12.12.2024

[film] Miséricorde (2024)

12月8日の昼、Institut Français内のCiné Lumièreで見ました。

ぜんぜん追えてないまま終わっていたFrench Film Festival、気がついたら最終日手前で、Arnaud DesplechinのもLeos CaraxのもSophie Fillièresのもかかったし、Mathieu Amalricもゲストで来ていたのに、とってもがっくりきた。パリで遊んでいる場合ではなかった。

作・監督は“Stranger by the Lake”(2013) のAlain Guiraudie、今年のカンヌでプレミアされてQueer Palmにリストされ、Cahiers du cinéma誌の2024年のベスト1に選ばれている。英語題は”Misericordia” - タイトルをそのまま訳すと「慈悲」? - “Mercy”。

冒頭、フランスの田舎道をぐるぐる走っていく車から。”The Shining” (1980)の冒頭みたいにただ走っているだけなのに滲んでくる不穏さと不安。

車に乗っていた男 - Jérémie (Félix Kysyl)が一軒の家に入っていくと、そこにいたMartine (Catherine Frot)とVincent (Jean-Baptiste Durand)が少し驚いたように立ちあがり、Martineは彼を奥の遺体(きれい)が安置されている部屋に連れて行って対面させる。最初は関係が見えにくいがMartineとVincentは母子で、亡くなっているのはMartineの夫でVincentの父で、Jérémieは彼のところに雇われていたパン職人で、この村には葬儀のために久々に戻ってきたらしい。

葬儀が終わったらすぐ帰ろうとしていたJérémieをMartineは引き留め、かつてVincentが使っていた部屋に泊まるようにいうが、結婚して妻子もいるVincentはどうしてもJérémieが気に食わないようで沸騰してキレる手前でMartineが間に入る。

この村に久しぶりに戻ってきたらしいJérémieはVincentの飲み友達でだらしなくうだうだしている独り者のWalter (David Ayala)のところでパスティスを一緒に飲んだり、山にキノコを採りに行っている神父のPhilippe (Jacques Develay)と話したり、Martineには亡夫の写真を見せて貰って焼き増しを頼んだりしつつ、少し滞在を延ばしたい、と言ってくる。彼らとの間に過去どんなことがあったのか、滞在を延ばしたJérémieがなにを考えているのか、その時間でなにをしたいと思っているのかは不明だが、Jérémieがホモセクシュアルであるらしいこと、それで過去なにかがあって村を去ったこと、VincentのJérémieに対する憎悪もその辺に起因していることがわかってきて。

ここから先はネタバレになるかもなのであまり書きませんが、ある殺人とその死体の居場所を巡るじりじりとしたクライム・サスペンスに変わって、でも驚愕の展開やどんでん、などはなくて、前半にもあった誰がなにをどう考えているのかまるでわからない、「ふつう」の市民のあまりいない、全員がStrangerの掴めないトーンを維持しつつ、それがわかったとしてどうなるというのか、という不敵さ不穏さが冬に向かう暗い光のなか充満していって、その上にキノコがー。

秋の森の赤と橙、そのざわざわのなかを進んでいくカメラがすばらしくて、森のつながりから濱口竜介の『悪は存在しない』に対して『悪は存在する』と言ってしまいたくなる、そんな景色の置かれかた。守られるべき鹿の水場に対するキノコの…

ひとは他者をどうやって受けいれるのか or 排除するのか、について、受けいれる側も受けいれられる側も双方が何を考えているのかわからない and わかろうとしない状態に置いた時、そこで例えばクイアネスはどんなふうに作用するのか、など、深く洞察するというより軽くおさえてみました、くらいか。

俳優は全員 - 警官も神父も、どいつもこいつもすばらしく得体がしれなくて動きも不審で目が離せない。全員すでにゾンビだったとしても驚かない、そんな存在感をもった人々。

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