5月26日、月曜日の夕方、CurzonのBloomsburyで見ました。
この日、英国はバンクホリディの3連休最終日で、でもどこかに行く予定を立てるのを忘れた(べつに寝てればいいのに)ので、近場のWinchesterに行った。むかし、コロナでロックダウンしていた時に大聖堂だけでも見れないかと企てたことがあったのだが、開いていなくて見れていなかった。
Jane Austenの生誕250年のイベントがあちこちであって、Winchester Cathedralにある彼女の墓碑と小さな展示を見て、聖堂の近くにある彼女が亡くなった家を見て、戻ってきたらBBCで特集番組をやっていたり。250歳のJane Austen、違和感なくイメージできてしまうのがすごい。
Wes Andersonの最新作。予告から既にWes Andersonの世界が広がっていて、おもしろそうだし、たぶんおもしろいのだろうが、どうしたもんかな、って積極的に見たいかんじではなくて、でも/なので日帰り旅行の終わりに取った、くらい。
センスのよい画面構成と色彩のデザイン、怪しげで何を考えているのかわからない(だいたい不機嫌な)無表情とどこからどうしてやってきたのかわからないミステリアスな登場人物たち – でも演じているのはびっくりするような有名な俳優たちで、彼らの仮面の背後には陰謀とか共謀とか使命とか妄執が蠢いたり積み重なってコントロールできなくなっていて、そんな彼らがどういう因果かこの世に存在するのかしないのかわからないような地の果ての土地にやってきて、それぞれが帰属する集団や家族や一族の信念に基づいて勝手な動きをしていくので、ごちゃごちゃの諍いや小競り合い、場合によっては戦争まで連鎖して起こったり、ばくちのように予期しない事故や出来事も襲ってきて、でも落着、というより複数の線がアナーキーに流れていくばかりで誰にも止めることができない、というパニック、騒乱状態を古くからある映画的な活劇やアクションの伝統や手口も参照したり引用したりしつつ手抜きしないで描いていく。そのイメージ、エクリチュールの置き方はWes Anderson印、としかいいようのない表象を形作って、そのディレクション(非時間、無国籍性、多様性など)はハイ・ファッション・ブランドの戦略とも親和性が高いようでマーケティングも無敵で、みんながかわいいー! 大好き!って褒めたたえてやまない。
Tim Burtonと同じようにそのまま展覧会のアートネタになりそうな小物や空間や作家性を一貫して創って保っていて、何が来ても何回でも見て追っていけるものの、なんかもういいかな、になりつつあるかも。 映画なんて2時間くらいの駄菓子の娯楽でよいのだし、評論家や映画好きはどうせいつものように褒めるのだろうし、とか - こんなひねくれた見方をさせてしまうのも、彼の映画のあまりよくない特徴なのかも。
敵がいっぱいいて常に狙われている富豪の悪徳商人Zsa-Zsa Korda (Benicio del Toro)が誰に産ませたのかの尼の娘(Mia Threapleton)とアシスタント(Michael Cera)を連れてある計画を実行しようとするのだがそれを阻止する勢力もいて、土地を渡りつつ敵を迎え撃ったりやられたり蹴散らしたりしていく… くらいなのだが、登場する全員が強烈な個性と臭いを放つ人たち、一族郎党なので、それぞれの動きとか佇まいとか、へんなのー、って笑って追っているうちに終わってしまって、後にはストーリーも含めてなんも残らない(すでにあまり憶えていない)。残るひともいるのだろうが。
例えば、なんで彼はあんな風貌で傷だらけなのか、過去に何をしてどんな恨みを買ったのか、等について、Wes AndersonをRoman Coppolaも、聞けば設計図やストーリーボードを持ちだして子供のように嬉々としてすらすら説明してくれるのだろう、と思う。でもそんなのちっとも聞きたくならないしどーでもいいやになってしまう - というあたりだろうか。
どうせどう転んだってガキの映画になるのだから、彼にはStop-motionのアニメ + 実写でモンスター映画を撮ってほしいんだけど。 “The Life Aquatic with Steve Zissou” (2004)で、あと少しだったと思うのに、あれの続きでもよいからー。
6.04.2025
[film] The Phoenician Scheme (2025)
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