7.13.2026

[film] Vollmond (1998)

7月6日、月曜日の晩、ユーロスペースのFredi M. Murer小特集で見ました。

彼の作品はこれまで見たことなかったので。 英語題は”Full Moon”、邦題は『最後通告』。35mmプリントでの上映。 作・監督はFredi M. Murerによるスイス - 仏 - 独合作映画。

山間の村に暮らすEscher家で、満月の次の日、10歳の息子が帰ってこないままになって、これは誘拐かなにかの事件かも、と通報して警察が動き出して刑事のWasser (Hanspeter Müller)が派遣されるのだが、捜査をしていくうち、この日同様に一帯の12人の子供達が突然に姿を消してしまっていたことがわかる。全員10歳の子供たちで、スイスの4つの言語圏にきれいに散らばって(各3名)いて、誰ひとり書き置きを残さず、争ったり抵抗したりした形跡も怪しい人物の目撃情報もない模様。

という、あまりに静かで穏やかな事件 - 「児童の誘拐」らしくない事件であることが消息を追っていく中で明らかになっていって親たちの焦りや苛立ちとは反対方向のみんなお手あげにならざるを得なくて、彼らが消えた1週間後、各家庭に同じ宗教的なシンボルのようなものが描かれた手紙が届き、宛名の筆跡は子供たちそれぞれのものであることがわかる。この件も含めて不穏な様子がほとんど見えないので、どこかに匿われてどうにか生きているのではないか、になる。

こうしてストーリーは、誰が何を目的にどうして子供たちを拐っていったのか、という犯罪捜査 - 領域や条件を狭めていく - から、こんな不可思議なことが起こってしまった環境や地勢の方に目を向けさせるように動いていって - あまりに手掛かりがないから - いまこの土地で神隠しのようなことが起こりうるとしたら、たぶんたとえば、というふんわりとした考察に向かっていくような – もちろん、ふんわりのはずがない。

グローバル化(云々が言われ始めた前世紀末)、という流れの反対側で言語や人種による分断と孤立化が進み、自然はいくらでも好きなように破壊され淘汰され、テロも戦争も一向になくならず、人類は反省も躊躇もしない - 劇中の子供がいなくなった母親とWasserが一夜を共にしてしまったり、もっと真剣に生きろどうにかしろ、って山の神が何かに向かって怒った - 『最後通告』 - ということでよいのか。

同様に子供たちの集団神隠しを扱った映画 - “Picnic at Hanging Rock” (1975)あたりと比べても神秘的だったり退廃的だったりの雰囲気からは遠く、例えばいまは満月の距離感で離れているだけ、欠けてもじきにまた戻ってくるから、くらいの緩やかな、より現実的に足元を見ているような感覚がある。都会で起こったことではなく、田舎の山奥なので誰も真剣に動こうとはしない、という辺りも含めて、それでも満月は不穏にあたりを照らしだして人々を惑わせる。

いまの、ここ数年の現実世界では、ガザでもイランでも数千人規模で白人たちによって子供たちが殺されていて、それに対して誰も何もどうすることもできない。ここでの『最後通告』を遥かに超えた、本当にひどいところまで来てしまっている、という。(だから半端になだらかに見えてしまうのかな?)

35mmフィルムのややぼやっとした、シャープではない質感が手の施しようのない霧のかんじをうまく出していたかも。

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