10.29.2024

[film] A Real Pain (2024)

10月20日、日曜日の昼、Curzon Sohoで見ました。 LFFからの。

今年のサンダンスでプレミアされたJesse Eisenberg監督(出演も)作。プロデュースにはEmma Stoneと夫のDave McCaryの名が。

冒頭、滑らかなショパンのピアノに乗って、空港(JFK)に向かうDavid Kaplan (Jesse Eisenberg)が既に空港にいるらしい(いてほしい)従兄弟のBenji (Kieran Culkin)に「これから出るから」「今でたから」「まだBQE、あと2時間くらい」などばたばた頻繁に電話をかけ続けていて、でもBenjiは一切無反応で –でも空港に行ったらふつうにいて、この時点からふたりのキャラクターの違いが対照的に紹介される。

彼らはワルシャワに向かい、ホロコーストを生き延びて米国にやってきた祖母の故郷を訪ねようとしている。おばあちゃんのことが大好きだった彼らにとってこの旅は念願の、長年温めてきたものだが、テック企業でインターネット広告を手掛けているDavidが忙しくて実現しなかった(ことが度々BenjiからDavidへの嫌味のように語られる)。

ワルシャワに着くとイギリス人のガイドに率いられて観光ツアーする他の人たちに合流して、LAの離婚経験者の女性とか、ルワンダの大虐殺を生き延びてカナダでユダヤ教信者になった人とか、両親が米国に渡った老夫婦とか、誰もがホロコーストの歴史やそのトラウマと関わりがある家族をもつ人々と出会うのだが、Benjiはあまりに開けっ広げで全員が息を吞むようなことを言ったりやったり、それを背後からDavidが真面目に謝ったり補ったりしていって、その痛さ – なんて実は”Real Pain”ではなく、きちんと悼むことができないまま時間が経って、こんなふうにしれっと「観光」に来てしまうこと、こんな形でしか来れなかったこと、なのか、祖母の住んでいた住所を訪ねてもなにもなかった(ごく普通の家があるだけだった)ことなのか、従兄弟同士の間でさえ十分にその痛みを分かち合えないことなのか、いろんな解釈ができる。そんなふうな「解釈」に落とせてしまうことだよ! ってBenjiだったら言うのかしら。

6月に見た”Treasure” (2024)はStephen FryとLena Dunhamの父娘がやはりホロコーストの現場とポーランドにあった父の生家を訪ねていく旅モノだったが、彼らは生まれ育った家を、そこで何か – Treasure? - を見つけて、戻る。 “Pain”と”Treasure”のギャップはどこから来るのだろう? 当事者である/あったかどうか? ヨーロッパ映画とアメリカ映画の違い? あと、やはりどうしてもパレスチナのことを思わざるを得ない。”Pain”どころじゃない酷いことをしていない?

“The Social Network” (2010)の Mark Zuckerbergのなれのはてのようにカリカリしつつちょっと疲れたJesse Eisenbergもよいが、やはりKieran Culkinがすばらしい。”Igby Goes Down” (2002)の頃からKenneth Lonerganによる演劇 - ”This is Our Youth” (2014)までずっと追ってきたが、改めて。 ラスト、JFKでの彼の表情ときたら。

音楽はほぼずっとショパンが静かに伴奏していて、盛りあがろうとするのをあえて回避するかのようにさらさら流れていって、こういうのもよいなー、って。


Flow (2024)

10月20日の午後、↑と同じくCurzon Sohoで。これもLFFので、初回の上映はBFI IMAXでやっていた。ラトビア産のアニメーション。動物が好きだから、くらいで。
あたり前だけど、成瀬の『流れる』(1956)とはなんの関係もなかった。(あちらの英語題は”Flowing”)

監督は”Away” (2019)のGints Zilbalodis。ほぼひとりで作った前作よりも人数は増えたらしいが、手作り感はまだたっぷり。
前作はバイクに乗って走り続けるヒトのお話しだったが、今度のはヒトはいなくて動物ばかり。動物同士が(人間の)言葉を交わすことはない。 出会い頭のなんだこいつ? - 何を考えているのか、敵か味方か、やるかやられるかの緊張は伝わってくる。あと、彼らが絶えず移動している/していくところは”Away”と同じか。

主人公は黒猫で、庭に大きな猫の彫刻がいっぱいある森のなかの廃屋に - 暮らしていたのか、見つけたのか - いて、だから(たぶん)人間が、人間と猫が暮らしていた世界があったことはわかるのだが、彼らはどこに行ってしまったのか消えてしまったのかは不明、そしてどこかから洪水のような水がやってきてすべてを押し流して森を浸して、黒猫は浮かんだり沈んだりしつつ、どこかから流れてきた小舟に乗って漂っていく。 小舟にはカピバラ(寝てばかり)がいてキツネザル(いろいろ集めている)がいて、白くてでっかいサギのような鳥(何考えているのかわからず)、元飼い犬で野犬の群れにいたが寄ってくるゴールデンリトリバー(よいこ)、などがひとつの舟に乗って流されていって - やや”Life of Pi” (2012)ぽい - 自分らで舵をとってみたりもするのだが、その間、動物同士でもいろんなことがあるし、水がひいてまた戻って、もあるし、どこに向かっているのか、何が起こるのかなんてわかるわけないし。 あと、でっかいクジラみたいのとか、海竜みたいのも底から湧くように、黙示録っぽく現れたり、なにがいるのか、出るのかわからない世界、でもある。

悲しみも歓びもない、そういう機微とか時間のスケールがなくなった世界を描く – もう少しめちゃくちゃやってもよかったのでは、と思わないでもないが、みんなかわいいからいいか、って。

グラフィックとして、技術的にどうなのかはわからないし、どうでもよいのだが、“Flow”として止まらずにどこまでも流れていくのはそうだなー、って。

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