5月31日、土曜日のマチネをAlmeida Theatreで見ました。評判なのかチケットがなかなか取れなかった。
エカテリーナ大帝の生涯を描いたTVドラマ”The Great” (2023) - 最初の数話は昔に見た - の脚本などを書いたAva Pickettの劇作デビューで、トランスジェンダー、ノンバイナリーの劇作家に贈られる Susan Smith Blackburn prizeを受賞している。演出はLyndsey Turner。
“1536”はヘンリー8世によって2番目の王妃Anne Boleynが処刑された年で、でも宮廷ドラマではなく、その頃にエセックスの田舎に暮らしていた3人の女性たちが主人公。
木が1本立っていて周囲は草ぼうぼうのどこにでもありそうな野原からも野道からも外れた場所で、幕が開くとAnna (Siena Kelly)が村の男と木にもたれかかって激しく青姦しているシーンから始まる - 次以降の幕の導入もほぼこれ。そんなふうに激しく、物怖じせず堂々とはっきりとものを言って力強い彼女の近所の友達にはいつも血まみれで世慣れしている助産師のMariella (Tanya Reynolds - こないだの”The Seagull”ではMashaを演じていた)とよくも悪くもふつうによいこの村娘Jane (Liv Hill)がいて、いつも他愛ないいろんなことを話している。
ある日、Anne Boleynが王に囚われて処刑されるかもしれない、という噂が流れてくると、ありえない! こんなことって許されると思う? なんで王だからって? なんで男っていつも? などAnnaを中心に全員がふざけんじゃないわよ! って盛りあがるのだが、それとは別にJaneの結婚というのも身近な話題として近づいていて…
お上とか政治に対する、あるいはいやらしい男社会全般に対して女性たちの間で共感をもって語られる怒りや失望と、自分の身の回りの出来事やお作法とかしきたり(のようなもの)として日々対峙したり受け容れたりせざるを得ない細かな所作とが、処刑と結婚という両極端なイベントとして目の前に現れ、立場の異なる3人の女性の間で交錯し、小さな見解の衝突を生み、これらが暴走して「やっちゃった…」の悲劇に繋がっていくまでをものすごく生々しく描いていて、Anne Boleynが処刑されたその日の、ラストのとてつもないテンション、それが訴えかけてくるものは1536年のそれとは思えない。
舞台を1536年に置いた意味について、Ava PickettはGuardian紙のインタビューで「ミソジニーと家父長制のトリクルダウン効果」というようなことを語っていて、これは本当にそうだよな、と思った。ロンドンから遠く離れたエセックスの田舎にも(日本にだって)、約500年を経た今の世にも、どういうわけか均質なクオリティできっちり浸透して届いて抜かりなくうっとおしくうんざりさせられるこれらってなんなのか。
そしてこれらトリクルダウンの温床となっていそうな男性ホモソーシャルのゴキブリのしぶとさに対する(対置はしていないものの)「シスターフッド」的な連帯の脆さ危うさも - 結局男性の敷いたガサツさや暴力がすべてを … なのだとしたら悔しいし悲しすぎるし。少なくともこれは古から続くそういうもの(伝統?)、みたいに扱ってはいけないよね、って改めて。
日本の少子化の要因って経済以上に絶対ここだと思う。
別の史実を使って日本版を翻案したらおもしろいのに(特定の史実とかはなくてずーっとか… )。
V&A East Storehouse
これの前、同じ日の午前中に、オープンしたばかりのV&A East Storehouseに行った。Victoria & Albert Museumがロンドン五輪をやった跡地? - 東の方の公園に新たにオープンした倉庫(分館?) - これとは別に別館の美術館(V&A East)も来年できる - で約250,000点のがらくたというかオブジェというか収蔵品がでっかい標本箱のように仕切られた立体で並べられている。入場は無料、荷物はすべてロッカー、が条件。それらのブツをちゃんと見たり調べたりしたい人はオンラインで申請すれば館内のStudy Roomで現物を見ることもできるらしい。絵画から台所道具から楽器から陶器から仏像から服から布から、見る人が見ないとわかんないようなものまで、集められたもので美術館に展示されていないのはなんでも。
なんでも扱う/集めて(or 盗んで)きたV&Aだからできることだと思うし、これこそが美術館や博物館のやることだとも思うし。特定の、専門の領域を持っていなくても、箱や包まれた何かが積みあがっているだけで嬉しくなってくる(← なんかの病だよね)人にとっては天国だと思う。
あたりまえだけど、それぞれのモノたちは自然にここに流れてきたわけではないし、そうなるはずだったものでもないし、すべてはいろんな個人とか歴史の個別の事情や巡り合わせが縒りあわされてこうなった - その縁の不思議さも - これだけ集まって渦を巻き星雲のようになっていると改めて思ったり。 - 杉本博司が小田原のあの場所でやろうとしているのもこれに近い何かではないか、とか。
6.09.2025
[theatre] 1536
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