で、数はそんなになかった。
一番の誤算だったのはBritish Museumでの”The Bayeux Tapestry”で、メンバーでも時間ごとでの予約が必須だったこと。次の予約のオープン時にどうにかするのかしないのか…
James McNeill Whistler @ Tate Britain
9月21日、月曜日の午後、Tate Britainで見ました。チケットをいちいち買うのが面倒なのでTateはメンバーシップを更新してしまった。
アメリカで生まれてイギリスで活動したJames McNeill Whistler (1834-1903)の大規模回顧展。
アメリカ人がラファエル前派と日本美術とクールベを混ぜたら限りなく印象派ぽくなった、というのがこれまでの印象だったが、印象派以上に抽象的な色や形象の配置、そのありように注意を払いつつ日本画やウィーン世紀末の様式美に近づいていったのがわかるような展示。ラスキンが激怒したのはなんとなくわかる。鳥居清長とか屏風が展示されていたり、孔雀の間の再現もあったり、が、やはり”Nocturne”のシリーズ、アムステルダムの運河とか、暗くなった水辺のもやもやが染み出してくるような色の明滅がすばらしい。
あと、この人の東洋美術への傾倒は、印象派のそれ(上っ面の印象だけの)とはかなり違うのかも、と思った。
Frida: The Making of an Icon @ Tate Modern
Tate Britainから移動して見ました。Frida Kahloの絵画作品を並べていく、というよりも彼女自身が描いた自画像も含めて、そこから”Frida”というアイコンがグローバルでどんなふうに生成発展していったのか、という観点から他アーティストの作品も含めて並べているので、Frida Kahloの作品 - 彼女の静物画とか好きなのだが – に漬かりたい人はちょっとがっくりくるかも。フェミニズムの文脈でどんなふうに、はこれまでも結構見てきた気もするので。
Anish Kapoor @ Heyward Gallery
9月22日に見ました。インドに生まれて英国で活動してきた彫刻家のでっかいオブジェ、彫刻の展示。人気があるのかTime Slotごとの予約が必要で午前に行ったら午後のスロットしか取れない、と言われたのだが、昨年のメンバーシップがまだ残っているから、と言われて入れて貰った。
ここで展示された塩田千春の時と同様、でっかい塊りやミラーを使った彫刻をフロアいっぱいに並べて、まあでっかい、すごい、しかない。
2階に血に染まったでろでろの内臓がバットに入っているようなオブジェが沢山あって、この後で見た映画”Resident Evil”に出てきたのと見事に繋がった。バルコニーの倒立するミラーのオブジェも楽しかった。
Queen Elizabeth II : Her Life in Style @ The King’s Gallery
これも”The Bayeux Tapestry”と同様、時間ごとのチケットが売り切れてどうしようもなさそうだったが、22日、朝食を食べながらスマホをいじっていたら9時過ぎに12:15の回のが釣れた(もちろん正規の)。こういうこともある。
この展示の期間だけ、名前を昔のQueen’s Galleryに戻せばいいのに。
わたしは自称パンクのくせにこのおばあさんのことはなんか好き(でも現国王はきらい)で、昔の英国Vogueの戴冠式記念号とかも持っているので、この展示は見たかった。
エリザベス女王が着ていたドレス、帽子、靴、アクセサリー、カバンなどなど全部出し。手紙とかメモの類は低めの陳列棚にあって、高齢の女性たちがみなさんきちんと列を作って丁寧に見ている – これって結構珍しい光景。
やはり50年代のNorman HartnellやHardy Amiesらのドレス、それらを覆う細部の職人技がすばらしい。遠くから見ても近くに寄っても。
カタログは会場では買わずにピカデリーのHatchardsに行ってサイン入りのを買った。
Richard Dadd - Beyond Bedlam @ Royal Academy of Arts
Richard Dadd (1817-1886)はヴィクトリア朝の頃のイギリスの画家で、20歳でRoyal Academyの美術学校に入って優秀だったが、ギリシャ、トルコ、シリアをまわるエジプト遠征の途中で精神に異常をきたして、父親を殺して、フランスに逃げる途中で捕まってベスレム王立病院(通称Bedlam – タイトル)に収容されて、ここで約20年、別の病院に移送されて亡くなるまで約20年、今回展示されたような作品たちを描いた。異常になる前の作品も展示されていて、”Puck”や”Titania Sleeping”とか、妖精など(彼の描くやつが自分にとってのシェイクスピアの妖精)テーマ面の共通性はあるものの、入院前と後ではかなり変わって、9年かけて作成された”The Fairy Feller's Master-Stroke”(1855-64) - 「お伽の樵の入神の一撃」はすさまじい。水木しげるの陰惨なところとか。Queenの名盤“Queen II”でも歌われているので、聴いてみてほしい。
今回のNational GalleryはRenoirとVan Eyckという大規模展前ということで常設展示のみだったが、それでも30分くらいは浸かれる。見にいくところはだいたい同じだけど。
レコ屋はRough Trade Eastくらい。ろくなもんを買わず。
本屋はSouth BankのBFI前の青空屋台の古ペンギン(文庫)は、やはり相当買ってしまった。こういう屋台って新刊本ではないので、実にいろんなのがあって半年ぶりだと並んでいるのもがらりと変わっている。どの屋台で買っても久しぶりだねー、って値引きしてくれてうれしい。からって買うな。
新刊本だと、John Bergerの生誕100周年(Centenary)で出版された”Four Horizons, A Visit To Le Corbusier's Chapel At Ronchamp”。まだぜんぜん見れていないが。
分厚いのだと、先のQueen Elizabeth IIのカタログ、少し前までNational GalleryでやっていたZurbarán展の図録、ドイツのエッセンでやっているGustave Courbet展の図録、など。 帰りのスーツケースは久々に30kg超えた。
出発前はスケジュールをあれこれ詰めこみすぎで、ドミノになったらやばいかも、の懸念があったのだが思っていた以上にするする行けてしまった。これがクセになったら、そっちのほうがぜったいにやばい。
で、もう今年はあと3か月とか言うのか。ふざけ..
[film] Resident Evil (2026)
9月22日、火曜日の午後、Picturehouse Centralで見ました。
ロンドン滞在最後の日、できれば、なんでもいいから映画あといっぽん見たいかも、でも2時間を超えるのはきついししんどいかも、って思っていたらちょうど1時間半くらいのがあった。
この週末にはDaisy Edgar-Jonesが主演する”Sense and Sensibility” (2026)の新版が公開予定になっていて、映画館でもバスでもでかでかと宣伝されていて死ぬほど見たいのだが、日本公開はいつになることやら…
監督は”WEAPONS” (2025)のZach Creggerで、脚本は彼とShay Hattenの共同。
これがビデオゲーム起源であるとか日本だと「バイオハザード」になるとか、帰国してから知った(それぐらいこの世界に疎い)。ポスターのビジュアルは、あまりぱっとしない青年が必死で走っているの(少しブレた姿)を正面からとらえたやつ(もうひとつは、ドアの戸口の暗がりからクモみたいにヒトの手足がじょろじょろ)で、Milla Jovovichの立ち姿なんかとはかけ離れてるし、あんなホラーとは思わないじゃん。 BFIのIMAXでも上映しているし。
宅配業をやっているBryan (Austin Abrams)は、冒頭、電話で恋人と別れる別れないの話をねちねちしていて、深夜の病院で血まみれを見ただけでびくびくするような人なのだが、カウンターで緊急のプライオリティAで別の病院に運んでほしいものがある、報酬はずむから、と言われて軽く受けて、夜中の雪道を車で走っていくと、ふらっと道に出てきた女性を轢いてしまう。急ぎの荷物があるので放っておけばいいのにどうしても放っておけない彼は、近くの家に助けを求めに行ったり、彼女を警察に託したり、でもあまりに不気味で不可解なことが起こり続けるので、悲鳴をあげながら空き家の引き出しにあった猟銃を手にして、とにかく荷物を運ぶべく病院に向かおうとする。
基本は、そんなに律儀にちゃんと相手したりしてたら、そっちに行ったら絶対だめだよ、のホラー被害者の定番の道をまっすぐ歩んで、奥に進めば進むほどありえないの – いろんな複数の胴体同士が連結されて団子になって転がっていくの – が現れたりで殺されそうに/死にそうになる。ドラマとしては、主人公のなかにヒーロー的な何かが覚醒して、Milla Jovovichだったら戦うヒロインになるのかもしれないが、ここのBryanは最後まで逃げ… 続けられるのか。
主人公の頼もしさゼロの愚直な真面目さが(だけ)、がおもしろいところ - カメラは敵として襲いかかってくる化け物やその背後にいそうな邪悪なあれこれより、それらにいちいち震えあがりながらやけくそで立ち向かって乗りきっていく哀れなBryanが見所で、肝心の恐怖の正体や出処はよくわからない。
クライマックスは既に何かにやられて地雷原のように荒れ放題の街の中心にある高層ビルで、生存者がいるかんじではないのだが、やっぱりあれこれ出てきて襲われて地下の駐車場のインターホンから(階段を使って)上に来い、って言われて…
建物の奥で人知れずに駆動している不穏ななにかがある、というのは”WEAPONS”にもあった描写で、正体はわからないまま、それらがだんだん近づいてくる(or 気がついたら近くに)、というシンプルな物理ホラー(神経はそんなに関係なし)で、現れるのはヒトというより、変態した果ての妖怪みたいなやつばかりなので、そんな怖くない。
あと、最後はちょっと意外だったかも。あんなふうにしちゃうんだ… って。