7.27.2026

[film] Ce n'est qu'un au revoir (2024)

7月18日、土曜日の昼、ユーロスペースのGuillaume Bracの特集上映で見ました。彼の一番新しいドキュメンタリー作品2本だて。

ここ数年の日本の夏が酷い、というのは聞いて覚悟していて、今年のヨーロッパも同様らしいのだが、こっちのありえないのはとにかく湿気で、これが視界と汗腺をぜんぶ塞いで、過ぎ去ってくれるはずの夏をべったべたの最悪のにしてくれる。ホラーや怪談がこいつらに対抗できるものとは思えないのだが、Guillaume Bracの映画ならどうだろうか、って。

Un pincement au cœur (2023)

邦題は『リンダとイリナ』 - タイトルを直訳すると「胸を刺すような痛み」。 38分の中編。

フランス北部の、かつて炭鉱があった町エナン=ボーモンで、町を行き交う人はそんなに多くなくてみんなマスクをしている2021年のコロナ禍でのロックダウンの最中、公的機関からの依頼を受けて高校生のワークショップを開いたりしていると、LindaとIrinaという仲のよいふたりが目に留まって、彼女たちふたり(とあともうひとり)がどんなふうにくっついていて、一緒の時間を過ごして、どんなふうに離ればなれになるのか、を(コロナだから)近くに寄ることができないカメラが追っていく。

育った環境も家族も違うし、やがて別別になることは分かっているけど、一緒に踊れば楽しいし、ちょっと険悪になったら悲しいし、やっぱり今は別れたくなんかないし。でもそれが向こうからやってくる時の嫌だ、あと少しでいいから一緒にいさせて、の溢れてくる思いが去っていく夏模様のなかに描かれて、そこにFrançoise Hardyの”L'Amitié”が流れてくる。

ほーんと、なんの変哲もない夏のバイバイを、ここまで沁みるものにしているのはなんなのだろうか、と。

Ce n'est qu'un au revoir (2024)

↑と同時上映の64分の中編ドキュメンタリーで、↑のとは土地 - ドローム県 - も学校も若者たちも、撮影に至るまでの経緯も異なるらしいのだが、ずっと楽しく一緒にいた若者たちの、やがて迎える別れの季節を追って↑の作品との際立った段差はない。同年のカンヌのACID部門に出品されている。

邦題は『また会えるよね』で、このタイトルがすべて。直訳すると「これはただの「またね」に過ぎない」と。

寄宿舎つきの公立の学校なので、昼も夜もずっと一緒に暮らしているのでマットレス倒しも大騒ぎも腰が据わって揺るがないし、『よき谷の物語』にあったような川遊びも楽しい。彼らが普段、どんなふうに校内の施設で立ったり座ったり走ったり、どんなふうに校外で笑ったり遊んだりしているのかが、絶妙な粒感で捉えられていて、いくらでも見ていられる。

肉親の死や幼い頃からの家での辛さなどについて語る子もいて、これらの(小さな)声も集団生活の中で埋もれることなく、ちゃんとそこにある。あるよ、聞いているよ、っていう絶妙なカメラの位置とそこで持続する、こちらに声が届くまでの時間のありようについて。

その流れのなかでの、不可避でやってきてしまう「別れ」に対する態度って、「また会えるよね」しかないなー、って思うと、いまここにある夏も、そのすべてが愛おしいものにー。

これまで見てきたGuillaume Bracのフィルム、フィクションも含めて、人に向かう時の柔らかさ、人懐こさ - 人に出会いたいと願う人への眼差しの暖かさは一貫していて、そんな彼が少女たちのしばしの別れ、その節目に立っているのってなんて素敵なことだろうか、って。


船便はとりあえず着いて、なんとか作った床のスペースに箱は積まれて、向こうで買って運ばれてきた小さな本棚に開けられた箱からの数冊は並べられた。かんたん。 あと18箱くらいあるぞどうする。
今回、床スペースを開けるのに紙束を整理していて、もう何度もそういうシャッフルをしているので、80年代のStudio 200のチラシに、90年代のFilm Forumのチラシに、10年代のBarbicanのパンフに、古雑誌も含めてあれこれ入り混じっていておもしろくて飽きなかった。会社やめたら毎日これやって遊べる。

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