10.09.2020

[film] Eternal Beauty (2019)

前にも後ろにもいろいろ詰まってきたので束ねて書いていく。なにがなんでも書かなきゃいけない、とかそんなことはまったくないのだが、自分の備忘のために。

3日、土曜日の晩、Curzon Home Cinemaで見ました。
昨年のLFFで上映された作品で、作・監督は”Submarine” (2010)に主演していたCraig Robertsさん。

Jane (Sally Hawkins)はparanoid schizophrenia - 妄想性統合失調症と診断されていて、本人も家族もそれは分っていて投薬を含めた治療を続けているのだが、そんな彼女の笑えるような笑えないような、浮かんだり沈んだりの日々 – 両親とのこと、姉妹とのこと、甥とのこと、医院で出会ったやはり病人との恋とか - をややコメディタッチで描く。彼女の周りの世界と彼女から見た - 我々には見えないもの聞こえないものが登場する夢や妄想も含めた世界が切れ目なく繋がっていくので初めは少し混乱するが、色使いや画面のトーン、Janeの衣装も含めて注意深く配置されていて、徒に「普通」と「異常」の境界を浮かびあがらせたり異様さを誇張したり過剰に思い入れたり「回復」を期待したりゴールに置いたり、そういうことはしていない。

監督の家族に身近にいた女性 - 監督は彼女のことをスーパーヒーローだと思っていたそう - をモデルにしていて、ケンブリッジの医療コンサルタントの助言も受けているようなのでそんなにずれたものにはなっていないと思う。けど、こういうのって人や症状の度合いによって、家族や環境によって、それが起こしてしまったかもしれない事故とか傷とかによって受け止め方はそれぞれだろうし汎用的なことをいうのは難しそうだけど、この辺はなんとか纏められている気がした。

それにしても、“Happy-Go-Lucky” (2008)から”Godzilla” (2014)や”Paddington” (2014)を経由して”The Shape of Water” (2017)まで、やはりSally Hawkinsという女優さんは異世界の動物たちと繋がっているとしか思えないし、この作品は“Happy-Go-Lucky”の裏バージョン、と言ってもおかしくないくらいに、彼女を中心とした世界ができあがっている。

もういっこ、監督が画面の色使いも含めてリファレンスにしたのがPaul Thomas Anderson の”Punch-Drunk Love” (2002)である、と。なるほど、あの映画のBarry (Adam Sandler)のかんじは確かに。

途中で聴こえてくるBeth Ortonの”Blood Red River”がなんか沁みた。


Petite fille (2020)

5日、月曜日の晩、これもCurzon Home Cinemaで見ました。フランスのドキュメンタリーで、英語題は”Little Girl”。

8歳になるSashaは身体的には男子で生まれて、でも3歳くらいから両親に大きくなったら自分は女の子になるんだ、と話し始めて、両親は混乱するものの、性同一性障害について勉強して、無知からか知っていたからかいろんな理由でSashaを追い込んだり酷い仕打ちをしてくる学校や地元の病院と戦っていくことにする。

映画はSashaを守るって決意を固めた両親 - 特に母親へのインタビューと、彼らが向かうパリの専門医のところに行って、Sashaを囲んで意地悪や酷いことをする学校や友達とどう対峙していくのかを話し合うところとか、庭や公園で遊んだりバレエ教室でレッスンを受けたりするSashaの姿を追う。

医師の話をじっと聞きながら目に涙をためて懸命に持ちこたえようとしているSashaを見ているとトランスジェンダーの「問題」とされる問題って、人権問題そのものだと思うし、これは常套の「知らなかった」「傷つけるつもりはなかった」で済んでしまう時代ではもうない。差別や暴力が許されないのと同じく。 教育もメディアもきちんと正しい事実とその反対の誤りを伝えて広めていかなきゃいけないし、社会も福祉も制度面でそれを支えるものになっていかないといけない… んだけど。 

なんだけど、両親や彼女の兄のコメントを聞いて、こんな家族としてごくあたりまえのことを言っているだけなのに感動してしまうのってまだまだだよね、っていうのと、ここまで同様のケースでどれだけの子供たちが苛まれたり潰されたり殺されたりしてきたのだろう、って暗澹となる。

そんな人は周りにいなかった、っていう人は自分が見ようとしなかった、周囲が見せようとしなかった、本人がひっそり隠していた、それだけなんだよ、ってどれだけ言ってもどっかの政治家のバカにはわかんないだろうから、こういう映画を見せるのが一番よいと思った。トランスは本人の嗜好とか傾向とか偏向とか、そういうのではない - 教育や指導や矯正でどうにかなるものではまったくないのだ、などなどを改めて。  

それと、これまでなんでこういう状態が維持されてきたのか、これを維持存続させてきた共同体の意識とか機構とかってなんなのか、って。 自分がアートに向かう理由ってこのへんで、かろうじて正気を保てているのも、たぶん。


週末だわ。

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