1月25日、日曜日の晩、BFI Southbankで見ました。
本公開の1週間前なので”Preview”マークが付いていたが、ここでは1月の特集として”Ensemble: The Filmmakers from Richard Linklater’s Nouvelle Vague”というのもやっていて、”À bout de souffle” (1960) - 『勝手にしやがれ』はもちろん、元旦に見た” The 400 Blows” (1959)から2日間に分けて上映された”Out 1: Noli me tangere” (1971)まで、よい意味で教科書的に網羅していて、もちろん見たいのだけどとにかくぜんぜんまったく時間がない。
Richard Linklaterが『勝手にしやがれ』の撮影、映画を作っていく過程を通してJean-Luc Godardを中心とした”Nouvelle Vague”シーン、それを作ったCahiers du Cinéma誌の中心にいた若者たちの青春群像を描いた、ということでよいのか。昨年のカンヌに出品されて、LFFでも上映されていた。
モノクロで、主要な登場人物たちは最初にカメラを見つめるとその彼/彼女の名前が字幕でちゃんと出るし(名前が出るたびに「うぅ」とか唸るうざいじじいが必ずでるよ)、劇中では個々のやりとりもちゃんと名前を付けて呼びあうし、ご丁寧にリールの切り替えのキューマークも出るし、あの時代の若者たちや映画制作周辺の雰囲気を小学生にもわかるように伝えようとしている、ことはわかる。
誰もがお金がなかったあの時代、映画に飢えていた若者たちはどんなふうに寄り集まって自分たちで映画を撮っていったのか、という、あの時代のあれらの映画を見て、かっこいいー!って痺れた人なら取り組んでみたいテーマであり題材なのだと思う。それは稀代のならずもの集団映画、“Slacker” (1990) - 今回の特集でも再上映されている – をデビュー作で撮ったLinklaterなら猶のこと、なのかも。
Godardは新人のGuillaume Marbeckがとても小ぎれいにかわいらしく演じ、Jean-Paul BelmondoをAubry Dullinが、Jean SebergをZoey Deutchが演じているが、Godardの突飛でなにを考えているのかわからない演出に戸惑いながら役を演じる「彼ら」を演じる彼らは、なんだかとても辛そう。アドリブの演技をきちんとカバーする、って難しいことだろうし、それはこういう撮り方をしてこういうことになった、ということ(も説明されている)を知っていればわからないでもないのだろうが、ご苦労なこった、って変な心配をしてしまう。
全体にものすごく整然と綺麗に整っていて、ちょっとコミカルでおしゃれなTVドラマのようにも見えて、自分が山田宏一の『友よ映画よ、 わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』などを通して感じた絶望と貧困のなかから立ちあがってタバコの煙とヤニと男くささにまみれた(と想像する)あれこれとのギャップがありすぎるし、この違いを「冒涜」とまでは思わないものの、どこか別の世界の別の時代のなにか、と考えた方がよいのかも。 JLGがこれを見たらどう思うか – そのうちできるであろうAI JLG(もうあるのかな?)に聞いてみたい。 あと3回くらい自死したくなるのではないか。
あの時代のパリがどんなふうで、あの世界でどんな映画が作られていたのか、は今回の特集で上映されている作品群を見れば十分で、それでも今回のようにたっぷりのお金をかけてきちんと描いてみたい、伝えたい何か、ってなんなのか? がよくわからないし、きちんと伝わってくるとも思えないし。
アメリカ人だから、アメリカ人の見た/イメージする”Nouvelle Vague”像、でよいのかも、とか思わないでもないのだが、それって誰にとってどういう意味があるの? っていつもなるし。 当時と同額(現時点換算)の予算規模で、当時と同じ機材を使ってやってみる、の方がまだ伝わるものがあったのではないか、とか。
Richard Linklaterは同時期にこれも実在の人物を中心においた”Blue Moon” (2025)をリリースしていて、Ethan HawkeがLorenz Hartを演じている。これはLFFで見たのだが、こちらもなんだか微妙だった。Ethan Hawkeはすばらしかったのだが。
同様のバイオピックでだいじょうぶかなー、ってちょっと心配(っていうほどじゃないけど)なのはSam MendesのThe Beatlesのやつ。
1.30.2026
[film] Nouvelle Vague (2025)
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