6.26.2025

[film] The Rain People (1969)

6月8日、日曜日の夕方、BFI Southbankの特集 – “Wanda and Beyond: The World of Barbara Loden”で見ました。

作・監督はFrancis Ford Coppola。邦題は『雨のなかの女』。Coppolaがこんなのを撮っていたんだー、というのと、CoppolaとBarbara Lodenという線について考える。

ロングアイランドに住む主婦Natalie (Shirley Knight)は夫が寝ている間に家のワゴン車に乗って家を出て、実家に寄って、でもそこにいられそうにないので、更に西に向かい、途中のガソリンスタンドで夫にコレクトコールをかけて、自分が妊娠していること、でもしばらくは離れていたいことを告げる。両親からも夫からも離れて、彼らからするとNatalieの行動は理解できない。彼女もわかって貰えるとは思っていない。

途中でヒッチハイクしていた若者を拾い、彼はかつて大学フットボールの花形選手で‘Killer’ (James Caan)と呼ばれていて、試合で脳に損傷を負って見舞い金として貰った$1000を手元でほら、って見せてくれたりちょっと挙動が変なのだが、なんか捨てておけなくて、モーテルで関係をもったりもするのだがそこまでで、犬を躾けるように彼を扱って、彼はそれでも静かに付いてくる。 この後もKillerの元恋人の家を訪ねたり、道端の動物園で虐待飼育されている鶏とかをリリースして騒ぎになったり、コレクトコールでしつこく絡んでくる夫の電話線をずたずたにしたり、はらはらすることばかりなのだが、家的なものから逃げていくふたりのロードムーヴィーの雨に降られて錆びれたかんじがよいの。

Killerを吹っ切るようにして置き去りにしてから、スピード違反の切符を切りにきた警官のGordon (Robert Duvall)と仲良くなって、彼と娘の暮らすトレーラーハウスに呼ばれ、そこからの展開は”Wanda”の最後のようにしょうもない…

主人公はNatalieのはずなのだが、どうしてもKillerとかGordonといったバカで単細胞な男たちの危なっかしさの方に目がいってしまう、これはしょうがないことなのか…  すべて雨に降られちゃったから、って立ち尽くすしかないRain Peopleに、暗い道をとぼとぼ歩いていく”Wanda”の姿が重なる。


次の短編4本も特集”The World of Barbara Loden”からのひと枠で、6月9日、月曜日の晩に見ました。

“Sentimental Educations: Barbara Loden’s Classroom Films”というタイトルが付いていて、彼女が”Wanda”の他に監督(これらも16mmで撮影)した教育プログラム用の短編を見ることができて、このなかの1本は16mmフィルムで上映された。 Barbara Loden監督の2本を見ると、Kelly Reichardtだなあ(Barbara Lodenからの影響の大きいことよ)、って改めて。

The Frontier Experience (1975)

25分の作品。1869年、カンサスの荒野で子供たちふたりを抱え、夫はいなくなり、を生き抜いた女性Delilah Fowlerの手記をもとにした映画で、主人公をBarbara Loden自身が演じている。想像もつかないくらい大変そうで悲惨でかわいそうで、こんな過酷なところでどうやって?って話なのに、全体のトーンは乾いていて力強く、彼女はあそこで生きていたんだなー、がこちらに迫ってくる。

The Boy Who Liked Deer (1975)

これだけ16mmプリントでの上映。現代の話で、家でも学校でもやりたい放題の傲慢なガキがいて、近所にいる鹿たちを(鹿だけは)可愛がっていて、仲間たちと一緒に先生が大切にしていたE. E. Cummingsの初版本をぼろぼろにして泣かせたり(ここは先生がかわいそうすぎる)、でも彼らが別の悪戯をして狼藉して逃げる時に鹿の餌に毒が入っちゃって、大好きな鹿がしんじゃってわーわー泣くの。大好きなものってこんなにも脆いものなので、意地悪はやめようね、と。


The Fur Coat Club (1973)

次の2本は↑の”The Frontier Experience”でスクリプトを書いたJoan Micklin Silver – あの“Crossing Delancey”(1988)を監督した人だよ! - の最初期の作品で、どちらもすごくよかった。

現代、マンハッタンのセントラルパークの冬、小学生くらいの女の子ふたりが一緒に遊んでいて、道行く人の着ている毛皮にタッチする、タッチすれば幸せになれるらしくて、毛皮のひとを見つけては追っかけて背後にまわって毛皮なでなで、を繰り返していると、毛皮店の前に来て、そこは毛皮の宝庫だったのでなんとか忍びこんで幸せに満ち溢れていると閉店の時間になって鍵をかけられてしまってどうしよう、になっていたら夜更けに強盗がやってきて…

とにかく跳ね回るふたりがかわいい。90年代、毛皮反対の大波が来るNYにもこんな時代があったのねーになる。彼女たちはまだ毛皮をなでなでしたりしているのだろうか?

The Case of the Elevator Duck (1974)

古くて大きなアパートに大きめのエレベーターがあって、ある日そこの住人の少年が乗って自分のフロアまでいくと、エレベーター内にアヒル(生)がいるのを発見する。家に連れていったら怒られたので、アヒルと一緒にエレベーターに戻って、ひとつひとつ降りながらアヒルがどこのフロアで反応するのかを見ようとするのだが…

なんでアヒルがエレベーターに乗ってるねん? という突っこみを掘りさげていくのではなく、迷いアヒルをなんとかしてあげなきゃ、ってアヒルの身になって考えてあげる少年の魂がすばらしい。食用だったりして… とかそういう心配もいらなかった。

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