10.24.2024

[theatre] Roots

Almeida Theatreで2本のお芝居を週替わりくらいで上演している(11/28まで)。 どちらも同じ円形の舞台(ゆっくり回転させることができる)を使ったシンプルなセットで、俳優も被る形で、1950年代のkitchen sinkドラマの古典の二本立て – どちらも怒れる若者が中心にいて、なぜこれらを今? というのも含めていろいろ考えさせられた。

Roots

10月15日、火曜日の晩に見ました。
原作は1958年のArnold Weskerの3部作戯曲のうちの2つめ。演出はDiyan Zora。

ロンドンに出ていたBeatie (Morfydd Clark)がノーフォークの実家に戻ってきて母 (Sophie Stanton)や妹と会い、彼女に社会主義とかいろんなことを教えてくれたRonnieが実家に来るというので歓迎パーティの準備をする。

最初はよく帰ってきたねーとかいろいろ相手をしてくれるのだが、母は料理や家事で忙しくて関心事はぜんぜん別のとこにあるし独り言ばかりだし、他の家族もそうよかったねえくらいの反応しかしてくれなくて、動きも緩いしすべてがのろいし - 円形の床が時計回りにゆっくり回転していく - なんでみんな社会にそんなに鈍感でいられるの? 根を張って動けない木みたいにずっとそのままで、変わらないままでいいの? と最後にぶちまけられるBeatieの怒りもそらされて、彼がここにいれば.. って待っていたRonnieからはお別れの知らせが…

話しが合わなくて空気も読めなくてBeatieは残念だったね、という話ではなく、ずっと田舎に暮らす「ふつう」の家のありようが如何に若者を苛立たせてきたか、これは別に50年代のイギリスではなく、いまの日本だって(のほうが?)十分にその空気と雰囲気はあって(イギリスの階級制 vs. 日本の家父長制)、地方都市も含めた田舎の空洞化のザマってこういうことだよね、と思うものの、自分が疎まれる側の老人になってしまったので、この問題はもういいや、でもある(本当はよくないけど)。 kitchen sinkものがあまり取り上げられなくなった事情はこの辺にあるのかも、と思いつつ、ジェンダーも含めて未だにアクチュアルな問題だと思うし、めらめらと静かに溜まっていくBeatieの怒りが最後に爆発して、仁王立ちになって泣きながら訴えるシーンは本当にすばらしいと思った。少なくとも政治のことはわかんない、とか言わないで!って。


Look Back in Anger

10月18日、金曜日の晩に見ました。

原作は1956年のJohn Osborneの戯曲で、Tony Richardson監督 + Richard Burton主演による同名映画(1959)も有名。映画の邦題は『怒りを込めて振り返れ』。

関連は知らんがDavid BowieにもTelevision Personalitiesにも同名の曲があるし、OASISの”Don’t”が付いたやつはどうなの?(どうでもいい)。 演出はAtri Banerjee。

冒頭、ステージ上に一組の男女が浮かびあがり、横たわる女性の方が床の下にすっと消える。明るくなると質素なリビングで、真ん中で妻のAlison (Ellora Torchia)がせっせとアイロンがけをしていて、夫のJimmy (Billy Howle)がその横で新聞を読んだりタバコを吸ったりしながらどうでもいいことを呪いのように喋り続け、その延長で暇つぶしのように彼女につっかかり罵っていく。

妊娠していた彼女はそのことすら怖くて言えず、やがて彼女の親友のHelena (Morfydd Clark)が現れてJimmyに目の前に立つが、彼女もまた…

映画版は、映画だからか家のなか - kitchen sink - 窓の外も含めて生活環境をまるごと映しだすことで、世の中 vs. Jimmyの置かれた境遇や彼の無力さを– 彼の苛立ちや怒りの根源を映しだすことができていたように思うが、このシンプルなセットでは彼のtoxicな暴力性が浮かびあがるばかり、ただのお茶の間(=牢獄)DVドラマにしかなっていなくて、怖いってば。

寝る時間になってテディベアとリスのぬいぐるみを使ってふたりしてごめんね、みたいな寸劇もやるのだが、焼け石だし。クマをそんなのに使わないで。

迫力はあるし演技もちゃんとしているとは思うけど、トラウマのある人が見たら逃げたくなるレベルのどつき方だし、ステージ上でずっとタバコやパイプを吸っているので煙くて、あんなに煙くなるのなら注意書きしてほしかった。

最初はJimmyを敵視していたHelenaが彼に絡み取られてしまうのも、ストーリーとしてはわかるけど、なんなのこいつ?しかない。彼の怒りの核にあるもの、その向かう - 振り返る先、あるいはそうさせていたもの、が見えない - こう思わせてしまうのって、この劇としては失敗なのではないだろうか。

こういうのが年取っていくらハラスメントをしても平気な困ったじじいになっているんだろうなー。日本だったら太陽族とかでちやほやされていた連中。男性というだけで何かを許されていた幸せな人たち。

どちらも50年代の若者の怒りを描いていながら対照的で、ひとつは今もリアルで、ひとつは今もしょうもないな、って思った。

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