10.19.2020

[film] Nomadland (2020)

16日、金曜日の晩、LFFでBFI Southbankで見ました。
こないだのVenice Film Festivalで金獅子を獲って、NYFFでも大評判になっていたChloé Zhaoの新作。

上映前にChloé ZhaoとFrances McDormandの録画されたトークが流れて、ふたりでRVにちょこんと座ってなんかよいかんじ。前作の”The Rider” (2017)までは素人を使っていたところを今回初めてFrances McDormandとDavid Strathairnというプロの俳優を起用したことについて、などなど。

原作はJessica Bruderのノンフィクション- “Nomadland: Surviving America in the Twenty-First Century” (2017)。
最初にネヴァダのEmpireという町が石膏工場の閉鎖に伴って郵便番号ごと地図から消えた、という字幕 – 事実が出る。

Fern (Frances McDormand)は夫が亡くなった後もひとりそこで暮らしてきたのだが、今もひとりで、貸倉庫にあるものをいくつかRV(トレイラー)に積んでから凍てつく道路に走りだしていく。最初に入るのがでっかいAmazonの配送センターで、彼女はもう季節労働者として慣れたかんじで仕事仲間とやりとりして、洗濯したりお喋りしたり。そこを出るとまた次のトレイラーキャンプのようなところに移動して、そこでバイトのような仕事をして、あれこれ調達していろんな友達を作ってあそこがいいとかわるいとかの情報交換をして、また次に移っていく。年金とか福利厚生のこともあるので、行政の人とも話したりするのだがそこで彼女は自分を”Homeless”ではなく”Houseless”である、という。

最初にAmazonのセンターが出てきた時、”Sorry We Missed You” (2019) のような貧困をテーマにした悲惨なドラマなのかと思ったのだが、ぜんぜん違った。車が壊れてお金が.. のようなエピソードは出てくるものの、一箇所に定住せず、季節ごとに場所を変えて生きていくFernとその周囲にいる人々(仲間、というかんじではない)のありよう – 「どうやって」生きるのかというより彼女たちが「こんなにも」生きているその姿 - を描く。ものすごく寒そう(天候が)な光景もあれば、極楽のように美しい四季の景色もあり、困ったことも悲しいことも起こるけどそれって我々の日々とそんなに変わらない。そこに悲惨さなんてないし、そもそも誰にそんなことを言う資格があるの?

Chloé Zhaoの前作の”The Rider”は、頭に致命的な損傷を負いながらもロデオの、馬上の世界から抜ける(を捨てる)ことができない男の話で、そうしなければ生きることができないような生き方を美しい景色の中で清々しく描いていたが、これもそうで、車で移動を続けながらその日暮らしを続けていくFernに周囲や家族は同情したり困惑したりするものの、彼女は揺るがず、自分の家であるRVに乗りこんで自分の家である道の上を走っていく。

(Chloé Zhaoが他に潰しのきかない不器用な単独の生を描くのに対して、Kelly Reichardtの映画では誰かがその状態をひっくり返したり煽ったりしにやってくる、気がする)

繰返しになるけど、人がそうやって自分で生きていくことについて、そもそもは(法に触れない限りは)自分以外の誰かがあれこれ言うべきことではない、となった時に次に問われるべきはその生がどれだけ堂々とした豊かなものとして描かれているかで、その点ここでのFrances McDormandは本当にすごい。男のようで女のようで、少年のようで老人のようで、そんな彼女がランタンを手にすたすた歩いていくだけでなんであんなに感動してしまうのだろう。彼女の表情やため息や慟哭を俳優のそれとしてとらえることがまったくできない、そういうすごさ。

繰返しになるけど、人は助け合うもので支え合うもので - そんなの十分にわかるしわかっている、でもそういう生き方ができなくて、両手にいっぱいの記憶や思い出を抱えて立ち尽くして - “What’s remembered lives” - 残っていくのはそういうもので、我々を生かして、生き延びさせてくれるのは家や場所やモノではないのだ、ということを知ったとき、ある場所に留まって暮らしていくことが耐えられなくなる人達もいるのだ、ということもわかってあげてほしい。

少し前に見たドキュメンタリー – “Nomad: In the Footsteps of Bruce Chatwin” (2019)も同様にNomadをテーマにしたものだった。これを見るとヨーロッパとアメリカではNomadのありようも異なる、というのがわかっておもしろいのだが、”What’s remembered”を抱いて/求めてどこまでも獣道を走っていく、という点は共通しているのかもしれない。 そして、この映画にはFernのようなNomadを通して今のアメリカを描く、という側面も当然ある - けどそれはわかりやす過ぎてやや危険な気もする。

そして、あれこれ縛りまくって慣れあうのでNomad的な生き方を断じて許そうとしないのが(特に昨今の)にっぽんの共同体というあれ(縛りの切り札としての生産性だなんだ … )で、世界でいちばん嫌いで苦手なやつなのだが、あの国にもそういう人(々)を描いた作品はあるの。 例えば大島弓子の『ロストハウス』とか。いますごく読み返したいのだが日本に置いてきてしまった..

 “The Rider”に続いて撮影を担当したJoshua James Richards、Ludovico Einaudiの音楽もすばらしいったら。

こういうのに備えるためにアメリカの運転免許を更新しておくんだったわ、と改めて。


夕方に外に買い物にでても、もう日が短くてあっという間に暗くなっていくのでなんか辛い。そのうち慣れる。 といいな。


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