8月7日、金曜日の晩、帰国後はじめて、ひさびさとなった菊川のStrangerで見ました。
『生誕120年 ジョン・ヒューストン特集』として4Kリストアなどをされた4作品が上映される。
ジョン・ヒューストンの映画もビリー・ワイルダーのと同じように長いのが多いのだが、ワイルダーは2時間かけて「ストーリー」を描こうとしたのに対して、ヒューストンは同じ時間で登場人物たちが置かれた状況とか「シーン」を、(例えば)そこで負け続ける男たちなどを描こうとしていて、「ストーリー」は最後まで一緒にいてあげないとどうなるのかわからない面倒くささがあるのに対して、「シーン」の方はどうせ負ける or 最初から負けてることがわかっているので、安心して見ていられて長さもそんなに気にならない、のかもしれない。
今回の4作品がどんな観点からピックアップされたのかしらんが、見事にどうしようもなく、しかし堂々としょうもなく狂ったり消えていったりの男たち - がどんなにしょうもないかを細々と - のドラマが並んでいて、これらは勝ち負け以前のクズだらけの男風景ばかりを見せられてうんざりの日々にうまくはまる.. のかどうか。
邦題は『赤い風車』。 原作はPierre La Mureによる同名小説(1950)、脚本はHustonとAnthony Veillerの共同、撮影はOswald Morris、音楽はGeorges AuricとWilliam Engvickによる英国映画。
パリのMoulin Rougeを舞台に画家Henri de Toulouse-Lautrec(1864-1901)の生涯を回想含めて振り返っていく評伝ドラマ。
冒頭、Moulin Rougeの片隅で黙々と踊り子たちの絵 - みんなよく知るあのシルエット - を描き続けるHenriの姿があって、店が終わって立ち上がったところで貴族の家に生まれながら階段から落ちる事故と遺伝的要因により脚の成長が止まってしまった姿が明らかになり、そこからの帰りに警察から逃れようとしていた威勢のいい娼婦Marie Charlet (Colette Marchand)を助けて家に連れ帰って面倒をみてあげようとするのだが、荒くれ野良猫の彼女はHenriの思いなんて知るか、ってどこかに消えてしまったり、橋から身投げしようとしているかに見えたMyriamme Hyam (Suzanne Flon)に声をかけたら思っていたよりずっとしっかりした女性だったり。
報われそうにない歪な片思いの思いを絵にぶつけて、それなりに絵は評価されていくものの、リアルライフでは次々と見捨てられて気が付けばひとり、を繰り返してどんより壊れていくHenriと、赤い風車をぐるぐる回しながら見守っているMourin Rougeの覆いを、彼の絵の色調、ゆるゆるの輪郭線のなかに描いていく。
彼はなんでMarieにあんなにひどい目にあったのに、どこまでも彼女を求めていったのだろう? という一番どろどろしていそうなあたりが一番残ったかも。
アーティストの見た夢、ヴィジョン、色彩の格子のなかに彼の(あまりぱっとしなかった)人生を封じこめてしまうこと、なぜならそこにこそ彼の(生きる)世界はある/あったのだから – そう思うとVincente MinnelliがVincent van Goghを描いた” Lust for Life” (1956)を見直してみたいなー、と思いつつ、やはり見比べるべきは、同じヴェニューを描いた(とは思えないけど)Jean Renoirによる”French Cancan” (1955)のPierre-Auguste Renoirだろうか。
どちらもそれぞれに見事で、『風車』はHenri de Toulouse-Lautrecという画家個人が見つめていた(光というよりは)底とか床で渦をまく闇を、『カンカン』はPierre-Auguste Renoir - Jean Renoirが夢想した集団の狂騒とその果てのユートピアまで掴まえようとしていて、どちらも総合芸術的なスケールで迫ってくるその強さ。(今、ここからBaz Luhrmannの”Moulin Rouge!” (2001)とかを見ると結構陳腐なものに見えてしまう - あれは青春バカ映画でよいのだが)
8.13.2026
[film] Moulin Rouge (1952)
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