10.16.2024

[film] Ernest Cole: Lost and Found (2024)

10月11日、金曜日の晩、Curzon Mayfairで見ました。
今年のLondon Film Festival (LFF)で自分が見た最初の1本。“Lee”からの写真家繋がりもあるか。

ドキュメンタリー作品で、監督は“I Am Not Your Negro” (2016)のRaoul Peck。今年のカンヌでプレミア上映されている。

もう終わってしまったが、6月にPhotographer’s Galleryで”Ernest Cole: House of Bondage”という企画展示があって、彼の写真集“House of Bondage” (1967)に沿う形で当時のアパルトヘイトがどんなものだったかを紹介していくもので、一見ふつうのようで、よく見ればとても酷いことがわかる情景を一枚の絵のように停止した時間の中で捉えていたのが印象に残っている。 なぜ今これが? という問いに応えるのがこのドキュメンタリーだった。

1940年に南アフリカで生まれて幼い頃から写真を撮り始めたErnest Coleが50年代後半から地元の雑誌に写真を載せるようになり、日々の通勤風景や路上や市場の光景、ある晴れた日の居住地、奴隷と雇主のコントラスト、など、EuropeanとNon-Europeanがふつうに(厳格に)隔離・管理されている社会のありようを告発、というよりこれが淡々とした日常の光景として慣れっこになってしまった、そのつーんとくる恐ろしさ示したものになっている。

1966年に亡命するようにNew Yorkに渡って写真集“House of Bondage”を発表して名を知られるようになり、NYでも固着・常態化しているように見える人種差別に晒された街の景色を同様のタッチで発表していくのだが、68年、南アからは帰国を禁止されて無国籍の根無草となり、米国でも、自分はどこに属する誰なのか、を常に自身に問いながら写真を撮っていったように見える。写真集出版でそれなりの名声は得ても、道端で立ち尽くしてしまうかのような無力感、寄る辺ない孤絶感が常にそこにあって彼をゆっくりと苦しめていったような - 何度も映しだされる彼のポートレート、そのぽつんと寂しそうな狐の表情を見ると…

後半は、2017年にスウェーデンの銀行から突然発見されたColeのネガなど資料ひと揃いの謎 – 誰がどうしてここに? はまだ明らかにされていない – とそこを掘り返しつつ改めて辿られる彼の軌跡と遺したものの数々。 6月に見た企画展示もここで発掘されたもの 〜 “House of Bondage”再発に端を発したものだったのか。 前半が”Lost”で、後半が”Found”なのね。

彼自身の苦悶や孤独の明滅もあるが、それ以上に当時のアパルトヘイトのありよう - 国が教育から経済から何から何まで人種差別をする仕組み・施策を組みこんで徹底して運用してバックアップしていた - の、今の地点からみた異様なこと、その恐ろしさを切り取られた景色として眺めると改めて衝撃を受ける。

そして、この異常で狂った状態への異議は彼の作品だけでなく、世界中であったボイコット運動も含めてそこらじゅうで繰り返し指摘されていたのに、長いこと事態が変わること/変えられることはなかった。英国が国策として変えない、と宣言して他の先進国もそれに倣った、それだけで。

これって、時代もその根も異なるとしても人道に反すること、人権侵害を止めることができない、という点で今のパレスチナの虐殺の構図に似ている。先進国同士のやらしい利害関係が優先されて被支配国がやりたい放題やられて誰も止めることができない、という。こういう事態をどうにかするために国連てあるんじゃないの? 結局ぜんぶお金なの? いまだに。

ほんと、どうしたらいいんだろう、アパルトヘイトでも、どれだけの人が理不尽に投獄されたり殺されたりしたんだろう、という怒りと悲しみがばーっときてあまり冷静に見れなくなってしまうのだった。

自分にできること、というわけで明日は在外投票に行こう。期間が5日くらいしかないのが腹立たしいが、これくらいはなんとか。

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