12月11日、水曜日の晩、Barbican Cinemaで見ました。
脚本・監督は”Can You Ever Forgive Me?” (2018)や”A Beautiful Day in the Neighborhood” (2019)のMarielle Heller、原作はRachel Yoderの同名小説(2021)。 London Film Festivalでも上映されていたがチケット取れなかった。
名前で呼ばれることがない母(Amy Adams)がいて、ずーっと2歳の小さな息子(これも名前がなかったかも)の面倒を見ている。起きて冷凍のハッシュブラウンをフライパンで転がして、公園に連れて行って放牧して昼寝させて、スーパーに買い物に行って、一緒に遊んであげて、たまに図書館で輪になって歌おう、みたいな集まりでママ同士の会話をしたりするが、それで新しい友達ができたり世界が開けたりするわけがなく、どこまでもその繰り返しで休んでいる時間がない。やはり名前のない夫(Scoot McNairy)は仕事で家にいないことが多く、でも育児や家事に非協力的だったりDVだったりすることもなく、割と傍にいてくれるほう、であるとしても結果的に母が休んでいる暇はなくて、休むというより疲れてぼーっとして終わる類のあれで、冒頭からしばらくは、それ(育児)がどれだけ大変でめんどくてやってらんなくてしんどいか、が延々描かれていく。
彼女はもともとはアーティストで、子供がいなければアートの道に進んでいきたかった、のだが今はなにをどうしたってこの状態から抜けることはできない。
疲れきった状態で、ある日どんより自分の体の状態を眺めてみると、お尻に長めの毛が生えてきたり、歯が少し尖ってきたように見えたり、匂いに敏感になったり、でもそんなこと気にしている暇ないし、気にしてどうする? ってやっているうちに体の変化は…
元のきっかけというか狙いは、育児という誰もがなんの疑いもなく母親の役割・仕事と世間に思われて押しつけてくる作業- オフィスの仕事の数倍の献身と集中力と気苦労をもたらす、けど誰からもまともに評価されず報われることがない – が母親をモンスターにしてしまう – そりゃモンスターにだってなるよね、というところから、モンスターだと難しいけど犬なら… ということだったのではないか。でも映画は夫に冗談で”Nightbitch”と呼ばれた彼女が犬になって、他の犬と一緒に夜の町をばうばう走り回って、ほぼそれだけで終わってしまう。
犬になってしまったのだったら、他の犬(母たち)と群れて荒れて夜の町の脅威となってほしかったし、BitchならBitchとしてケツまくって蹴散らすものがあったはずだし、でもそこまではいかない。 図書館の司書(Jessica Harper – すばらし)だけに正体を見抜かれて、なでなでしてもらうくらいで、そんなに小さな、疲れた母の妄想でした.. みたいなリアルなとこに落としちゃってよいのか? って。
もちろん彼女は悪くないし、誰も悪くないし、育児って昔からずっとこういう大変なものだったのかもしれない、でもだからと言って彼女の疲労や喪失感をぽつんと放っておいてよいものとは思わない – というところに、こんなふうにやっちゃったりして、という太くて強めの何かが出てくればー だったのだが。
Amy Adamsはすばらしい。積もっていく不満と溜まっていく不安を無表情とかボディの放置〜無頓着も含めて見事にやわらかい丸みとテンションで伝えてくれる。そんな彼女の姿を見るだけでもー。
他の動物への変態、というと”Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)” (2014)あたりに近いのかしら。
彼女が結婚せずにアーティストになっていたら、Kelly Reichardtの“Showing Up” (2022)のMichelle Williamsのようになっていたのかもしれない、とか。
あと、やっぱり犬なのか。猫ではないのか、とか。
猫だとCatwomanのイメージがあるから? Avengersとまでは言わないけど、Thunderbolts*あたりに入れてあげればよいのに。
12.17.2024
[film] Nightbitch (2024)
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