6.10.2025

[theatre] The Crucible

5月31日、土曜日の晩、Shakespeare's Globeで見ました。昼に”1536”を見て、晩はこれ。

Shakespeare's Globeの屋外のシアターはコロナの時に劇場のツアー(観光)で来たことはあったが劇が上演されるのを見るのは初めて。(いまここでは”Romeo and Juliet”も並行して上演している) 演目はArthur Millerの『るつぼ』(1953)。演出はOla Ince。

休憩があるとはいえ、2時間50分の舞台をPitのスタンディングで見るのはしんどいので椅子席にしたのだが、前の方の席だと背の高いひとに立たれたら遮られたり、背もたれもなかったりするので、次回以降は後ろの背もたれありの、全体を見渡せるところにしようと思った(学び)。

開演15分くらい前からステージの上のほうから太鼓がどーん、どーん、と鳴って、牧師が白い寝間着でぐったりした女性をステージ中央のベッドに運びこんで天を仰ぎながらお祈りしたり、大きな農家のホールを模したようなメインのステージから離れた島のように小さいステージでは土が盛られて女性たちが農作業のようなのを始めたり、銃を抱えた狩猟民の恰好をした男性たちがPitを練り歩いたりする。要は客席を含めた劇空間が17世紀のアメリカの田舎の村の日常に変わっていく、のだが、観客が立っている間をかき分けていったりするのでざわざわと騒がしくて落ち着かなくて、みんなスマホを見たり写真を撮ったり – 都度注意されていたが – しちゃうものだし。

セイラムの魔女狩り裁判をテーマにした“The Crucible” - 「るつぼ」という劇がそもそもそういう騒がしいもので、火のないところに煙をたてたのは誰とか、なんでこんなことになったのか → 魔女だから → なんで魔女? の同じところをぐるぐる回り続け、認めたくない人は滑稽なくらいに認めないし、でも病のような明らかにおかしいことが起こったりはしているし、まず現象を受けいれるのではなく、受けいれないところ - 起こっているけど起こってはいないのだ – みたいな不信と不条理から入ってしまうので、みんなざわざわ落ち着かなくなるのは当然で、どうなるかというと、声の大きい人が勢いで場を制して、それで落着したようになってしまう。 どこかで見られる/見たことある光景ですね。

本当は少女たちをパニックや金縛りや憑依に陥れる恐怖や村の底を流れていそうな禍々しい何かを掘って炙りだすような劇でもあったはずだが、ここではがやがやした群像時代劇に徹して、John Proctor (Gavin Drea)とかつて関係をもったAbigail (Hannah Saxby)との、John Proctorと妻Elizabeth (Phoebe Pryce)との対立、Johnのところに奉公しているMary Warren (Bethany Wooding)の悲惨などが前に出て、後半の裁判ではDanforth (Gareth Snook)の滑稽なほどのオトコの嫌らしさが際立ち、全体としては、これだから田舎は怖いわ - 魔女なんかよりも断然 - になってしまう。それもそうなんだけど.. それもあるけど、もっと怖いのはその田舎(るつぼ)が「グローバル」の広がりを見せてきていること、ではないか。

“The Crucible”は、2016年にBroadwayで上演されたのを現地まで見に行って、この時は演出Ivo van Hove、AbigailがSaoirse Ronan、John ProctorがBen Whishaw、音楽Philip Glass、というスタッフ&キャストで、世界はひとつの荒れた教室としてあり、どこまでもきりきりと自己と他者を縛っていくとこんな奇怪なものが、というArthur MillerというよりIvo van Hoveなやつだったが、より原作に近い世界を表しているほうでいうと、今回の上演版のほうかも知れない。

2016年の地点から見たいま、「世界」との緊張のありようって、視野はより狭く、でも自分を中心にした時には割と勝手に広く、間がいろんなノイズまみれでしんどくて、でも認めてもらえるならそれでよし、みたいになっているような? そんな簡単じゃないよ、じゃなくて誰かがそんな簡単に - 甘くやさしい「るつぼ」にしたがっているのがわかって、あれこれ吐きそうな。

というのを、客席も含め騒々しく落ち着かない雰囲気のなかで見ていて、21:30頃から空がうっすら暗くなっていくのはちょっとよかったかも。

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