7月4日、土曜日の午後、日仏学院のデュラス特集で見ました。
今回のこの特集で、再見するのも含めてデュラス作品を見てきて、映画としてはおもしろいのだが、感想を書くのは難しいなー、って改めて。今回の短編について言えば、映像として映しだされるものとデュラス自身の何かを語らんとするその語りは関係ない、と言えるものなのか、どこかなにかの繋がりや連関が見えてくるのではないか、と探りながら見る、というやり方もあれば、その土地と歴史、その記憶に関係するもの、それらを呼び覚ますもの、として彼女が練りあげようとしたストーリーを読もうとする、いやそもそもの映画的な語りをぶっ壊すものとして... など、映画とは、小説とは、ということよりもアートをつくる、考えるということの豊かな根幹を考えさせるもの、としか言いようがない。そういうのに対して感想もくそもないわ。ふつうに論考になっちゃうわ。
“Les Mains negatives” (1979) - 『陰画の手』と同様、Pierre Lhomme, Éric Dumage, Michel Cenetの3名が撮影し、Amy Flamerの弦が響きわたる現代の映像と音にデュラスの声が被さっていく。
古代ローマの要衝だった地中海沿岸の都市Césarée、紀元66年に始まったユダヤ戦争で、ヘロデ朝ユダヤの統治者の王女ベレニケはローマ軍司令官と密会して、やがて追放される、という愛と裏切りの悲劇が語られて、そこで映しだされる映像はパリのコンコルド広場や工事中のマイヨールの彫像、テュイルリー庭園など、なんとなく王家の残り滓っぽいあれこれ。
『陰画の手』では紀元前に遺された洞窟の手の跡(陰画)に朝の到来と共に半端に置きざりにされて目覚める現代パリの路地を重ね、そこから愛を求めるひとつの声を響かせていたが、その一年前に作成されたこの作品は、捨てられたベレニケの聞かれることのなかった声を現代の喧噪のなか - 都市と戦争の非情さのなかに放り出す。
Duras et le Cinéma (2014)
『陰画の手』の併映作品だった”Marguerite, telle qu'en elle-même” (2002) - 『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』と同様、Dominique Auvrayが監督したデュラス生誕100周年に向けて作られたドキュメンタリー作品。 邦題は『デュラスと映画』。
『あるがままの彼女』がデュラスの生い立ちや思想や愛がどんなふうに生まれ育まれていったのか、その背景を順に追っていったのに対して、こちらは彼女が映画に(小説ではなく映画に)向かっていった思いや考え方をストレートかつ具体的に示す。彼女の言葉だけではなく、撮影現場の記録、関係者たちの証言 - Melvil PoupaudがBruno Nuyttenの声を、Nahuel Pérez BiscayartがBenoît Jacquotの言葉をあてて、中心にある大きな空洞となったデュラス、そこに当時の関係者たちの声を響かせて彼女の不在を際立たせる。
内容からして、『陰画の手』の後に『マルグリット・デュラス、あるがままの彼女』を、”Césarée”の後に『デュラスと映画』を合わせたのは、狙ったことだったのだな、と今になって気づいた。
Le Navire Night (1978)
↑のに続けて見ました。 邦題は『船舶ナイト号』
パリのドイツ占領時代の名残である使われていない電話回線を通して偶然に知り合った、互いの顔も本名も知らない男女のやりとりが語られる(声はデュラスとBenoît Jacquot)。進行するにつれひとりは裕福な父親の別荘で暮らす白血病の女性、ひとりは電話会社で夜勤をしている男性であることがわかってくるがそれがどうしたで、最後まで彼らの姿が映しだされることはなく、かわりに屋内のインテリア(あのきらきらしたやつなに?)とか、この映画に出演する予定だったDominique Sanda, Bulle Ogier, Mathieu Carrièreらの、メークアップしたり、ただ立っていたり、ピアノを弾いていたりする背中が映しだされる。
“Le camion” (1977) - 『トラック』が運転手とそこに乗りこむ女性を映さないまま、それを遠目で見ながらデュラスとGérard Depardieuがなにやら言い合っていたのと同じように。 乗り物映画 - 車から船へ – こっちには船すら出てこない、頭のなかでとめどなく、どうとでも転がっていく、でも確かにそこにあったらしい愛の物語。
はじめから難破・破綻した映画を計画すること - 彼女は『スクリーンを覆う素材を見つけた』と言っている。なんで映画はルックスに、ヴィジュアルに従属しなければならないのか、という根源的な問い。電話回線を通してここまでの愛を描くことができるのであれば。
そして、この撮影で撮られた素材たちを使って、約2000年前の愛 - ”Césarée”、数万年前の愛 - 『陰画の手』 - が語られる。 『ヴェネツィア時代の彼女の名前』 (1976)のように、そんなの朽ちた建物の隙間からいくらでも湧いてくるのだ、って。
7.09.2026
[film] Césarée (1978)
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