6.30.2025

[music] Little Simz & Chineke! Orchestra

6月22日、日曜日の晩、毎年のMeltdown Festival のクロージングのライブをRoyal Festival Hallで見ました。

今年のMeltdown のキュレーターはLittle Simzです!と聞いた時は動揺を隠すことができず、その理由はキュレーターがLittle Simzだったから、ではなくこの人なのかバンドなのか、何者なのかを全く知らなかったからであった。フジイなんとかとかヨネズなんとかのロンドン公演のチケットがすぐに売り切れました、と聞いてもそれは異世界の話(いまだに聞いたことない)なのでどうでもよいのだが、英国音楽が好き(って言ったことはないけど)で、それを(も)きっかけのひとつとして英国に暮らしている者として、うっとおしい懐古パンクやろうにだけはなるまい、と日々肝に銘じている者として、キュレーションされる側はまだしもキュレーターの人を知らない、というのは不勉強にもほどがある猛省すべし、しかない。じゃあすぐに彼女の音楽を買って予習したか、というとそれもしないで、せめてライブに行こう、にしたのだがチケットをどうにか取れたのは前日なのだった。

彼女と共演するChineke! Orchestraは黒人を中心に民族的に多様な構成からなるユニークなオーケストラで、サイレント映画の伴奏かなんかで聴いたことはあったかも。

客層は、例えば昨年のMeltdownのトリのChaka Khanと比べるとやはり若くて元気いっぱいでノリはよさそう - で実際にすごくよかった。彼女がキュレーションしたMeltdownのアーティストにはThe StreetやJames Blakeがいて、とんがった系のヒップホップなのかな? くらいで、そもそもこの辺の音のカテゴリをわかってないし、ちゃんと聴かないで決めつけるのはよくないし。

ステージ上は、最初からChineke! Orchestraと彼女のバックバンド(4人?)の混成で、アンサンブルはひとつで彼女が登場してライムはじめると同時にホーンが虹のように鮮やかに立ちあがり、これはすごいかも、って。ヒップホップにオーケストラが乗っかる場合って、ぶっといビートの背後にそそり立つように音の布団を敷いて厚くする、補強するアプローチが多い気がするのだが、これは異なるやり方、アンサンブルとかクモの巣を張り直している気がした。バンド編成でのアレンジが想像できない編み込まれ方、というか。

“Little Simz”なのでやはり体は小くて、でもスタイルはボクサーのようにパワフルで四方からわんわん飛んでくる音の矢をぜんぜん負けずに打ち返し、その隙間には客席を煽って止まることがない。ゲストが何人か登場し(ごめん誰だかわからず)歌で彼女とやりあってはハグしたり、客席におりてきたり、まったく落ち着きがなくて微笑ましい。あげくに指揮者から指揮棒を奪って指揮までしてた。ラップしながら指揮する人なんて初めて見たかも。

この調子で約1時間半、まったく止まらずに走りきって、オープニングから客席隅々まで立たせて歌わせて笑顔でMeltdownさせて、こんな人をどうして嫌いになれようか、であった。

Fujiにも行くみたいだが、3日めはGreenで彼女をみて、WhiteでHaimをみて、それで終わりでいいじゃん、とか。


Public Enemy

6月27日、金曜日の晩、Royal Albert Hallで見ました。アルバート公の館に民衆の敵が押し寄せる。

Chuck DもFlavor Flavも誰かのライブのゲストで個別にやってきたのは見たことあったがバンドとしてのライブには接したことなくて、ずっと(30年くらい)見たかったの。

客席にいくと彼らの新譜のCDがすべての椅子に挟んである。なんてふとっぱら。客層は黒人もいるけど、やはり白人の中高年が多い(これはこれで…)。アジア系はあんまいなくて、これは割といつものことなのだが、ひとりなのか?だいじょうぶか?って声をかけられる。ほんと大きなお世話だわ。

ライブは最初からみんな立ちあがって前のめりでもちろんよいのだが、数日前にみたLittle Simzとの違いを思ってしまう。同じラップでも、当たり前だけどイギリスとアメリカでこんなにも - その違いはどこからくるのか - って国と社会が違うんだから違って当たり前なのだが、英語の音韻の根っこから分かれていくような。

というのはPublic Enemyのライムが(音として)ものすごくよく馴染んでしみてきてたまんなかったからで、それは90年代のNYにいた頃にMTVをずっとつけっぱなしにして”Yo! MTV Raps”とかを流していたのとかもあるのか、ブロンクス育ちのプエルトリカンに英語を教わっていたからなのか、あの当時の東海岸のラップというのは自分にとって特別なもんなのかも、って今更に。

アンコールなしで1時間半もやらなかったくらいだったが、最後、Flavor Flavがひとり残ってマイク片手にみんな、差別はやめような、殺し合いはやめような、って切々と言い続ける姿に感動した。この人、音楽ドキュメンタリーに出てくるとよくわかんないこと言う変なおじさん枠だったのだが、もうそんなこと言わない。ずっと続けてほしい。


BBCで金曜日からずっと流しているグラストンベリーはやはりぜんぜん見れてなくて、さっきOlivia Rodrigoだけみた。すばらしいったらない。

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