4月25日、土曜日の昼、国立映画アーカイブの特集「発掘された映画たち2026」で見ました。
[デジタル復元・最長版]とのことで、これまで戦後に再編集された124分の短縮版が流通していたところをオークションで新たに入手したバージョンとアーカイブがもともと保有していた3つのバージョンを切って繋いで、初公開時の前後編177分だったものに近い173分の長さにまでデジタル復元した、と。 上映前にその辺のストーリーの説明があり、一挙に上映するのかと思ったら前後編の間に5分の休憩が入った。
原作は岸田國士の朝日新聞連載小説、島津保次郎が監督する予定だったが移籍しちゃったので当時新人だった吉村公三郎が指名された。なにが「暖流」なんだかよくわからないぬるい曖昧さも含めてとってもメロドラマなかんじはする(← 原作を読め)。1957年には増村保造が、1966年には野村芳太郎が映画化している。
『前篇・啓子の巻』と『後篇・ぎんの巻』に分かれている。センターの佐分利信が濃すぎてあまり(本来あるべき?)女性映画のかんじはそんなにないかも。
私立病院の大院長志摩(藤野秀夫)が病で引っ込んで、でも跡継ぎのはずの息子泰彦(斎藤達雄)はぼんくらなので、とっちらかった病院を再建するために若い実業家で監査もできる日疋(佐分利信)を雇い入れてテコ入れを図る。日疋は看護婦のぎん(水戸光子)をうまく使って情報を集め、各方面から反発をくらいながらも強引に改革を進めるなか、院長の一人娘の啓子(高峰三枝子)を好きになるのだが、彼女はそこの医師の笹島(徳大寺伸)に求婚されてて、両親もそれを認めている。
後篇になって院長が亡くなり、泰彦や笹島ら次世代ぼんくら共のしょうもなさが気になりつつもどうにか再建の目途が立ってきたところで、日疋は思い切って啓子に求婚して、彼のことを少し想っていた啓子も揺れるのだが、彼女の幼馴染のぎんが日疋を愛していることを知った啓子は悩んだ末に…
いろんな人間模様が網羅的に紹介される前篇は割とふつうに眠くなるところもある(なにしろ暖流だし)のだが、仕込んでおいた各登場人物の毒や詰まっていた泥が噴出して渦を巻きはじめる後篇がおもしろかった。特に内面の陰険などろどろを既にこんな若い頃から溜めこんでいたのかと感心する佐分利信の、高峰三枝子に求婚して断られたら水戸光子のほうに切り替えてしまう思い切り、というか結婚観 – 売ってくれなかったら売ってくれるところにいく – の魚屋みたいな潔さにややびっくりして、ラストの波打ち際からこちらを向いた高峰三枝子にじーんとくるべきなのかもしれなかったのに、そうならなかった。でもあの浜辺の景色はずっと残っているので、よい映画だったのかも。
でも、今だったら頭がきれて弁もたつコンサルみたいな役柄の日疋って、このストーリーに沿って言えば明らかに身勝手な悪い奴、のほうだと思うのだが、なんかお嬢さんに断られてかわいそう、みたいな印象を与えてしまう感があるのはどうなのか? って。
昭和10年代、戦前のまだ気候も穏やかだった頃、上流階級の覇権や恋争いはこんなふう - 暖流にのって糞もミソも大量にぷかぷか流れ込んでくるのでこれはこれで大変でしたの、というのを描いた映画、でよいのか。
5.01.2026
[film] 暖流 (1939)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。