8月13日、木曜日の晩、StrangerのJohn Huston特集で見ました。 邦題は『火山のもとで』。
原作は英国人Malcolm Lowryによる同名の半自伝?小説(1947)、これを当時20代だったGuy Galloが脚色、撮影はGabriel Figueroa、音楽はAlex North。 メキシコとアメリカの共同制作で、同年のカンヌでプレミアされて、Albert Finneyがオスカーの主演男優賞などにノミネートされた。
1938年のメキシコ、モレロス州のQuauhnahuac(クアウナワク)の1938年の死者の日(11月2日)に酔っぱらって現地を彷徨う(元)英国領事Geoffrey Firmin (Albert Finney)の前後不覚でつんのめったまま堕ちていく姿をフラッシュバック、夢や内面描写一切なしで描いて、まあ暗くて救いがない。
大昔に途中まで読んで投げてしまった原作小説では、もう少しメキシコ現地の風土民俗とか、そこで燻って地面と身体を揺らす火山とか、死者の日の死後の世界と繋がっている祝祭の様が、(十分白人目線ではあるものの)主人公(&複数の人物)の意識や挙動に作用干渉して、欧米的な体裁をもった理知や視野が中米の野蛮によって狭窄され歪められ破壊されていくさまが心理小説のように綴られていた、気がする。
今回、この外的環境ぽいパーツ、描写をばっさり刈って心理内面を捨てて三枚におろして振り返り後戻りなしとしたことで、我々は堕ちるとこまで堕ちて戻る場所も意思も失ったひとりの哀れな白人中年男性Geoffreyが自死のような死に向かって転げ落ちていく「だけ」のシンプルかつ普遍的なイメージを追うことになる。
そこには彼の凋落の一因だったかも知れない(不貞により?)消えてしまった妻Yvonne (Jacqueline Bisset)との、双方でなにを考えているのかよくわからない帰還〜再会があり、GeoffreyがYvonneとの仲を疑っているスペイン内戦から帰還した異母弟のHugh (Anthony Andrews)の登場があり、このふたりは酔っ払いGeoffreyの後をついてまともな方角を向かせようとするのだが、そんな程度で正気に返れるGeoffreyではなかった。
こうして酔っ払ってスピーチをめちゃくちゃにして、懲りずに酒がありそうなところに寄っていっては酒をせびり酒をあおり、ぐでぐですぎてひとりではシャワーを浴びることも着替えることもできず、酒場の裏手の娼館に押し込まれ金をむしられて性病もうつされて、100%自業自得の、絵に描いたような自滅劇が展開される。メキシコも火山もあんま関係ない。
この土地でなかったら、彼が例えばアメリカやイギリスの田舎にいたら、というのはあったのだろうか? 大して変わらない気がするが、領事としての任期を終えても帰国しようとはしなくて、もう後には引けない場所、死の国がすぐそこに口を開けた火山のもとにまで来た、たどり着いた感は際だっているような。
キャリアを通して屈強な(はずだった)男性の挫折や敗北や破滅 – ほぼ自業自得 - をずっと描いてきたJohn Hustonの、これがその晩年にたどり着いた最期のどん詰まり、なんの言い訳も弁明もなく、酒で追い込んで自分で自分を不自由に不器用に壊して終わらせる - ひっそり隠れて孤独に滅びるのではなく、かつて愛した女性とどうでもいい親族くらいは呼んで証人として見てもらい、でもこれこそ自分だけが自分に対してできる最後の、最良の落とし前のつけ方なのだ見とけ、って。 これ、Hustonだから見るけど、そうじゃなかったら…
8.24.2026
[film] Under the Volcano (1984)
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