8.12.2026

[film] Vie privée (2025)

8月5日、水曜日の晩、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
邦題は『プライベート・ケース』、英語題は”A Private Life”。

監督は(共同脚本も)Rebecca Zlotowski。 Jodie Fosterが流暢なフランス語でフランスの映画の情景に見事に溶けこんでいる。

パリに暮らすアメリカ人の精神分析医Lilian Steiner (Jodie Foster)がいて、冒頭、ずっと彼女の治療を受けていた患者のPierreが催眠療法士の施術により一瞬で治った、もうここには来ないしこれまでの治療費を裁判所で請求させて貰う、って帰っていって、その晩、患者のPaula (Virginie Efira)が自殺したという知らせに衝撃を受ける。信じられない状態で葬儀の場に向かうと彼女の夫Simon (Mathieu Amalric)からは憎しみを込めた目と態度で非難されて、でも長年彼女を看てきた側からすると彼女が自殺するとは思えなくて、やがてPaulaの娘のValérie (Luàna Bajrami)の訪問を受けると処方箋の紙に何か追記されていることを知って、やはりPaulaは何者かに殺されたのではないか、と思うようになる。

Lilianには関係がうまくいっていない息子のJulien (Vincent Lacoste)がいて、治療内容を記録するMiniDisc(なんで?)を注文して貰ったりしているのだが、その辺りから泣いていないのに涙が止まらなくなって別居している眼医者の元夫Gabriel (Daniel Auteuil)のところに行ったり、でも禁煙を一発で治した催眠療法士のところにいったら、変な夢を見て(見せられて)、とりあえず涙は止まる。

Gabrielの協力を得ながら、不可解な事件の周りを探っていくのと並行して彼女のオフィスが荒らされて本件のカギを握ると思われるPaulaとの最後のセッションの記録が無くなっていたり、無言電話が頻繁にかかってきたりするようになって、やっぱりSimonが怪しいかも、になっていくと、Paulaの亡くなった叔母からの多額の相続金のことを知ったり、Paulaの死後に女性用ヘアアイロンが注文されていたり、Simonを追ってその周辺を探っていくと…

本格推理モノ、というよりパリに暮らすユダヤ系アメリカ人女性が抱えて溜めこんだ家族に対する、自身の老後に対する、愛と孤独に対するいろんな思いが、自殺を装ったのか自殺だったのか親友に起こった事件の周辺と真相を巡ってぐるぐる回って結局は自分に還ってくるような女性のドラマで、全体としては老いを、これまでの罪を受け容れるとは、というのを極めてフランスぽく解消しようとして(がんばるアメリカ人を見て)いるかんじ。 心理療法や催眠療法に対する距離の取り方も、そこで現れてくる夢の置き場などについても、フランス映画だねえ、って思って、フランス映画を見たかんじにはなった。

一番わあ、ってびっくりしたのはLilianが相談にいく師匠の精神科医として出てきたFrederick Wisemanで、彼はLilianがやってはいけないことをした罪悪感の裏返しで変な夢を見るのだ、とさらりと語って彼女を怒らせたりしていて、なんだかとてもWiseman先生ぽいな、って思った。

あと、日仏のVirginie Efira小特集で見た”Victoria” (2016)でもそうだったけど、Vincent Lacosteって、家に籠ってなにをやっているのかよくわからない怪しく変な若者/おじさん、をやらせたら天下一品だなあ、って思った。

[film] Ball of Fire (1941)

8月4日、火曜日の晩、シネマヴェーラで新しく始まった特集 - 『ワイルダーならこうする! ビリー・ワイルダー特集』で見ました。邦題は『教授と美女』。

Billy Wilderはそんなに好物な監督ではなくて、主な理由は長いから。映画なら100分、ポップソングなら2分30秒以内、が理想で – だからこの前のAnthony Mannはとってもよかった。 Wilderの書くストーリーの指し示す教えとかビジョンがそうさせてしまうことはわかるのだが、長いお話にはそこまで盛らなくても語らなくてもいいから、っていつも。 「ワイルダーならこうする!」について考えることは意味あると思うけど、創作でこれを実践することにどんな意味があるのか(について考えてみること)。

今回の特集は彼の監督作だけでなく、初期の脚本仕事も多く含まれていて、どちらかというとそちらの方を。

『教授と美女』はこのサイトで何度も書いているが、80年代の終わりに日本未公開状態でVHSのみでリリースされたのを買って見て痺れて、そこからの約40年間、Film Forumで見てBAMで見てBFIで見てシネマヴェーラでも見てリメイクされた”A Song Is Born” (1948)も見て、ずっと見続けているのだが、まったく飽きることがないスクリューボールの火の玉の王。

原作はThomas MonroeとBilly Wilderによる短編小説” From A to Z”、脚本はCharles BrackettとBilly Wilderの共同、監督はHoward Hawks、撮影はGregg Tolandで、主演はGary CooperとBarbara Stanwyck。 何度見たって無敵で最強。

マンハッタンの83rdの西の邸宅で共同生活を送りながらエンサイクロペディアの編纂をしている教授たち8人のところにキャバレー歌手でギャングの情婦Sugarpuss (Barbara Stanwyck)が転がりこんできて、元はと言えばスラング研究をしているPotts (Gary Cooper)教授の研究材料のはずだったのが、サツに追われるギャング団 vs. 教授たち、の構図に転がっていって、女性に初めてぽーっとなってどうしたらよいのやらのPottsとはじめはバカにしていたのに彼を忘れられなくなっていくSugarpussの恋の行方はいかに? なの。

階級・階層の対立・対比の構図がかっちりと区切られていて、それゆえのスクリューボールなのだが、今だったらエンサイクロペディアはないのでウィキペディアで編纂作業もオンラインで、そこにやってくる彼女もSNSくらいはやっていて、でもちょっとした口出しや指導でもコンプラ案件になりかねないし対価報酬も頂きます、のでたぶん火の玉が発生したりぶち抜いたりすることは難しいのだろうな、などと思った。


Der Mann, der seinen Mörder sucht (1931)

8月4日の晩、↑のの前に見ました。 オリジナル版は97分だったそうだが上映されたのは現存する53分版。ドイツのUFAの制作・配給。 英語題は”The Man in Search of His Murderer”、邦題は『人間廃業』。

監督はRobert Siodmak、Ernst Neubachの戯曲を元に、Billy Wilder他が脚本を書いている。

真面目で暗そうなHans (Heinz Rühmann)は借金だるまで自殺しようと思って、スーツに弾を撃ち抜く✕印を描いたりしていたところで、ちょうど泥棒にきたOtto (Raimund Janitschek)が現れたので自分を撃ってくれ、って頼むと間抜けかつ慎重な彼は自分の組織に相談して、懲役3年をくらう可能性があるので年額5000でどうかとか、準備するので時間をくれ、ってあれこれ面倒くさい。

実行までの空いた時間にバーにいったHansはしつこい男に言い寄られていたKitty (Lien Deyers)と知り合って、彼女とダンスして身の上を打ち明けているうちに、死に向かいたいという自分の思いとその意に反して死から逃れていってしまう自分の境遇があほらしくなっていって…

いかにもドイツ人らしい死への欲望が、死神がなんでもかんでも狙いを外してくれることで滑稽になっていく様が描かれて、ほんとうに死んじゃうぞ? いいのか?になったところでやっぱり死にたくないかも、となって、やっぱごめん遅かった… になるのかどうか。

死をめぐって/死に向かった時に複雑に変転していく思い、そのヨーロッパ的なありようはWilderが後に監督する”Double Indemnity” (1944)にも繋がっていくなあ – あれの原作はJames M. Cainだけど、とか思った。

[film] A Future History Of: The Elephant 6 Recording Co. (2022)

8月3日、月曜日の晩、こんなん誰が見るねん、月曜日からなんやねん(関西弁)とかぼやきつつ、シネマート新宿で見ました。

邦題は『エレファント6レコーディング・カンパニー』。 客席はぱんぱん、のわけがなかった。
監督・制作・撮影その他をChad Stockflethがひとりでやっている、自主制作のような作品で確かにふつうに見ることは難しかったのかも。しかしなぜいま?

80年代後半にルイジアナ州ラストン辺りで渦を巻いていたバンドでもムーブメントでもレーベルとも違う変てこ共同体… より少し弱めのコレクティブ - ”The Elephant 6” - Max Ernstの絵画『セレベスの象』 (1921)から取られたのかー - の活動の全貌を追うドキュメンタリー。「全貌」と呼べるほど強い輪郭を示してくるメッセージやストーリーがあるわけではない。残っていた映像の断片をつなぎ合わせていくことで見えてくるシュールな愛すべき変人たちの蠢き。虫たちの生態。

The Apples in StereoのRobert Schneider、Olivia Tremor ControlのBill DossにWill Hart、Neutral Milk HotelのJeff MangumにJulian Kosterらの動いたり演奏したりコメントしたりする姿が見れて - でもJeff Mangumのコメントはない - 音楽関係の外からはElijah WoodとかDavid Crossが(いかにも)。

そこではとびきり痺れる、知られざる名曲やライブ映像が晒されるわけではなく、どれも誰かの鼻歌から始まって部屋の壁を伝って反響したそれらが束ねられ、団子となってガレージやベッドルームの床を転がって揺らすように広がっていったやつ。決してみんなの歌にもなろうとはせず「アート」としての熟成を目ざすこともなく、ジャンクとポップの間をぬっていくマイナーな、でも止めることのできない石蹴りのような。

代表のような形で前面に出てくるのはRobert SchneiderのThe Apples in StereoとOlivia Tremor Controlで、ここにNeutral Milk Hotelが混ざるとあまりに雑多で多様すぎてレコード棚の同じ分類で括ることなんてできそうにない、という良くも悪くもばらけたそれぞれの。

出てきたバンドの中で見たことがあったのは2013年のHostess Club Weekender(..あったねえ)でのNeutral Milk Hotel(あと、これの前年にBrooklynでJeff Mangumのソロも見ている)と、もうひとつ、2001年のElf Powerがいた。この時の彼らはWilcoの”Yankee Hotel Foxtrot” (2001)のリリース前ツアーの前座のひとつで、NYのTown Hallで911直後の、まだきちんと音楽に向き合うことも難しいような状態の我々を前に、Wilcoはすばらしい音を鳴らしてくれて、その前のElf Powerも素敵でキュートで、画面にも出てくるLaura CarterさんからTシャツを買ったのを憶えている。

90年代以降のインディペンデント・レーベルを中心としたコレクティブぽい動きで言うと、Merge Recordsの創設が1989、Saddle Creek Recordsが1993、Barsuk Recordsが1998、Asthmatic Kittyが1999で、どれもローカルのlo-fiの共同体でどかすかやっていくやり口(のような?)がおもしろくて、これらも当時言われていたオルタナとして括れてしまうものだったのかどうか。

しかし、登場するバンドのなかで、やはりNeutral Milk Hotelだけは別格の風貌と特異さで空気を震わせて - というかJeff Mangumの唸って響きわたる声がすべてなのよね、って改めて思った。

たぶんアメリカ音楽史的には箸にも棒にも、のようなものかも知れないが、こうして映像として残されていることがどれだけ貴重な獣道となっていることか、というのも改めて。配信で届くような(届くことを前提に作られる)やつとは全く異なるノイズまみれの奴らの。

8.07.2026

[film] Contes de juillet (2017)

7月22日、水曜日の晩、ユーロスペースのGuillaume Brac特集で見ました。

この夏の気候も湿気もあまりに酷いし、こんな状態で夏休みもくそもないし、これまでの生涯とかなんでこんな職業とかなんでこんなに積んであるんだとか、なにもかも呪って悪態つきまくりの状態のなか、Guillaume Bracの映画をちょこちょこ見たりしているとなんか落ち着く。彼の小噺映画で小爆発を繰り返す居心地の悪さと響きあう何かがあるのだろうか?(ロメールだとこうはいかない)

邦題は『7月の物語』 - 英語題だと”July Tales”、「日曜日の友だち」と「ハンネと革命記念日」の二部構成。

タイトルの“Contes” – Talesというと、Eric Rohmerの四季の物語に代表されるあれらが浮かんで、もちろん大好物なのだが、あれよりも少しだけとっつきやすいジャンクフードぽい風味がある。 Rohmerの方はちゃんとしたお茶菓子というか。

L'Amie du Dimanche - 「日曜日の友だち」

会社でちょっとしょんぼりしていたLucie (Lucie Grunstein)を同僚のMiléna (Miléna Csergo)が誘って、日曜日にふたりでウォータースポーツのできる大きなレジャーセンターに行くのだが、Milénaは声をかけてきた男性に惹かれたのか、そっちばかり向くようになったので、もういい、ってLucieはひとりで過ごしていたらフェンシングの素振り(?)をしている男性と出会って、Milénaの方は男の彼女が挟まってきて修羅場になって、帰りにふたりはまた一緒になる。

こんなこともあったね/あるよね、の典型的な、いきなり大雨に降られました、のようなだれにもどうすることのできない夏の一日。

Hanne et la fête nationale - 「ハンネと革命記念日」

7月14日、革命記念日のパリ。国際大学都市の寮に暮らす女子留学生のHanne (Hanne Mathisen Haga)は、朝、友人のAndrea (Andrea Romano)が自分の横でマスターベーションしているところに遭遇し(さいてー)ふざけんな!ってキレて、記念日のパレードに行ったところでRoman (Roman Jean-Elie)に声をかけられて、夜になって寮にHanneを迎えにきた彼にAndreaがひどいことをして – Andreaほんとろくでもない - 救急の人を呼んだりして、結局パレードに行けなくなった連中みんなで宴会になって、でも楽しく進んでいったその宴も…   で、朝になってHannaはすたすた寮を出ていくの。

パリ滞在の最後の日、革命記念日のパレードもあるし、記念に残るものになる/するはずだったのに、これもどうすることもできない – とも言い切れない微妙な力がどこかで働いてあーあ、になってしまう。

きっとみんなそれぞれパーフェクトな7月のイメージはあるのだと思うのだが、なんでこうなってしまうのか。でも反省はしないの。


L'Île au trésor (2018)

↑と同じ7月22日に見ました。 邦題は『宝島』。

ドキュメンタリーで↑の「日曜日の友だち」の舞台となったパリ近郊のセルジー゠ポントワーズにあるレジャーアイランドにやってくる人々、管理したり対応したりする窓口の人々の姿を追う。最初が未成年なのに自分たちでどうにか中に入りこみたいガキ共と係員との攻防で、こういうのも含めて、いろんな世代、いろんな民族間で毎日繰り広げられているであろう光景を次々と映しだしつつ、終わりのほうでシーズンがしょんぼり終わっていくさまも映されて、これが毎日だけでなく一年のこの時期に延々繰り広げられ、積み重ねられてきたんだろうなー、って思って、そこから改めて「日曜日の友だち」を振り返ってみる。彼女たちの間で起こったような小さな諍いが幾重にも多重に折り重なっていく現場の厚み – そこにあるそんな宝の島のこと。

懲りない人たち、というのも少し思ったのだが、ヴァケーション、ヴァカンスっていうのがそもそもそういう志向をもったろくでもないものなのよね。たぶん。


À l'abordage (2020)

7月29日、水曜日の晩に見ました。 邦題は『みんなのヴァカンス』、英語題は”All Hands on Deck”。
始まってから前に見たことあったのに気づいたが、おもしろいからいいんだ。

セーヌ川のほとりの公園で、Félix (Eric Nantchouang)はAlma (Asma Messaoudene)と出会って楽しく朝まで過ごして、Almaがヴァカンスで両親と一緒に南フランスの田舎町ディーに行くというので、そこを訪れてサプライズで驚かしてやろう、って相棒のChérif (Salif Cissé)を誘って、出発の日に相乗りアプリで車を出してきたÉdouard (Édouard Sulpice)にぶつぶつ言われつつ現地に着いたら、彼の(母親の)車が壊れて、故障が直るまでの1週間、Chérifのテントで一緒に暮らすことに。気楽でいいな。

でもAlmaに会いに行ったFélixは露骨に嫌がられて散々になるし、Chérifは赤ん坊を連れたHéléna (Ana Blagojevic)と知り合って子守りその他を任されているうちに…

それぞれのキャラクター(アグレッシブ、まったり、ぼんくら、等)をベースに、彼らがヴァカンスに行ったときに起こりそうなことが、いかにも出会いそうな人たちとの出会いや喧嘩や泣き言も含めて、ヴァカンスの陽のもとに晒されて、そこには感動も奇跡もまったくない、むしろ折角のヴァカンスなのに… なストーリーが無軌道に際限なく転がっていって、それらのブレンド具合があまりに絶妙なので、これこそが求めていたヴァカンス映画だ! …のわけないよね、って改めて看板を見てしまうことになるの。

とにかく、人生の役に立ちそうな、養分になりそうな感動的なあれとか、微塵もないのがよいんだってば!(100回でも言う)
 

8.06.2026

[film] Spider-Man: Brand New Day (2026)

7月31日、金曜日の晩、109シネマズ二子玉川のIMAXで見ました。
まだぎりぎり初日に見ようとする気力は残っているらしい。(暑さを逃れたいだけかも)

ただ、あまり乗り気はしなくて、予告とかどう見ても暗そうだし、監督は前3作のJon Wattsから”Shang-Chi and the Legend of the Ten Rings” (2021)のDestin Daniel Crettonに変わっているし、前作で”No Way Home”となった後の”Brand New Day”で、新しいスタートなのだろうが、前作の終わりに保護者であるMayおばさん(Marisa Tomei)を亡くし、Dr Strangeに頼んで親友のNed (Jacob Batalon) と最愛のMJ (Zendaya)を含む世界から自分の記憶を消してしまった後の、ほんとうに初期化された”Brand New”なので、そこに痛みや苦しみがないわけがなくて、でもその痛みの中心にいるのは彼だけで。

これまでよりもカメラがPeter Parker (Tom Holland)の至近に寄って、彼の筋肉も骨格も太く肉肉しくなっていて、この点でももう子供ではない – Brand Newということなのだろうが、最初の2つのコミックみたいに軽いハイスクールのノリを愛していたので、きついとまでは言わないけど、やだな、くらい。筋肉増量の件に加えて糸が手首から出る出ないでじるじるしたり、クモの話だからしょうがないのか。でも興行的には当たったらしい。

そんな彼が動き回るNYの町も3Dでぐるぐる迫って遠くなったり近くに来たりが慌ただしく、アストリア近辺の萎びた町のかんじは殆どなくて - デリの店頭くらい - ほぼ近代都市NYのビルの奥行き、深さが解像度高めで迫ってくるくらい。(でもそれならNYでなくても)

そうやって犯罪や犯罪者を追いかけていつもの捕り物をやっていくうち、市のDamage Control局を中心に近くにいる人の人格を一瞬乗っ取って渡っていく正体の見えない敵が現れて、今回”Black Widow”を襲名したBlack Widow(Florence Pugh)に教えて貰ったり、おかしくなった自分のパワーのコントロールについてDr Bruce Banner (Mark Ruffalo)に聞いたり、どうしたんだ自分? て言いながら敵を追っていく。

のと、もうひとつは永遠に失われてしまったNedとMJの周りを諦めきれずにずっとうろついて怪しまれて、特にMJとのことは離れることができないままめそめそしている。今作で見るべきところがあるとしたら、唯一MJとの間の失われた手紙をめぐるやり取りで、これはもう”Challengers” (2024)に続いて Zendayaすごいや、としか言いようがない。

あと、後半になって尻尾を捕まえた変幻自在の敵がJean Grey (Sadie Sink)だったのにはちょっと驚いて、あのJean GreyならPeter勝てないよね、と思ったらあんなやり方で責めるとは。Marisa Tomei最強(そして、Marisa TomeiとNaomi Wattsに操られるばかりのPeter Parker)。

自分が自分だったからみんな遠くにいってしまった、Saraは消えてしまった、と嘆く彼らに対してMayおばさんは“They love you not because you're special, we love you because you're you.”と語って肩を抱く。20数年前の“With great power comes great responsibility”をめぐる箴言が今回のこれで割ときれいな弧を。

こういうのはわかるし別にいいんだけど、でも全体としてなんか楽しくないんだよ。ビルの間を渡って悪いのをとっちめていくすかっとした感覚がないの。Peter ParkerはSpider Manを本当に職業とかミッションにしちゃったんだなー、っていうコトの重圧とか運命の大変さばかりがやってきて。そりゃ大変でしょうとも、がんばってね、なんだけど。

あと、今回から登場した威勢のいいFrank Castle - “Punisher” (Jon Bernthal)、”The Accountant 2” (2025)でのキャラとほぼ同じなので、兄弟のBen Affleckも連れてくればよいのに。NJあたりにいるんだろうし。

あと、今回の音楽はどこも、どれも見事に引っかからなかったかも。自分がもうついていけなくなっているだけなんだろうなー、って思った。

8.05.2026

[film] Monk in Pieces (2025)

7月29日、水曜日の晩、ユーロスペースで見ました。

邦題は『メレディス・モンク 踊る声、歌う身体』。
Billy ShebarとDavid C. Robertsの共同作・監督によるアメリカのパフォーミング・アーティスト、Meredith Monkを追ったドキュメンタリーで、昨年のベルリン国際映画祭でプレミアされている。

紐のような三つ編みの、ひょろっと質素な恰好で、トライベッカのロフトに陸ガメのNeutronと暮らす彼女の佇まいを挟みつつ、60年代からヴォイス、ダンスを中心としたパフォーマンスの領域をひとり淡々と切り開いてきた彼女のいろんなPiecesを拾い集めてモザイクとして並べたり散らしたり(声なので)伸ばしたりしながら、BjörkやDavid Byrneをはじめとした現代アートへの影響、その広がりを示す。

90年代のNYで、BAMに通っていた自分の感覚からすると、彼女はBill T. JonesやTrisha Brown、Lucinda Childs、Yvonne Rainerといったダンス系のパフォーマーの流れにあって、Merce Cunninghamの影響下、60年代のJudson Dance Theaterの裾野からきた人、というイメージがあったので、”Voice”(踊る声)というこの映画の軸に据えられたテーマというか構図はふーんなるほどー、だった。 

映画にも出てくるが活動初期、60年代の批評ではめちゃくちゃ叩かれていたのがここまで来たのは、やはり映画にあるようにBjörkやDavid Byrneの影響力なのか、彼らのような可聴帯域をぶちぬく変態パフォーマーが注目されだした90年代の文化とかテクノロジーの辺りから掘り下げていった方がおもしろいのかも、と思った。(昔はパフォーマンスの現場にいかないと触れられなかったものによりアクセスしやすくなった、とか)

という外からの見方云々から離れて、Monk自身はずっと声と身体に関わる表現を追求してきた、というところで、最後に残るのは、ひとりロフトで世界と向き合っているような像だったり。 とにかく、きちんと評価されてしかるべきだった人がきちんと紹介されているので、見に行った方がよいの。


Elis Island (1982)

7月26日、日曜日の夕方、ユーロスペースで見ました。
船便到着の前日にこんなの見ていてよいのか、だったのだがこれは公開日が限られているのでしょうがないの。

共同監督としてBob Rosen。

移民の受け入れ口だったエリス島を舞台に、観光客が集まる現代の様子と、モノクロのサイレントのように映し出される当時の移民たちの姿を交互に対照させつつ、異国・異文化に適応すること、その様式に体を合わせること、自国の言葉を使わないこと、等を求められた彼らが歌っていた歌、舞っていた舞い、その表情や振る舞いはどんなふうだったのか、を幽霊のように呼び寄せてみる29分。

当時のリアルな状況やストーリーを追ってきちんと再現するのではなく、自分の頭のなかの、あるいはその場所にこびりついた単一の、集団の記憶や残像は失われた廃墟の隅でどんな声を、音を持ちうるのか、どんなふうに聞こえてくるのかに耳をすませてみよう… というイマジナティヴな控えめな実験。 Monk自身による音楽がとてもよいの。


Book of Days (1989)


↑のに続けて見ました。こちらはMonkの単独監督作で、75分の中編。
New York Film Festivalでも上映されている。 35mmプリントでの上映。

中世フランスの小さな村に暮らすユダヤ人の少女に導かれながら、ユダヤ人差別や迫害、疫病(ペスト)、終末への恐怖が支配した時代の暮らし、家族やコミュニティを描いて、それらが日々の本(Book of Hours - 時祷書ではなく)として積みあがっていくさまを。 

少女の見透して描いたTVや飛行機の絵が、現代(当時)のエイズ禍や人種やジェンダー差別で揺れるNYに浮かびあがってきて、“Elis Island”と同様、こちらにも現代の描写はあるが、入口よりもっと奥に入りこんで当時の生活や雑踏に寄り添おうとしているような。

一回性の舞台でのパフォーマンスから反復可能な再帰性のある映像表現を経て、改めて彼女のパフォーマンスは、過去のそれも含めてその在処とその声が向かう先を見出したのではないか。 ”Book of Days”という土台の上に改めて彼女の”Pieces”を置いて、置きなおしてみること。断片しか聴いたことはないのだが、彼女のオペラ”Atlas” (1991)の旅は、ここでの試みから始まっているのではないか、とか。

8.04.2026

[film] Desperate (1947)

7月24日、金曜日の晩、シネマヴェーラのAnthony Mann特集で見ました。 邦題は『必死の逃避行』。

トラックで貨物の運送をしているSteve Randall (Steve Brodie)は結婚4カ月の妻Anne (Audrey Long) とのアニバーサリーでおうちに帰ったところで知り合いから荷物の配達を頼まれ、記念日だから、って断ったのだが金額を積まれたので受けることにして荷物を取りにいったらそれはヤバい案件の盗品で、そんなの嫌だ、ってどうにか逃げようと近くにいた警察に合図したら銃撃戦となって、警官は撃たれて亡くなり、替わりに弟をしょっぴかれたギャングのボス(Raymond Burr)は激怒してSteveを捕まえて、お前がやったと警察に自首して弟を連れ戻せ、そうしないと妻を… って暴力で脅してくる。

隙をみてなんとかAnneをピックアップして逃げようとするが、Steveの名前と写真は警官殺しで指名手配されていて、列車~トラックなどを乗り継いでどきどきしながら逃げて、どうにか親戚のおうちに寄ったらちゃんとした結婚式を挙げなきゃだめじゃんって、いきなり結婚式になったり、でもボスの弟の絞首刑の時間が迫ってきて焦るギャングたちも必死で追ってきて…

怖いとか暗いとかいう以前に、追跡と逃走のDesperateな緊張感のなかだけで勝負していくあっという間の73分で、最初の方のゆらゆら揺れて明滅する部屋の照明の中で圧してくる暴力の濃さ、ラストのアパートの狭い階段を使った銃撃戦も、瞼の裏に残る生々しさですばらしかった。


Winchester '73 (1950)

7月28日、火曜日の晩、シネマヴェーラで見ました。 邦題は『ウィンチェスター銃'73』
昔は(今も?)Anthony Mannといえばこれ、だった1本で、さすがにむかし見たことがあった。

Anthony MannとJames Stewartが組んだ8作のうちの最初の1作。俳優が報酬として興行収入の一定割合を受け取るRevenue Shareの仕組みが初めて採用された映画だそう。

1876年、カンサスのある町にLin McAdam (James Stewart)と相棒の"High Spade" (Millard Mitchell)が流れてきて、LinはDutch Henry Brown (Stephen McNally)を追ってきたのだが、保安官のWyatt Earp (Will Geer)に銃を預けなければいけなくてどうすることもできない。

ふたりは町のお祭りの建国100周年記念射撃大会に参加して、その賞品は名高いウィンチェスターM1873ライフルという1000挺に1挺の、伝説の名刀みたいな銃で、大会はLinとDutchの接戦でLinが勝って銃を手にするのだが、Linが町を去ろうとしたところでDutchに持ち逃げされてしまう。

これ以降、伝説的なパワーを持つ(or 与える)Winchester銃とその所有者をめぐって因果応報のストーリーとか呪いのような何かが伝搬して転がっていくのかと思いきや、単に銃は撃ったり撃たれたりで持ち主を替えて渡っていくだけ、奪い奪われる宝物がふつうの銃に替わっただけのようなあっさり味のお話で、ただ銃=火器を奪い合うので当然死人は増えるよ、っていう当たり前のことを描いて、通常の西部劇にある復讐、憎悪、裏切り、のようなどろどろした念のようなものは後退して、単なる人殺しの道具としての銃と、それを扱うアクションの光と影のみが前に出てきている。

そういう劇構成をおもしろい、と思えるかどうか、なのかしら?


He Walked by Night (1948)


7月28日、火曜日の晩、↑のに続けて見ました。 今回のAnthony Mann特集はこれでおわり。 邦題は『夜歩く男』。

監督はAlfred L. Werkerで、Anthony Mannはノンクレジットでの参加だそう。ここでも見事な撮影はJohn Alton。

実在した退役軍人の凶悪犯Erwin "Machine-Gun" Walkerの事件を元にしていて、冒頭のパトロール中の警官を撃つシーンも、ただの「夜歩く男」のなんてことのないシルエットが突然銃を向けて、そこから噴きだしてくる恐怖の絵から始まって、犯人(Richard Basehart)の無表情なごくふつうの佇まい(同居している犬がかわいい)とか、それを追う警察側も型破りな強引で個性的な誰かが出張ってくることもなく、追う側 – 追われる側の駆け引きを光と影の収縮のなかで追っていて、それが最後、地下水道で視野も含めて狭まっていく逃走/追跡シーンで炸裂する。犯人のキャラクターとか犯行の動機とか事情背景に入り込まずに、ただ「誰かが夜に」のイメージの断面とどこにいてなにをしているのかを追うだけ。

こんなにシンプルで、なのにこんなにおもしろくできるのか、って。