10.01.2024

[film] Megalopolis (2024)

9月28日、土曜日の昼、BFI IMAXで見ました。
既にいろんなところで「失敗作」って言われているし、興収的にも惨敗らしいが、自分はそれなりにおもしろく見た。

巨匠が晩年になってその「世界観」を花開かせ... といった惹句で語られがちな誰も口出しできない「境地」に行って我々に「メッセージ」を託す、ような恥ずかしくしょうもないものにはなっていない。現代の映画としてそのいけてないところも含め、どこのなにがいけていないのだろう? を考えさせるようなものになっている、という点では堂々と力強い失敗作だと思う – だから予算もおりなくて、自分のワイナリーを売ったりして、そういうところも加えていくと、なんか切り捨てることができない。

タイトルの下に”A Fable” – 「寓話」とあるように、実際の具体的な都市を舞台にしてはいない気がして -でもプラカードに”Queens”とかあったな - 冒頭に出てきて、主人公の建築家Cesar Catilina (Adam Driver)が住んでいるのもクライスラービルそっくりのビル(のほぼ天辺)、でよいのだと思う。彼は、Megalonという画期的な新素材を発明してノーベル賞を受賞し、時間を止める不思議なパワーを身につけて、そのパワーをもって都市全体をまるごとリニューアルするMegalopolis構想を立ちあげる。

彼の亡くなった妻、彼と対立する市長のCicero (Giancarlo Esposito)、Cesarの新たな妻となる市長の娘Julia (Nathalie Emmanuel)と人質のように生まれてきた赤ん坊がいて、その反対側には明らかにトランプを思わせる腐った権力者Hamilton Crassus III (John Voight)と彼に取り入るレポーターWow Platinum (Aubrey Plaza)、Hamiltonの孫で悪どいClodio (Shia LaBeouf)とかがいて、権謀術数渦巻くなんとか、というより、どいつもこいつもろくでもない半端なちんぴら、ばかり。女優たちは明らかに弱くてノワールにもメロドラマにも向かわない - 現実の反映? 抗争モノとしての格とかストーリー運びの見事さなどでは、”The Godfather”のシリーズにとても及ばない。

都市を作るドラマとして、Fritz Langの”Metropolis” (1927) やAyn Rand/King Vidorの“The Fountainhead” (1949)が思い起こされるが、あの(フェイクとしての)スケール感もない。”One from the Heart” (1981)で描かれた目くるめく宝石箱のような都市の奥行きや立体感もない。

建築による世界の再構築と、それが引き起こす旧世界(エスタブリッシュメント)との軋轢、どろどろがどんなふうに広がり、解決され、新たな世界の到来を約束するのか?そしてそこに富と権力が集まって、そこに暴力や不正が生まれて人が殺されたり、はふつうに起こって、で、それでもそれは新しい世界になるのか?どうしてそう言えるのか、結局焼き直しで旧権力と同じく、ローマ帝国と同じく没落の道を辿るだけなのではないか、などなど、特にそれらの答えを出さず/出せず、そうしているうちに旧ソ連の人工衛星が落ちてきたりもするのだが、それがどうした、くらいの扱いで、要は誰にも止めることのできない伝染病のような何かとして、来るべきMegalopolisは堂々とあって、だからそれがどうした? でしかないの。

1980年の『地獄の黙示録』がベトナム戦争をテーマにしていたように、この物語の起源には911のタワー崩落があり – でもアイデアは1977年に、書き始めたのは1983年だそう – あそこでそれまでの秩序が壊れて、偽情報でイラクを空爆できるように、同様にイスラエルは好き勝手に空爆できるようになった – そういう状況があるなかで、新都市構想なんてものが利権転がし狙いの転売ビジネスでしかないことは、日本でのあれこれを見ても簡単にわかるし、とにかくなにもかも嘘っぱちなんだってば。

それなりに有名な俳優たちも出てくるけど、かつてのRobert De NiroやAl Pacinoのような使い方はされていない。破綻して壊れた経営者や危ういリーダーやカリスマを演じさせたら最適なAdam Driverをもってきて、ここでの彼は不思議なパワーはあるもののKylo Renではなく、”The Dead Don't Die” (2019)の彼のようにゾンビに囲われてぼーっと立っている。

でもたぶん、一番やりたかったのはMegalopolisではなくて、時間を止めるほうだったのではないか。Coppolaは妻Eleanor – この映画は彼女に捧げられている – の死をなんとしても止めたくて、でも彼女がいないので時間を止めることはできなくて… そして彼女に捧げる字幕が現れるタイミングでThe Theの”Lonely Planet”が流れはじめた時、この映画の意味がきれいに反転してしまったように思えたの。 自分を変えられないのであれば世界を変えるのだ、という前にあるライン - “You make me start when you look into my heart ~ And see me for who I really am” - We're running out of love - Running out of hate - Running out of space for the human race..    この曲をラストに据えるように言ったのは誰なのだろう? Roman Coppola?


ここんとこ体調がめちゃくちゃだったので医者にいったらまあ帯状疱疹でしょう(やっぱり..)とか言われ、雨でさらにいろいろ最悪で、地下鉄もぐじゃぐじゃのなかどうにか駆けこんだThe Theのライブ、行ってよかった.. (ばたん)

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