10.30.2020

[film] The Other Lamb (2019)

19日、月曜日の晩、MUBIで見ました。

LFFで新作 – “Never Gonna Snow Again” (2020)を見ることができたポーランドのMałgorzata Szumowska監督の一つ前の長編(ホラー?)。“Never Gonna Snow Again”で共同監督だったMichal Englertは、本作では撮影を担当している。

人里離れた山奥の滝のほとりで少女たちが座っていて、その滝の奥から彼女たちを見つめる目がある、という冒頭。 そのうち少女たち(を含む女性たち)は共同生活をしていて、それを束ねているのは”Shepherd” – 飼主 – と呼ばれる男 (Michiel Huisman)で、彼以外に男性はいなくて、彼を囲む夕食の長テーブルには彼の右側に”Wives”と呼ばれる赤い服の女性たち、左側には”Daughters”と呼ばれる青い服の女性たちがいて、その集団のなかではWivesの方が年齢も格も上であるらしい。

その支配 / 服従の厳かで静かな様子と雰囲気から、これはカルトの教団グループであることがわかって、映画はティーンでDaughtersに属するSelah (Raffey Cassidy) - 彼女の母もShepherdに仕えていた - の目を通して彼女が経験したり通過したりしていくあれこれを描いていく。

最初はいつの時代のドラマかわからないのだが、途中で棲家の前に警察の車が止まって警官がShepherdに質問しているシーンが出て来たので現代の話であることがわかり、Shepherdの羊である女性たちは衣食住すべて自給自足の生活をして教義らしきものを勉強しながら、共同生活を送っている。子育てや子作りもそこに含まれて、夜になるとShepherdはWivesのひとりの肩に手を置いて奥に連れていってなんかやっている。それを巡って女性たちの間には波風がたったり。

そのうちShepherdは成長したSelahを見て美しい、と言い(げろげろ)、小さい頃からShepherd を崇拝し従うように教えられてきたSelahはそれを十分に意識しつつもどこからか湧きあがってくる嘔吐や不吉な憎悪・嫌悪を抑えることができなくて、過去にShepherdに捨てられてぼろぼろになっている女性や、斑模様でこちらをじっと見つめる羊と出会ったり、その状態を抱えたまま新たな土地を求めた教団(+ 羊たち)の次の棲家を求める旅が始まって、やがてShepherdの手がSelahの肩に…

Shepherdがどこでなにをしてきたどういう男で、教団の教義がどんなので、信者はどこからどうやって集められたのか、等々は全く明らかにされず、でも明らかにされたとしても変わらないであろう不透明な気持ち悪さがホラーの画面の冷たさのなかで淡々と描かれる。その教団、教義、Shepherdにたったひとりで対峙するSelahも、自分がなんでその血まみれの方に向かおうとしているのかは十分わかっていないのだが、それでもやる。”Other Lamb”として。その辺の説得力は申し分ない。

そういえば“Never Gonna Snow Again”も同様、主人公のマッサージ師の来歴や詳細、施術を受ける住民たちの正体は – ちょっと変わった人達、くらいで留められていて至るところ謎だらけで、それでも物語は成立してしまうのだった。

物語の軸や成り立ちは全く異なるけど、教祖/教義的な縛り、その罠から抜け出そうとするひとりの女性の戦い、というところでは”Martha Marcy May Marlene” (2011)を思いだしたりもした。

主人公がぼろぼろになりながらも向かっていくその矛先が明確に描かれていなくても、我々はそれを既に知っている気がする。NY Timesのレビューで、監督は” a dark cry against the patriarchy.” - (家父長制に対する暗い叫び)という言い方をしていて、おそらくこれがー。

これならにっぽんのみんなはイメージできる。いまの政権が具体的な論拠や理由を示さずに、ただそうあるべし、みたいに圧して/推してくるどこまでもグロテスクな同心円状イエ権力のありようがこれ、だ。

でも映画は、ああなるしかあるまい、というところに最後は行ってくれるので、だいじょうぶ(なにが?)。

Raffey Cassidyさんはすばらしい。のだが、これ以降耐え忍ぶ役ばかりになってしまいませんようにー。

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