もう日本は2025年を穏やかに迎えられていますようー。
こちらの大晦日は期待通りの見事にどんよりぼんやりロンドン - 川縁の花火はやるかどうか微妙、と朝のニュースは言ってて、夕方風がでてた - けどなんか鳴りだしたぞ - で、クリスマスの時と同様、バゲットとチーズを少しだけ買って、ハロッズの〆さばのウワサを聞いたので買ってきて、少し色がほしい.. と思ったので同じハロッズの飲茶コーナーで白・赤・緑の餃子とシウマイを買った。それくらい。年越しそばはこないだ日本に行った帰りの便に乗る前に羽田のコンビニで買ったどん兵衛がある。
今年最後に見た映画は、今日の夕方 - BFI IMAXでのF.W. Murnauの”Nosferatu, eine Symphonie des Grauens” (1922) - 明日から公開されるRobert Eggersのにあわせたやつ - で、今年最初に見た映画はイメージ・フォーラムでのC.T. Dreyer の”Vampyr” (1932)だったので、見事に吸血鬼が挟んでくれた。
あいかわらずぜんぜんよくない、暗くて辛い1年だった。
ガザもウクライナも状況は変わらず、ということは人々も子供たちもずっと権力者の思惑のまま理不尽に殺され続けている。シリアの独裁が終わったのはよいことだが、独裁者を倒すまで13年掛かったこととか、この並びにトランプが入ってくることなどを思うと先には絶望 - 自分のだけじゃない、現地の人たちの - しかない。
日本も変わらずにひどいまま、海外に来たのであのやーな湿気に丸めこまれずに済んでいるのはラッキーなのかも知れないが、兵庫も大阪も司法も報道も、近寄りたくないやばいヒトが勘違いしたまま成熟に向かっているのを見ているようで、とにかく近寄りたくなくなる。だって誰ひとり逮捕されずに野放しなんだから。なんなのあれ?
地球も、どうなっちゃうんだろう… とか、要は明るいことなんてずっと、何ひとつない。その閉塞のなか、沢山の亡くなってしまった、先を絶たれてしまった人たち、ごめんね。
などを考えるのにちょうどよい気候だねえって、でもこの時期にもう一件、考えるべきは足下のお片づけ&お掃除でもあるはずなのだが、周辺数メートルのチリ・ホコリをクイックルなんとかでぱたぱたしたり、チケットの半券とか半端なサイズのチラシとかを隅に寄せれば十分な気がして、なにしろ部屋の真ん中に積みあがった本の大きな山がいくつかあり、本棚を入れるなどしてこれらをどうにかしないことには、どーにもならないんだわ。本棚は重いので考え始めた次の引越し先でどうにかしたい、とすると結局のところどうにもならんー。約1年間、あまり深く考えずに本を買い続けていくとこういうことになるのか、ということを学んだ、のはよいこととしようか。
だれも見る人がいないので、部屋とかクローゼットのなかとか、これまでの自分史上相当にしょうもない状態であることは確かだな、と思う反対側で、これでじゅうぶん、とか判断するのってどこのどいつなのか? じぶんしかいないんだから.. (←こいつはだめだ) 年が明けて、2日くらいからちゃんとやります。
明けてから2024のベストにかかりますが今年のは大変かもー
みなさまよいお正月をー
12.31.2024
[log] 年の終わりに
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