12.05.2024

[film] All We Imagine as Light (2024)

11月30日、土曜日の晩、BFI Southbankで見ました。

作・監督はPayal Kapadia、最初の長編映画(フィクション)が今年のカンヌでグランプリを受賞して、今出ているSight and Sound誌の表紙にもなっている。とにかくすばらしくて、終わってからしばらく立たずにじーんとしていた。

舞台は人と光と音がごちゃごちゃ溢れているムンバイで、病院の看護婦として働くベテランのPrabha (Kani Kusruti)がいて、まだ若い同僚のAnu (Divya Prabha)がいて、ふたりは一緒に暮らしているのだが、Anuは金使いがルーズなようで今月の家賃払っておいてくれない? って頼んだりしている。Anuにはムスリムの恋人Shiaz (Hridu Haroon)がいてふたりだけで会える場所と時間を探しているのだがなかなかうまくいかない。もうひとり、彼女たちのいる病院の食堂で給仕をしている少し年長のParvaty (Chhaya Kadam)がいて、彼女は夫を亡くしている。

ある日、Prabha宛に小包が送られてきて、送付元はドイツで、中味を開けると炊飯器が入っている。結婚して間もなく出稼ぎでドイツに行ってしまった夫からのものだと思われるがメッセージがないので確証はなくて、これが彼の変わらぬ愛を示すものなのか、さよならに近いなにかなのかはわからない。Anuからは互いのことを十分に知らない状態で結婚するなんてありえない、と言われるのだが、Prabhaの結婚は親が決めたそういうもので、それがもたらしたのが炊飯器ともはやはっきりと思いだせなくなるくらい離れてしまった夫の顔で、これからどうなるんだろう? になっている彼女のところに、真面目で誠実そうな医師がおどおど言い寄ってきたりする。

Parvatyは夫の死後、彼が居住証明を遺していなかったので住んでいる処から立ち退きを強いられ、病院をやめて田舎に帰ることになって、彼女へのお別れもあるのでそこへの向かう途中、海辺の小さな町までPrabhaとAnuもついていくことにする。Anuはこの機会に、とShiazを呼んで森の隅でこっそり会ったり、Prabhaは突然浜辺で出くわした水難事故にあった人の救助をして感謝されて、自分の仕事も少しは役に立ったりするのか、になったり。

人が溢れるムンバイの雑踏、いろんな光がこぼれては消える夜の景色、毎日の通勤電車、突然の土砂降り、それらを背景にいつも無表情でちょっと恐くみえるPrabha、柔らかく温かい印象のAnu、ちょっと疲れてみえるParvaty、三様の彼女たちの日々の不安やうんざり、少しの、少しづつの安堵や段差超えが小さなエピソードとして重ねられていって、それを街の光、雨の湿気、最後は浜辺の潮風が包んでいく。これから自分は、近しい人たちはどうなっていくのか、どこにいくのか? という止まらない思いと感情が渦を巻いてゆっくりと溶けだしていく – 朝になっても消えることはないのだが – そんな夜、とその持続と。

海のほうから浜辺のビーチハウスをとらえたラストシーンが泣きたくなるくらいよいの。海からこっちを見つめているのはだれなのだろう?

多くのひとがSatyajit RayやEdward Yangにあるやさしさを指摘しているが、成瀬の過酷さとApichatpong Weerasethakulのマジックも少しあると思った。

まだぱらぱらしか見れていないSight and Sound誌では、お気に入りの監督としてAgnès Varda、Chantal Akerman、Lucrecia Martel、Federico Felliniを挙げていた。

お願いだからしょうもない邦題つけないでほしい。


A Night of Knowing Nothing (2021)

12月2日、月曜日の晩、BFI Southbankで見ました。↑のを見てすぐにチケットを取った。

Payal Kapadiaの最初の長編ドキュメンタリーというかフィクションも混じったエッセイのような作品で、同年のカンヌでThe Golden Eye - The Documentary Prizeを受賞している。

後でところどころカラーになったりするが、古め暗めに見える過去の記録映像も含めてモノクロが殆ど。
インドのフィルム・インスティチュートで映像を学んでいた”L”という女性が残した、カーストのせいで別れなければならなかった彼に宛てた手紙を落ち着いた女性の声が読みあげていき、そこに過去からのいろんな映像 - 雑踏、マーケット、お祭り、等が重ねられていく。一番時間を割かれているのが2016年の学生デモの様子で、そこではパゾリーニをひいて、学生と対峙する警察側の目線についても考察していて、ここは自分もデモの都度いつも思うことなので、そうだねえ、だった。

それにしても。デビュー長編でこの落ち着きぶりはなんなのか。”Knowing Nothing”だったからー、とかしれっと言うのだろうか。

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