8.17.2026

[film] A Window of Memories (2023)

8月10日、平日だけど休日にした月曜日の午後、ル・シネマの9Fで見ました。

監督は清原惟で、彼女の監督作はこれまで見たことなかったかも。
昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭2025でインターナショナル・コンペティションに選出されている。

手法は聞き書きを中心としたドキュメンタリー、テーマは個人史 - 特異な運命をたどったり特殊な境遇にあったりしたそれではなく、祖母が孫に聞かせる昔話のようなものでしかない。のだが、ものすごくおもしろくて、これはなんだろうか、どうしてこんなに引き込まれるのか、になっている。

構成は4レイヤーくらいからなっていて、監督のふたりの祖母 – 父方のと母方のそれぞれの日常があり、彼らに監督が話を聞いている場面があり、その内容をテキストに起こしたものを祖母たちと一緒に編集する – ここは削った方が「らしく」なる、とか – があり、そうして出来あがったテキストをふたりの舞台俳優、パフォーマー(小山薫子、坂藤加菜)が朗読するところ - 個別に読み進めていくのではなく、同じ場所と時間を共有するかたちで - があり、これらがランダムに紡がれていく。

最終的に浮かびあがってくるのは、祖母たちがどこでどんなふうに育って、仕事につき、結婚し、子供が生まれ、彼らの戦後があり、ここまでやってきて今どんなふうに暮らしているのか、というそれだけのこと。そこにあっと驚くようなこと、隠されていたようなこと、があって、これまで生きてきた自分の足元が揺れたりすることもない。それだけなのに、あかの他人の人生なのに、なんでこんなに(以下略)。

自分の場合、親の話はずっと傍にいたし怒られたりするたびに散々聞かされたりしてきたのもあるので、わかる。でも、休みや法事の時くらいしか会う機会のなかった祖母たちの話は、断片を聞いたことがあるだけ、戦時とか大変だったんだろうなあ、くらいでしかなかった。でも彼女たちの記憶は当然そんな断片のわけがなくてすべては繋がり連なって今になっているのだ、もちろん当人でなければすべてをわかることなんてできないのだが、なにがどうなっておばあちゃんはそこにいるの?/きたの? ということくらいは聞いておくべきだったな… から始まる”A Window”。

すべての物語はどこかのだれかの記憶から始まる、のであれば、ここにある”A Window”はそのためにあるものだ、ということをその手続きとか構造のようなところも含めて具体的に明らかにしてくれる。見る - 聞く - 書く - 読む - 話す、という基本の要素ぜんぶのなかに。いまならテクノロジーもくっついてくる(スマホで録って文字起こしかんたんー、とか)。

そうしてこうしてひとつの窓から浮かびあがって掬いだされた思い出たちは、いろんな光や色を纏って彼女たちの像を、織物を形づくるだろう。どうしてそんなことをするのか?って、おばあちゃんの話を聞くのが大好きだったからだよ。「私が聞かなかったら、この話はどこに行くんだろう」が起点にあったそうだが、そういうこと。ドキュメンタリー映画を見る理由もだいたいこれ。

演劇でも同様のことはできるかも知れないが、映画の場合は視野・視角が固定されて見渡しやすいのと、祖母たちの像と語り手を同じ距離感で見つめることができるような。 裁縫された黄色いワンピースのお話とか、話によってはイメージが浮かびあがりやすいものもあるのかも。

テキストを第三者が読みあげることでそれなりの効果を出せる同様のジャンルとしては「怪談」があるかも。これも映画と親和性が高いよね。

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