1.23.2026

[film] 28 Years Later: The Bone Temple (2026)

1月18日、日曜日の夕方、Curzon Sohoで見ました。

終末ものとゾンビものは苦手なので、Alex Garlandの構想による最初の”28 Days Later” (2002)も次の”28 Weeks Later” (2007)も、このあいだの”28 Years Later” (2025)も見ていない、というかそんな20年に及ぶシリーズになっていて、これが4つめ、ということすらわかっていなかった。

これは予告を見て、なんかバカっぽいやつかも、って思って軽い気持ちで日曜日の夕方に行ったら、やっぱり怖くて何度か帰ろうかと思った。けど、前のを見ていなくてもどうにかなったし、怖いけど考えされられるところがいっぱいあったので、よかったと思う。

監督はDanny BoyleではなくNia DaCosta。音楽はアイスランドのHildur Guðnadóttir - 2017年にSunn O)))のサポートで見たひと。

Sir Lord Jimmy Crystal (Jack O’Connell)が率いるJimmiesっていう金髪のかつらをして全員がJimmy xxxを名乗るカルトのギャング団みたいな少年少女たちがいて、集団で民家を襲ったり、仲間内で決闘をさせたり、そうして冒頭に少年Spike (Alfie Williams)が対決を強いられて、でっかい相手の太腿を刺したらそいつは出血多量で死んじゃったり、でもSpikeはその暴力集団から抜けたくて、その様子を凶暴だけどお姉さん的なKelli (Erin Kellyman)が見守ったりしている。

山奥で白骨の神殿を築いて顔も含めて全身が赤茶色で半裸の異様な医師Dr Ian Kelson (Ralph Fiennes)は、ゴリラみたいにでっかい野良ゾンビを拾って、少しづつ治療しながら彼を”Samson”と名付けて様子を見ていくと、彼から少しづつ凶暴さが消えて、人間だった頃の記憶を少しづつ取り戻していくような。Ianは医師としてそれらの記録を録りながら、自室のレコードプレイヤーにDuran Duranをのせて"Ordinary World"や"Girls on Film"を聞いてひとり静かに舞ったりしている。

Spikeが狂ったギャング団から必死に抜け出そうとする話と、Ianが“Samson”を人間に戻そうとする話は、どちらも無理や跳躍なくクライマックスのJimmy CrystalとIanの対決へと導いていくのだが、ここでIanのレコードプレイヤーにいきなりIron Maidenの”The Number of the Beast”が乗っかって火花とともにRalph Fiennesのテンプルが立ちあがるシーンは、そこだけでも十分すごくて盛りあがる。Iron Maidenがかつてあんなにかっこよく鳴り響いたことがあっただろうか? ヴォルデモート卿なのでしょうがないのかもしれないけど、この人、こないだまでは教皇選挙なんかをやってたし、”The Choral” (2025)ではクラシックの歌の先生だったのに…

終末なんて知るかよ、という態度でふっきってきた80年代人の目線からすると、「終わり」のありようを仰々しく展開される終末モノほどうざくてうんざりのものはなかったのだが、こんなふうな変人奇人のアンサンブルとして、割と正気な側からほぼ人間じゃない動物–ゾンビまでのレンジのなかで、治癒と宗教をくっつけて語ろうとするのはとても説得力がある。そこで鳴っているのがDuran DuranとIron Maidenであるというあたりも。他にRadioheadの”Everything in Its Right Place“も挿入曲として流れたりするのだが、ふつーにはまりそうなこの曲が浮いて聞こえてくるおかしさ。(あと、Depeche Modeをもってきたこないだの”Tron: Ares”と比べてみるとか)

Spikeの子供の目、Kelliの無頼のはぐれ者の目、Jimmiesの澱んで狂った目、Ianの医師と宗教者の間を行き来する目、Samsonの治療の進行と共に変わっていく目の色、いろんな目、眼差しがドラマのなかでダイナミックに交錯していくのがよくて、これがあったので前のシリーズを見ていなくてもわかる部分があったのではないか。

そして一番最後に、もうひとつの目 - Cillian Murphyのそれが加わると空気の流れがざわーっと変わる。
機会があったら前のほうの作品も見てみる… か。

 

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