8.14.2026

[film] Rhythm on the River (1940)

8月6日、木曜日の晩、シネマヴェーラのBilly Wilder特集で見ました。

監督はVictor Schertzinger、楽曲はVictor Youngによるミュージカル・コメディでBilly Wilderは共同脚本で参加している。 邦題は『愉快なリズム』。 とっても愉快だった。

Bob Sommers (Bing Crosby)とピアノのBilly Starbuck (Oscar Levant)は、名前だけは有名でセレブな作曲家Oliver Courtney (Basil Rathbone)に楽曲を提供しているゴーストライターで、その場でさらっと作ってくれたりするのでOliverはBobに感謝しまくっているのだが、Bobはずっとこれを続けていくつもりはなく、郊外のTarrytown(よい町)で叔父が経営する宿屋に戻ってボートを買いたいのだ、という。

やはりゴーストだった作詞家が亡くなった後、Courtneyのところに面接にやってきたCherry Lane (Mary Martin)は採用の際の条件 – ぜったい表に自分(Cherry)の名前を出さないこと – などに少し躊躇するが受け容れて、彼のための作詞仕事に集中するためにTarrytownのBob叔父の宿に滞在することになるのだが、ずっとすれ違っててなんか互いが気に障って衝突しているばかりのふたりが、同じ雇い主のところで飼われていたことを知るまでのすったもんだの楽しさ(ちょっとルビッチの”The Shop Around the Corner” (1940)ぽい)、知って仲直りして一緒にCourtneyのところを離れるのだが売れるアテがなくて、バンドを組んで営業を始めるのだが、これも売れなくて... という広義だとバンド・音楽業界もの、今の時代にも適用できそうなミュージカルになっていて、とにかく楽しくて目が離せない。

ただBing Crosbyのぴかぴかのオーラと歌声が素敵すぎて、あんたなら最初から簡単に自前でデビューできるよ、ってみんなが思ってしまうであろうところがなー。


The Major and the Minor (1942)

8月8日、土曜日の午後、↑と同じ特集でシネマヴェーラで見ました。  

Billy Wilderのアメリカでの初監督作で、原作はFannie Kilbourneの小説” Sunny Goes Home” (1921)をEdward Childs Carpenterが戯曲化した”Connie Goes Home” (1923)をBilly Wilder & Charles Brackettが脚色している(Sunny → Connie → Susan)。
邦題は『少佐と少女』だが、日本では劇場未公開だって?(ありえない..)

頭皮マッサージの派遣仕事でNYのホテルの一室に滞在する顧客のところをSusan Applegate (Ginger Rogers)が訪れたらそこの中年おやじに堂々とセクハラされたので都会はもうムリ、って故郷のアイオワ州に帰ることにするのだが、Grand Central駅の切符売り場で、運賃が値上がりしていて帰郷用に握りしめてきた切符代金では帰れないことがわかって、うーん、て考えて駅の女子トイレでメイクを落として着替えて12歳の少女Su-Suになりすまし、子供運賃でどうにか列車に乗りこむことに成功する。

この時点からおいおい、なのだが列車内でも当然怪しまれて、タバコを吸っているのを見られて、逃げ込んだ先が士官学校のPhilip Kirby少佐(Ray Milland)の客室で、びっくりしたことに彼はSu-Suを迷子の12歳とふつうに思い込んで彼女を匿ってくれて、そのまま士官学校に連れ帰って候補生たち、軍の関係者に紹介するのだが、そこには彼の婚約者のPamela (Rita Johnson)がいて、なんだあの娘は、って騒ぎが広がっていくの。

撮影当時だいたい30歳だったGinger Rogersが12歳の少女を演じる滑稽さ以上に、Philip Kirbyほか士官候補生全員が彼女が12歳であることを疑わないところから始まってしまう男女間のごたごたについて、勘違いより根深い無意識レベルの思い込みが軍の士官ぜんぶを覆ってしまうしょうもなさ、気持ち悪さがあって、そこをとりあえず放置して最後にSusanが正体を明かしても、Pamelaの策謀が明らかにされてもなんかもやもやが残ってしまう。 それぞれの小ネタやキャラクターの設定は十分におもしろいのでそちらを見てしまうのだが。

Wilderのおもしろさのコアには、社会の無意識のようなところにある気持ち悪い何かを晒しつつもそれらを無視して成立させるギャグ、あるいは、ギャグを形成する過程でそういうのが見えているのに、それらをとりあえず置いて(or わざと晒して)ストーリーとして立ちあげてしれっと示してしまう、ようなところがあって、その辺がなんか。ストーリーとしておもしろければそれでよいのか、ってなりがちかも。(そんな単純な話ではないと思うのでもう少し考える)

あと、Kirby役はCary Grantを想定して書いていたって、これはそうだよねー、と。

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