12月12日、木曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
日本公開されるのかどうか不明だが『クーデターのためのサウンドトラック』。 監督はベルギーのJohan Grimonprez。LFFでも結構話題になっていたドキュメンタリー作品。2時間半とやや長いが見応えはある。
音楽の政治利用を異様に毛嫌いする傾向にあるらしいにっぽんの若者にぜひ見て貰いたい。政治は音楽を利用するし、音楽は政治に介入する - Louis Armstrongの歌っていた "What a Wonderful World" なんてそんなもの。
植民地の時代の終わりと冷戦の始まり、その間に勝手に板挟みにされてずたずたになってしまったアフリカのコンゴ共和国の悲劇 – ここに公民権運動が内戦のように立ちあがり始めたアメリカの事情と当時の音楽が重ねられて、最初は視点がどこにあるのか、視野はでっかいのか狭いのかよくわからず、すべてが繋がって全体が見えてくるのに時間が掛かるものの、わかってくると”Dahomey” (2024)と同様、植民地支配の恐ろしさと不条理、なんなのこれ? がじっとり大量にやってくる。
1960年、独立化によってコンゴの天然資源(ウラニウム)を失いたくない支配国ベルギーは、アメリカのアイゼンハワーに泣きついて、これを横で見ていたソヴィエトのフルシチョフがふざけんな、って(核のパワーゲームに影響がでるから)国連の演台に靴を叩きつけ、盛りあがり始めていた独立運動をなんとしても軟化させたいアメリカ政府はLouis Armstrongの楽隊を現地に送りこみ、という四方八方からなんでも飛びだしてくる展開。 自国で人種差別への抵抗の音楽として立ちあがり広がっていったJazzが、植民地支配を継続させるための宣伝のように使われてしまうという皮肉、ディレンマに直面するNina Simone, Duke Ellington, Dizzy Gillespieといった音楽家たち。
音楽による軟化・懐柔施策がうまくいったのかいかなかったのか(たぶんうまくいってない)、最後の方はやけくそとしか言いようのない現地での悲惨な虐殺やサボタージュが横行して、正当な選挙で選ばれて独立コンゴの初代大統領となったPatrice Lumumbaも簡単に暗殺されて、それを受ける形で国連の議場でAbbey LincolnとMax Roachたちが大暴れした件で幕を閉じる。いまのイスラエルと同じ、なぜそこまで?の「?」が何重にも渦を巻く。こうやって眺めてみると戦後のアメリカって自国の外ではほんとろくなことをしていないし、そんな国の忠犬になって尻尾を振りまくるにっぽんも相当なー。
そしてこの資源を巡る醜い争いは、iPhoneの原料確保~寡占、を巡って未だに続いていて、経済が絡むのでより見えにくくなって(誰かが見えないようにして)いるけど、とても歪で出口がない、という点、あるいはいろいろ絡みあって積もった不幸の総量、という点では何一つ解決していないのかもしれない。先はどこまでもしょうもなく暗い。
これと”Dahomey”にあったような現地からの略奪、盗難の視点を重ねてみると、文化(的なもの)がいかに酷い目にあっていいように使われてきたか、を改めて見渡すことができる。伴奏するサウンドトラックではなく、突端を切り崩す革命の音楽がやっぱりほしい。
ニュース映像を重ねていきながらストーリーを浮かびあがらせていくスタイルで、少しだけ欲を言うと、史学者や当時の音楽関係者からのきちんとしたコメントが欲しかったかも。ミュージシャン当事者のは少しあるのだがー。
12.19.2024
[film] Soundtrack to a Coup d'Etat (2024)
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