10.01.2026

[film] Mr. Nelson, Did You Kill People? (2026)

ロンドン行く前に見て、書いていなかったやつなどから。
9月13日、日曜日の昼、kino cinema新宿で見ました。

邦題は『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』 - これはどちらかというと洋画枠だと思うので。

この時も満席で、その状態が続いているらしいのは裏事情があるにせよないにせよ、よいこと。結果的にヒットすればもっとよいこと。とにかく多くのひとが見ればそれで。

原作はAllen Nelsonによる同名の手記、脚本・撮影・監督は塚本晋也、9月のヴェネツィアでプレミアされて、Leoncino d'Oro Award(イタリアの高校生たちが審査員となる)を受賞している。

元海兵隊員でベトナム戦争の退役軍人のAllen Nelsn (若い頃Mark Merphy、少し歳をとってからRodney Hicks)は、復員後NYで猫と暮らしているが明らかにPTSDで大きな物音がするとパニックを起こして倒れてしまう。ある日、高校の同窓生と再会して、小学校で教師をしている彼女から戦争体験について子供たちの前で話してくれないか、と乞われて、最初は断るのだが、子供たちの手紙をみてやってみることにして、なんとか自分の体験を話して、でもその最後に子供から「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」と尋ねられると…

そこから数年後、Allenは妻のLinda、彼女の連れ子のSeanと暮らしてDr. Daniels (Geoffrey Rush)の元で治療を続けていて、そこで自分の過去を語る。暴力的だった元軍人の養父の元で育ったこと、そこから逃れるように海兵隊に入って、戦地ベトナムに派遣され、そこから先は凄惨な戦争 – 殺し合いの現場の描写が延々続いていく。それを治療とは言え記憶を掘って医師に語るのはものすごいストレスなのだが、治療の終わりにDr. Danielsは「なぜ人を殺したのか?」と聞うてきて、Allenは目を背けるように「戦争だった。殺さなければ自分が殺されてしまう」とか「上からの命令だった」とかどうにか返すのだが、その問いは彼にとって銃を突きつけられるような地獄で、でもDanielsは静かに、何度でも同じ問いを繰り返す。

戦時の前線での描写はいつもの塚本映画のそれで、恐怖を煽ってそれを重低音のように引き摺って目を背けさせない、ディゾルブの多用も含めて感覚にダイレクトにくるのはしんどいのだが、これと併せて彼が現地の子供たちと仲良くなって遊んだりする場面も描かれて、でも、それでもAllenは人を殺しているんです - こんなふうに、というところに戻っていく。

『野火』 (2014)の暴力が理性の崩壊の果てに現れるようなかたちを取っていたのに対して、ここでの暴力は理性を維持させようとする軍のシステムのもとで正当化され、でもどっちにしても人は殺されて、殺された人々は田村やAllenのように生き残る - 生き残って苦しむことはない。ただ消える。地獄はどっちの側に。

死のうが生き残ろうがどっちにしても救われない、戦争とは表向きは国と国がやるものだから、でもそれは地面の上で(or 空の上から)人が人を殺すということなのだ、とゆっくりと引き摺りおろすように告げる。 戦争が、でも軍が、でもなく主語は「自分」なのだと。

このやり方でいったら、例えばアメリカ人の社会のそこそこの地位にあって「よいひと」「頼りになる人」の半分くらいは人殺しになってしまうのかもしれないし、自分らの先祖だって人殺しだらけなのかもしれない、だって人類の歴史は戦争と共にあったのだから… という形で「そういうもんだ」と言うのをもうやめよう/やめるべきだ、ということを切々と訴えているのだと思った。 

だってもうリモートで手を汚さずいくらでも大量に簡単に人を殺せるようになって、核兵器の所持や使用について政治家がカジュアルに口にするようになって、ガザであれだけ子供たちが殺されているのに誰もちっとも動かないし。 これらのメッセージに対して「不快感」とかのたまう腐った連中もな.. (まっくら)

もう始まっているのだろうが、AIが人の代わりに人を殺すようになったら、こんな問いは成立しなくなってしまうだろう。そうなってしまう前に。