10.01.2020

[film] Nomad: In the Footsteps of Bruce Chatwin (2019)

 9月13日、日曜日の晩、Film ForumのVirtualで見ました。

Werner Herzogによる英国人作家Bruce Chatwin (1940–1989)のドキュメンタリー。
2019年のTribeca Film Festivalでプレミア上映され、同年9月にはBBC2で放映されていたのね(制作がBBCだった..)。

全部で8章、Bruce Chatwinの最初の本 - ”In Patagonia” (1977)から入って彼の著作と生涯を追って最終章で” The Book Is Closed”となる。でも単なる評伝というよりは、Chatwinと親交のあったWerner Herzog自身が語り部となって、彼や彼の著作との関わりも含めて語り、パタゴニアやオーストラリアやウェールズに赴いてガイドしていく。Chatwinを手掛かりに、彼の見て触れて通過したものを踏査しつつ、Herzog自身も自分の映画 – “Signs of Life” (1968)、 “Where the Green Ants Dream” (1984)、Chatwinの原作による“Cobra Verde” (1987)など -  について語り、それは結果的にふたりが背中合わせで志向してきた - 憑りつかれたように原野に彷徨いでてしまう習性というかなんというかの - Nomad - 放浪の思考・精神をわかりやすく(かな?)説明した映画になっている。

最初が『パタゴニア』の冒頭に出てきたChatwinの家にあったブロントザウルスの皮の欠片から始まって19世紀にパタゴニアの洞窟で発見されたGiant Sloth – 巨大ナマケモノ – ひと目会いたかったなあ - の毛皮の話、第二章では英国でのChatwinの生い立ちに触れたあとで”The Songlines” (1987)に出てくるアボリジニの人類学的な考察に向かい、更には未完の著作”The Nomadic Alternative”を通して彼が向かおうとしていた考古学の方にも足を向ける。最後のChatwinのリュックサックの辺りまでくるとHerzogによるChatwin、のような語り口になって、ここに君がいてくれたら、のようなところに行ってしまうのだが、べたべたしたかんじは全くない。

遺されたものをじっと見たりフィールドワークしたりして追って掘って、かつてこれらが動いたり生きたりしていた様やそれが滅びていく様をイメージして紙とかフィルムに落として、それらもまたなにかの染みとか痕としてどこかに吹かれて転がって散っていく。それを遠くから突っ立って眺めているふたりは兄弟のようななにかで結ばれていた、というお話。

結局放浪って、壮大な夢と空白だらけの地図を手に地の果て目指して踏み出して、蒸発しても破滅しちゃったとしてもさようなら、みたいなやつで、でも本当に塵になって消えちゃうのはあれなので、せめてブロントザウルスの皮とかGiant Slothの毛皮とかリュックサックとか彼の本とか彼の映画のような - 夢の欠片でも遺して消えたいもんだぜ、ってかっこよくつぶやいてみる。

たぶんこれって、ゴミみたいな皮片とかぼろいリュック遺されてもそれってなんなの? とかコタツで丸まっていてなにがいけないの? みたいな議論になりがちで、でもそうやってえんえん放浪を続けてきた、続けざるを得なかった動物や民族がかつてはいたし、今もいるし、その殆どは塵になって消えてしまったのだろうけど、そういうのがいた/あったことを知ったり彼らのことを思ったりすることは絶対必要だと思う。なんのために博物館や美術館やアーカイブがあるのか、「知る」というのはどういうことをいうのか、の議論にも繋がるやつ。 あとこれってカフェでネットに繋げばなんでもできるしどこでも行けるし知ることができるから、とかいう勘違いノマドたちの思想とはまったく正反対のあれだからね。

あと、こういう試みというか営みが、好んで「男のロマン」みたいなので括られたり語られたり読まれたりしてしまいがちな気がするのは、ただの気のせいだろうか。女に語ってほしくない(or ただ傍で見ていてほしい)勢力のようなのが確実に存在する気がする。

どっか行きたいなー。

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