7月11日、土曜日の晩、恵比寿ガーデンシネマで見ました。
邦題は『ビトゥーカ ミルトン・ナシメント フェアウェルツアー』。
2025年に83歳で生涯を閉じたMilton Nascimentoが2022年のフェアウェル・ツアーで世界をまわった後、Belo Horizonteのスタジアムで行った最後のライブまでを追いつつ、彼の人と音楽を紹介していくドキュメンタリー。
“Bituca”というのは彼の幼時からの愛称で、タバコを吸うときのように唇をちょっと尖がらせているさまから来ているそう。その愛称のままずっと来た、というのが素敵。
フェアウェル・ツアーで曲を演奏し、歌っていく姿を追う、というよりは、彼の音楽、その歌のもつ広がりとか意義について、彼自身の言葉だけでなく、ブラジル音楽、米国のジャズやフュージョンの文脈から、いろんな人たちが彼の音楽について紹介したり語ったりしていって、そのメンツがとにかくすごい。
ブラジル音楽界からはChico Buarque, Caetano Veloso, Gilberto Gil, Toninho Horta, João Bosco, Djavan, Ivan Lins, Lô Borges, Sergio Mendes, アメリカ音楽界からはPat Metheny, Wayne Shorter, Herbie Hancock, Stanley Clarke, Quincy Jones, Paul Simon, Steve Jordan, Spike Lee(←出たがり)などなど。 人間国宝、なんてもんじゃないくらいすごい。
アメリカ音楽界からは、おそらくTom Jobimの後、のようなところを受けて、70年代のJazzやフュージョンが追及していって、でもきちんと捉えきれなかったり創ることができなかった音や声の肌理、のようなものをMiltonの音の複雑さと、彼らが他の「ワールドミュージック」の文脈で好んで取りあげる「野生」みたいな文脈で取りこもうとしたのではないか、とか。
ブラジル音楽界からは、ボサノヴァ等のわかりやすい海の音楽とも「ポピュラー」というのとも別に、彼の音楽から「みんなのうた」として魂の根底を揺さぶる、山のこだまのような何かを受けとっているような気がして、それは最初の方で紹介されたElis Reginaとの関わりからも明らかなように、彼の声の震えと滑らかさ、その広がりが根源的なところで人々を魅了した、ということなのだろうか。
わたし自身はというと、1990年のCaetano Velosoの初来日公演でブラジル音楽に結構な衝撃を受けて、かの地のレコードを手あたり次第に掘って聴いたりしていくなか、Miltonの音楽に対してはちょっと別もののとっつきにくい何かをずっと感じていて、それがたしかNYかどこかで彼のライブに触れてなんかわかってしまった気になった、くらい。そのときはPaulo Bragaの叩き出すぶっといグルーヴにやられて、おうこれなのかー、ってかなりびっくりした。
なので、このドキュメンタリーでミュージシャンたちが語る彼の音楽の特徴とかそこから広がる何か、はとてもよくわかるものだったが、その反対側で、彼の音楽に触れたことのないひとにどこまで訴えるものになっていたか、についてはやや「?」で、だからもっとライブの場面 - せめて1曲をフルで - とか、若い頃の彼のライブのフッテージも紹介してほしかった。 これだとお葬式で次々にコメントと感謝を述べている人たちの図、で終わってしまうような。
あと、彼を描いた彼の像って、ほぼ仏画みたいだな、って。そして、彼が仏様なのだとしたら彼の歌って、空也上人像みたいに、実体のある念仏として彼の口から(踊りながら)空に放たれていくのだな、って思った。 最後に彼がぽつんとしているシーンなんて、まるでお地蔵様のようだし。
7.21.2026
[film] Milton Bituca Nascimento (2025)
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