2月13日、金曜日の晩、Orange Tree Theatreで見ました。
ここのところずっとばたばただからかなんなのか、映画をまったく見れていなくて、時間ができると演劇のチケットを取ってしまって、映画館に行けていない。どういうわけでこうなっているのか自分でもあまりよくわからないのだが、ライブでじたばた、というあたりが地続きなので(楽しいの?)はないか、とか。
原作はAugust Strindbergの同名戯曲 – “Dödsdansen”(1901)、脚色と演出はRichard Eyre。昨年9月にこのシアターで見たCharles Danceらが出演した”Creditors”もStrindbergが原作の3人(老人)芝居で、この時も画家Strindbergの絵画がモチーフの色模様で天井などが彩られていて、今回も。でも、舞台の上は古くて陰鬱で雑然としたリビングで、タイプライターや無線の受信機(唯一の外との交信手段)があって、やや重苦しいかんじ。
陸軍大尉Edgar (Will Keen)と彼の妻Alice (Lisa Dillon)がそのリビングに姿を現して、病弱であちこちにガタがきているEdgarとそんな奴の面倒をみるのも面倒っぽいAliceが激しくはないが刺々しい言い争いを繰りひろげていって、その刺々しさがなんだかおかしい。軍人だけどまったく出世できずに、でも軍人なので愚直に制服を着て外に出ていくEdgarと、結婚しなければ女優として成功していたはずというAliceは、互いに本当にあんたなんかいなくなっちゃえ死んじまえ、って全力全霊そう思っているようで、その言いようがストレートすぎて、それぞれ言われれば言われるほどふざけんな、って膨れて力を蓄えてくような、全体としては不条理劇の体裁でこちらに迫ってくる。 映画であればベルイマンあたりが撮りそうな。
時代設定はオリジナルの1900年初からスペイン風邪が流行した1918年頃に変えていて、ふたりの様子を見にきたAliceの従兄弟のKurt (Geoffrey Streatfeild)は最初にマスクをしていたりする。パンデミックで閉じこめられたなかでの夫婦の不和、という話は古い話に聞こえないし、すぐそこにいくらでも転がっている死、という背景がドラマをより生々しいものにしている。
そして、この閉ざされた空間で、憎み合い文句を言いあう彼らの背後に見えてくるのは本当の虚無、というか孤独で、それが第三者であるKurtの登場によってより明確になっていく。あんたなんか死んじまえ、と言ったその先、それが実現された後に、待っているのはどんな世界なのか、そうやって自分はひとりになった時に何が起こってどうなるのか、どうするのか、等々。これらが”Dance of Death”というタイトルのもとで形を作っていく、コレオグラフされていく過程がスリリングで、それを振りつけていくのは誰なのか、等。
一度Kurtが動かなくなって、あ、本当に死んじゃったんだ.. ってなるシーンがあるのだが、その時に見せるAliceの表情や挙動がすごくて、そこで自身の存在の境目(のようなもの)や重みを改めて測って見極めようとしているかのようで、こういうことは確かに起こることかも、って誰もが思わされるに違いないのと、あと、ここで問われているのは愛ではなくて、愛なんてなくて、ではなにがあるのか、と。なにが我々を、どこに向かって動かすことになるのだろうか、と。