10.09.2020

[film] Kajillionaire (2020)

 7日、水曜日の晩21:00、London Film FestivalのVirtualで見ました。
Fesの初日にリリースされたこれはシアターではやってくれなくて、オンラインでのみ。劇場では明日から一般公開される模様。

Miranda Julyの新作。長編映画としては”The Future” (2011) 以来となるがここにくるまでの間、彼女は本を書いて、iOS app“Somebody”を作って、ロンドンのデパートにチャリティーショップを開いて、インスタ上であんなこんなおもしろいことをいっぱいやってきた。そういう中での新作は所謂映画的文体やストーリーテリングの成熟や新境地みたいなとことはあまり関係ない、見る人が見たら相変わらず変なの、としか言いようがないやつかもしれないけど、自分にはものすごくおもしろいやつだし大好きだわ。

Los AngelesにRobert (Richard Jenkins)、Theresa (Debra Winger)、Old Dolio (Evan Rachel Wood)の詐欺・泥棒を生業にしている3人家族 - 喋ってばかりの父のRobertといつも不機嫌で足を引きずっている母のTheresaと、実行役で娘のOld Dolio (Evan Rachel Wood) - がいる。Old Dolioは両親の指示を受けると柵を乗り越えくぐって監視カメラをよけて他人の郵便受けに手を突っこんで引っこ抜いた郵便物から贈り物やクーポンやマネーオーダーをくすねて、3人はそれを金に換えたり、ゆすったり交渉したりのプチ悪事を繰り返してて、ずっと3人固まって行動している割にそんなに仲がよさそうにも見えなくて、報酬は3人で割っていたりして本当の家族かどうか疑わしいくらい。 工場に隣接したぼろい事務所に暮していて、ある時間になると壁の隙間から泡がぶわーって溢れてくるので掃除したりしている。ここの家賃も滞納していて家主Stovik (Mark Ivanir)からは溜まった3ヶ月分の$1500を支払え、って言われて困って、飛行機で荷物を紛失した場合は$1500くらい貰えるってあるのを見て3人でNY (LaGuardia)に飛んでそのまま戻ってきたりする。

で、その戻りの飛行機でRichardとTheresaは隣に座ったMelanie (Gina Rodriguez)と仲良くなって、陽気で楽しそうでフェミニンな彼女は、いつもぶかぶかの同じ服を来てぼさぼさ伸び放題の長髪で低い声でお爺さんのようにぼそぼそ喋るOld Dolioとは親との関係も含めてまったく正反対なのだが、LAに着いた彼女は3人と行動を共にすることになって、Old DolioはMelanieがなんだか気に食わなくて..

『万引き家族』(見てない)とか『パラサイト』で描かれた苦楽を共にする家族のドラマとか家族のありようを描くのとは全然違って、貧困を描くものでも、そのありかたを問うようなものでもなくて、”The Future” (2011)でシェルターにいた子猫のPaw-Pawの引き取られ先としてとりあえず置かれていたような、その程度のものかも。 あの映画でじたばたしながら希求されていた「未来」に相当するのが、この映画ではお金 – に置換可能なモノとか紙とかで、ビリオネアの上のとてつもない大金持ち(Kajillionaire)を狙ってて、なぜそれらをそんなに求めるのか、必要なのか、についてはあまり言及されない。ただ、そういう分割できたり交換可能だったりするモノとかカネでこの世界とか宇宙は帯とか星雲をつくって循環しているようで、たまに襲ってくる地震がそんな彼らの足下を揺らして星屑にしようとするのだが、いったいどうしろというのか。 そしてそういう世界で、愛とか、いったい何でありうるのか。

Miranda Julyの映画でいつも描かれる、どうしてもここではないあそこに行きたい、欲しい、なりたい、のにうまくいかなくて届かなくて、”The Future”にあったように窓を開けて外に向かって思いっきり叫ぼうとするその瞬間がところどころに充満している。誰もが誰かに向かってたまらずに声をあげようとするその瞬間とその持続でドラマが成り立っているような。Old Dolioがそういうので綻びて壊れそうになっているその時、その反対側でMelanieも同様に膨れあがって行き場を失って突っ立っている - そういうふたりであることがわかってきたり。

2017年にロンドンのデパート(Selfridges)でキリスト教、ユダヤ教、仏教、イスラム教の宗教を超えたチャリティーショップ(Interfaith shop)を開いた彼女の経験が反映されたりしているのだろうか? どこから集められたのか、どこにどう使うのかわからないようなのも含めて並べられていた品々は、間違いなく今の世界を構成する有機無機ななにかとしてそこに吹きだまっていた。それらはそうやって人から人の手に流通していくことで世界が保たれている - ように見えて、そういうのがラグジュアリーなテナントの間に突然現われて、消えた。

それにしても、この映画でのEvan Rachel Woodのとんでもなさをどう形容したらよいだろう。それまで体をよじったりひん曲げたり、常にその表皮や殻や毛に絶望していたかのような彼女が、突然狂ったように踊り出すあの瞬間。 あそこにはどんなダンス映画でもミュージカルでもありえないような奇跡的に突出したなにかがある。あれを見せたかったが故にMirandaは(自分が出演せずに)彼女を主演にしたのではないだろうか。

“Old Dolio”って、ゴリオ爺さん(Old Goriot)と関係あるのかしら? 考えすぎかしら?


今週、ちょっと長すぎ。


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