7月3日、金曜日の晩、新国立劇場の中劇場で見ました。
吉田都が芸術監督を務める新国立劇場バレエ団 – 6月に英国舞踊批評家協会賞(National Dance Awards)最優秀カンパニー賞を受賞するまで、そんなバレエ団があることすら存じませんでした。
海外からのバレエ公演は一部の貴族・富裕層のためのバカ高いチケットで、円安の流れも含めてそういうのに誰も抵抗しないようなので、国内のでもなんでも見れるやつを見ていくしかないや、になる。
ダブルビルで、同バレエ団の委嘱作品、で、”String SAGA”は世界初演、30分 – 休憩30分 - 25分、という構成。 このシアターは休憩時間に行くところがない。
String SAGA
振付は宝満直也、音楽は久石譲の「Viola Saga」 (2022)。
Twist(撚る)- Tension(張る) - Intertwine(絡まる) - Flick(弾く)- Spin(紡ぐ)- Tangle(縺れる)の6つのパートからなり、『強でしなやかな"糸"(ダンサー)と、鮮やかで豊かな"糸"(音楽)、そしてそれぞれの"性"(Saga)が撚り合い、一枚のタペストリーが織り上がるまでの道のりを描』く、とサイトの解説にはある。
冒頭、暗闇のなかにゆらゆら動く光る繭が浮かびあがり、それをダンサーがつつくとそれに応じて自在に揺らめいて、それに合わせて複数のダンサーが光る糸の周りで操り操られ、絡まり絡められ、を澱みなく繰り広げていく。光の繭は美しくて目にやさしいけど、音楽との絡み、変拍や変調も含めて、旧型モダンの典型でちょっと見たことあるかんじすぎたかも。
いまの日本で糸をテーマにやるのであれば、塩田千春のあの赤い雲に突っこんでいってぐじゃぐじゃになる、か、未だにぶっとくてうざいオトコの荒縄文化に突っこんでいって… どっちにしても突っこんでぐしゃぐしゃ…(にしたい。が見たい)
暗闇から解き放たれて - Escaping the Weight of Darkness
振付はアメリカのJessica Lang – ちなみに大女優の方はJessica Lange – ABT (American Ballet Theatre)でずっとやってきた人なのかー。 ABTはクラシックもモダンも90年代、00年代にものすごくいっぱい見たので、彼女の作品もどこかでなにかは見ているはず – ちゃんと調べろ。
2014年にこのバレエ団のために作った作品の再演。干支が一回転して暗闇のありようは、変わったのかどうか。
音楽はÓlafur Arnalds, Nils Fram, Josh Kramer, John Metcalfeなど。このなかでは、John Metcalfe – 一時期The Durutti Columnにいたよね - くらいしか知らないや。
幕があがると、ダンサーは床に寝ていて、あちこちに散らばっている白く光る雲のような救命ボートのような血小板のような楕円の塊がゆっくりと浮かんで上昇して、進行するにつれ雲は上がったり下がったり、様々な高さのそれらと絡んだり遠ざかったり、寄り添うのか邪魔をするのか。 舞台の奥のほうは腰から上くらいまでの白い仕切りで遮られて、ダンサーたちの下半身、脚たちしか見えない - 脚は宙に浮かびあがったり - 状態で推移していく。
目に見える、目を塞ぐはっきりとした「暗闇」も、そこから「解き放たれ」るような表現もない中、どのようなかたちで、なにが解き放たれ(う)るのかについての細かな接触ややりとりを通して、いくつかのグループに分かれた伸びや寝返りのような動きが同時多発で伝搬してうねりを作っていく。 暗闇を支配するものも眩い希望も見えないが、こんなふうに動いていけるのだ、という祈りにも似たステップ。一気に見せてしまうテンションの張り具合もよくて、あっという間だった。 尖がっていない、典型的なアメリカン・モダーンの様式美にあふれていて、自分にとっては居心地がよすぎてどうか、って。
新国立劇場(中)に向かう前に、国立近代美術館で見たやつを少しだけ。
杉本博司 絶滅写真
彼の写真展はいろんなところで何度も見ているのだが。
芸術の起源とその終わり、とうに死んでいるその死とその先について、銀塩写真というそれ自体が死滅に向かうメディアの上に焼きつける。 そして「焼きつける」という行為そのものも消滅に向かうそれで、どうせそのうちぜんぶ消滅しちゃうんだぞ、ということを伝えるため(だけ)に存在し、機能していく写真というアート。そんなガラクタ系をずっと集めて並べて、海辺の測候所でしぶとく延々観測する、という執念深さ。 とにかく、それでも絶滅するんだから、って延々やり続けるの。
常設展のほうにあった、彼の創作ノートの方がおもしろかった。 やはりここまで突き詰めて考える人だったか、って。
松本陽子 宵の明星を見た日
5日、日曜日の午後に、府中市美術館で見ました。
アンフォルメルからスタートした松本陽子は、杉本博司が絶滅、南無阿弥って言っている横で、まだ遠くに瞬く宵の明星を追って、見つめようとする、ここに現れる明星の若さ、瑞々しさとは、いったいなんなのか、と。
こういうのも含めて「抽象」ってなに? について改めて考えることが多くなった。「宵の明星」っていうのも抽象だよね。
あと、この美術館の常設コレクションの端に、Joseph Love先生の作品が4つ、並んでいた。
彼が「美術批評」誌に評論を書いていたことは知っていたし、作品もいくつか見たことはあったが、ここまで並べられているのを見たのは初めてだったかも。
わたしが絵画の見方(のようなもの、手口)を教わって考えたりするようになったのは先生の講義 – 「西洋美術史」を通年取ったのが大きかったの。取り上げらる絵画はクラシックが殆どだったが、休憩時間には現代音楽をカセットで流したりしていて、今思えばいろんな入口になっていたし、昨年欧州のいろんな美術館を巡っていた時も先生の講義が突然浮かんでくる場面があったり、こういう学びって本当に一生もの、ってしみじみ思うので、大学の一般教養とか文系を軽んじる声を聞くとふざけんな、っていまだに。どんな領域であろうとー。
7.08.2026
[dance] String SAGA / 暗闇から解き放たれて
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