6月25日、木曜日の晩、シネマヴェーラ渋谷の羽田澄子特集で見ました。
この特集 - 『福祉、芸術、ジェンダーを通して日本を描く』の「福祉」のパートを見ていなかった気がしたので。
180分、休憩なし。『住民が選択した町の福祉』 (1997) & 『続 住民が選択した町の福祉-問題はこれからです』(1999)から続く3つめの作品で、これの続き(↓)も含めると全4部作(上映時間8時間13分)になる。最初の2本を見ていなくても、冒頭で丁寧にここに来るまでに鷹巣町でなにが起こったのか、「あの鷹巣町」で起こった「問題」とはなんだったのか、をきちんと説明してくれる。
地方の話と福祉の話は、例えば昨今の政治の劣化とか右傾化とか分断とか格差とかを考えていくとどうしても突き当たることだし、そろそろ自分ゴトのど真ん中になりつつあるし、とりあえずどうすべきか、も大事だろうが、本当の敵はどこにいるのか、その正体はなんなのか、を見据えておくためにも。
秋田県にある人口2万3千人の鷹巣町で、1991年に若い町長が誕生すると、町民の自由参加によるワーキンググループが組まれて、福祉の先進国デンマークの福祉行政を参考に先駆的な老人保健施設「ケアタウンたかのす」の構想が立ちあがり、町議会の多数を占める前町長派に反対されながらも、どうにか可決されて、ケアタウンの施設もサービスも稼働を始めるのだが、やはり問題はいろいろ出てきましたよ、というのが前2作までのあらすじ。
その町長が4期目をかけた2003年の町長選挙で大敗し、その背景と町が今後この先どうなっていくのかを探るべく、羽田監督自身が現地に乗りこんで、関係者への聞き取りを進め、自分でナレーションもしながら全容を明らかにしていく。
無投票で再選が確実視されていた前町長の対立候補として突然現れたのは病院出身の医師で、手厚い福祉政策については評価しながらも財政を圧迫するのでまずは経済面の建て直しを、とその手段として町村合併や大病院、大規模店の誘致などを主張して、当選するとその路線に切り替わって、2005年に北秋田市が誕生する。 その裏でケアタウンの予算も、自主運営されていたサポートホームも集会所に転用されたり、ケアを取り巻く人も環境も変わっていく。
福祉のあり姿を追う/問う、のがそもそものテーマだったと思うのだが、映しだされるのは小自治体の、小汚い政治家たちのお金の使い道に関する政治の駆け引き(というより排除と押し売り)ばかりで、それはやがて地方都市(が合わさった勢力)ではどうすることもできなさそうな、中央政府の意向でもあることが見えてきて、そして地方は中央に憧れてそれに倣うもの、といういつもの茶番を見ることになってうんざりする。
財源は限られている - 人口は減っている - 使い道を絞るしかない、という出発点からのとにかく儲かること優先、というじじい共が、ハコ作ってバラ撒いてなんぼ、というこれまで散々見てきた政治の風景と、ケアする側もされる側も辛くない、遠くないはずの幸せを追求していく福祉の道とはぜんぜん別種のものなので、一方が他方を排除するのはおかしいのだが、それができてしまうのは一言でいってしまえば貧しいからで、この風潮とダウンワードスパイラルは今のこの国全体を覆っているのでどうしようもない。
あと、いまもどこにでもいるユニオンを毛嫌いするじじいが出てきて、なんかの病気だよねあれ、と改めて思った。
あの鷹巣町のその後 続編 (2006)
↑のに続けて見ました。これは59分と短い。
前回、合併で誕生した北秋田市の市会議員選挙のあと、鷹巣町が国に先駆けて制定した「高齢者安心条例」が廃止され、ケアタウンは財政支援を打ち切られて、福祉の現場はどうなっている/いくのかを関係者に取材していくのと、そもそもの発端として、なんでこんなこと - 2003年の町長選挙の大敗 – になってしまったのか、を改めて振り返っていく。
福祉は生産性とかで測ったり効率化云々でどうにかしたりすべきものではない、と思うのだがー、っていう原理原則を福祉なんてやりたいやつがやれ(自治体の責任ではない)、って思っている家父長制下で甘やかされてきたじじい共は死んでも理解できないので、連中が死んでもらうのを待つしかないのか。
なんであの選挙で負けたのか、についてはそれまで12年間続いた政権下で撒かれた利権、という話が出てきて、これも今のくそ政権に繋がるところだねえ。みんながしぶとく利権に群がって、政府はそういうところに金をバラまいて事業を興して、そうでないところからは巻きあげて、ついてこれない人々を道端に棄てて、誰も責任を取ろうとしないし、いくら弱者排除の卑怯者とか言われても軸と脳が腐っているから理解できないし。政治家だけの話ではなくて「社会」の役に立たないものはいらない、消えてよし、という方向にいろんな仕組みが囚われているところで、福祉なんて成り立たないし、育ちようがあろうか。
ここ数日起こっているしょうもない事態にも繋がっていて、どうしたらよいのかねえ、っていつもの。
これを見てから『急に具合が悪くなる』を見ると、急に具合がよくなることはないけど、よりよく理解できたかも。特に白板のところとか。
7.01.2026
[film] あの鷹巣町のその後 (2005)
[film] Supergirl (2026)
6月26日、金曜日の晩、109シネマズの二子玉川のIMAXで見ました。
こういうのは台風が来ようが何が来ようが、基本は初日に見ることになっているので、しょうがない。
上映中に地震が来て、結構揺れたのでこれはだめかもー … って覚悟したが中断はしなかった。
昨年リブートされた”Superman” (2025)にも少しだけ出てきた”Supergirl” - Kara Zor-El (Milly Alcock)を主人公に据えたドラマで、いとこのKal-El (David Corenswet)も少しだけ出てくるが、メインの舞台は地球ではないし、宇宙の広さとか正義とか大義とかの話はあんま出てこない。
作はAna Nogueira、監督は”I, Tonya” (2017)や“Cruella” (2021)のCraig Gillespie、プロデューサーにはJames Gunnの名前がある。昨今、いろんなユニヴァースだらけでどうでもよくなっている感があるが、DC内では”Chapter One: Gods and Monsters”というのに含まれているらしい。
崩壊しかけたクリプトン星で幼いKaraとわんわんのクリプトが両親によって地球に住むいとこのKal-Elのところに送り出されたが、Supermanの彼のように地球人の両親にちゃんと手間をかけて育てられたわけではないKaraはちょっと無軌道で厭世的で、23歳になった時も、ひとりでいろんな惑星酒場をよれよれ渡りながら飲んだくれてパーティ三昧の日々を過ごしてて、Supermanは心配して電話をかけてきたりするがまあ相手にしない。
ある星に住んでいたRuthye (Eve Ridley)は盗賊団の首領Krem (Matthias Schoenaerts)に一家を皆殺しにされ、形見の刀を背負って復讐の機会を狙っていたところでKal-Elと出会って、奴らをやっつけてほしい、と頼むのだが相手にされなくて、でも連中に突っこんでいったクリプトが毒矢にやられてあと3日の命、になってしまったので、解毒剤を持っているKremを探して渋々一緒に旅をしていくことになる。敵をすぐにでも殺してやりたいと恨みに燃えるRuthyeに対して、解毒剤を手に入れたいからちょっと待て、というKaraと。
Kremの一味が若い娘を誘拐して集団花嫁として束ねて取引したりしているのを知った彼らは、やっぱりこいつらやっつけるしかない、って一匹狼のLobo (Jason Momoa)の助けも借りながら連中を追っていくのだが果たして。 そしてわんわんのクリプトは...
まず、ストーリーは裏も表も伏線もくそもなくシンプルで軽い(2時間を切っている)のはよいと思った。Supermanのお話ってそもそもこんな程度のだったのだと思うし。 敵討ちと解毒薬を探して共通の敵を追っかけていく股旅もので、生真面目な娘と腕は確かだが飲んだくれのだらしない娘の組合せ、そこに絡む風来坊の狂犬男、など。革ジャンで顔中金具だらけの悪党バイカーとか、さらわれた女たちが籠に入れて売られていく話とか、宇宙の果てまできてまたそのイメージ? もう何回目? にはなるけど、わかりやすさを狙ったのだろうな、と思う。
他方で、赤い光の星で気持ちよく酔っ払い、黄色い光の星で最強になり、緑の光の星で力を失ってしまうので、最後のほうで緑の星に誘導されて絶体絶命、ってどうなのか。結局、たまたまああなってくれたからよかった、ってそんな他力本願ヒーローでよいのか? というのはある。(彼女がロメールの『緑の光線』なんて見たら最後にぐったり… っておもしろいけど)
地球ではなく、なんでもありの宇宙なのにこの定型スケールかあ、っていうのと、ふだんグランジのボロを纏って髪ぼさぼさで匂いが漂ってきそうなSupergirlがいとこがくれたからってユニフォームみたいなあの衣装をわざわざ着て戦う?っていう違和感と、あとなによりも、耳をばふばふさせる狂犬クリプトと一緒にめちゃくちゃ暴れまくってほしかったのになー、というところ。 Loboはいてもいなくてもべつに、くらい。
でも次のが来たらまた見てしまうのだろうな…
とにかくサッカーが終わってくれてなにより。 帰国してフットボールが更にとっても嫌いになった。