12月3日、火曜日の晩、CurzonのBloomsburyで見ました。とにかく音のよいところで見るのがおすすめ。
原作はRobert Harrisの2016年の同名ベストセラー小説。 監督は(共同脚本も)Edward Berger。ヴァチカンでのConclave - 世界中から枢機卿が集まり、次の教皇を決める儀式 = 選挙の内部の模様を描いていく - サスペンス x コメディ? .. いろいろ。
それまでの教皇が心臓発作で突然亡くなって、涙をふく余裕もなく枢機卿を束ねるThomas Lawrence (Ralph Fiennes)が教皇選挙の準備をはじめて、世界中から自薦他薦のいろんなの – というか、各教区ではちゃんと修行して徳や実績が認められているそれなりの宗教者たち - がやってきて、最初の方は彼らの紹介も兼ねて厳かに物々しくじりじりと進んでいって、外界との蓋が閉ざされて、投票が始まると、規定数に達する候補者がいなくて – 数が達するまで=教皇が決まるまではずっと閉じこめられたまま - その状態のなか、候補者たちの表の顔、裏の顔いろいろが露わになっていく。 選挙というよりは生々しい捨て身の権力抗争の場に変貌していくのがおもしろい。世界を救うミッションを担う宗教の中枢にある人達がそこまで自己の保身や昇進に執着してしまう理由って… 候補者の枢機卿たちにはStanley TucciとかJohn LithgowとかSergio Castellittoとか、演技に関してはものすごく安定している。 演劇でやってもスリリングになったかも。
実際に集まって顔をあわせてみると、Thomasのところにはふさわしいのは自分だ、とか、自分がなりたい、ってはっきりと言いにくる人とか、昔女性に手をだして子供を作っていたのが判明する人とか、お金の出入りに不審なところがある人とか、そして亡くなった教皇そのひともまた… Thomasからすれば、どいつもこいつも状態がざぶざぶ押し寄せてくるのだが、ブチ切れたり投げ出したりすることはできないししないし。神に一番近いところにいた教皇が亡くなって、すべての統制が効かなくなって地獄の淵が見えてきたのかなんなのか。
これを一身に引き受けるRalph Fiennesのものすごく抑制され統御された演技が、最初の教皇への別れの涙一筋の後は、どこまでも無表情 – というか眉や口元の数ミリの歪みだけですべてを表現してしまう、その凄まじさ。同じくあまり喋らない -でも邪悪な権力者を演じた”The Menu” (2022)のシェフの演技とは180度方向の違う透明さのなかにあって、でも彼の頭のなかにある悲しみ、怒り、慈しみ、焦り、絶望、などは正確に伝わってくる。
そしてThomasと並んでもうひとり、同様の研ぎ澄まされた目でこの儀式を見つめているのがSister Agnes (Isabella Rossellini)で、彼女の揺るがない姿と表情も見事だと思った。思いだしたのは – これとは真逆方向の凝り固まった不気味さを全身で表していた”Small Things Like These” (2024)のEmily Watsonであった。
そういうようなこと(頭のなか)が把握できる位置で聖職者をとらえている(少しだけ頭上に置かれた)カメラ、その神経のひだひだを撫でたり潰したり弦で引っかいたりするようなVolker Bertelmannの音楽もまた精緻にデザインされていて、屋外のテロで天井からガラスが割れて落ちてくるシーンの宗教画みたいな描写はやりすぎな気もしたけど。
最後に誰が選ばれたのか、については賛否あるのかもしれないが、最後は徳が勝つ、ということでよいのかしら?
あと、あの亀は…
12.10.2024
[film] Conclave (2024)
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