5月4日、月曜日の午後、新宿武蔵野館で見ました(もうシネマカリテはないのね…)。
これがGW中に見た唯一の新作映画。
スペイン映画で、英語題は”Deaf”。 邦題は『幸せの、忘れもの。』... 邦題についてはずっと昔から文句言い続けているけど、とにかくセンスが悪すぎるし、それが宣伝に寄与しているとは思えないし、むしろ映画のイメージを曖昧にして結果として貶めていると思う。
作・監督はEva Libertad、聴覚障害をもつ監督の妹Miriam Garloが主演している。監督は2021年に同名の18分の短編映画(未見)を作っていて、Goya Awardsにノミネートされたこれを長編に広げたものらしい。2025年のベルリンでプレミアされている。
スペインの田舎、陶芸の工房で働いているÁngela (Miriam Garlo)には聴覚障害があって、でも健常者の夫Héctor (Álvaro Cervantes)と幸せに暮らしていて、やがて妊娠していることがわかって、周囲の友人たちは喜んでくれるが、彼女は割と複雑で、最大の懸念は子供が障害をもって生まれてくるかどうか。彼女の実父母はどちらも健常者で、でも祖父母には障害があり、後天的なものらしいが妊娠している段階でそれを確認することはできないと言われる。
出産の場面だって、普段は夫が手話で端から伝えてくれるのだが、ちょっと現場が大変になって夫が病室から出されてしまうと、彼女はひとりで奮闘せざるを得なくなる。医師はマスクをしているので口元が見えない、ので彼らの指示や声掛けされていることがわからない。
そうして生まれた女の子はOna(成長するにつれて複数の子供たちが演じていく)と名付けられて、懸念だった聴覚障害はないことがわかってひと安心して、周囲と一緒に子育てをしていくのだが、ここから展開されていく「問題」にははっとさせられることが多かった。
Onaは耳が聞こえるので、Héctorは彼女と声を使って話したりしてしまいがちだが、そこでどんなやりとりがなされたのかÁngelaにわからないのはよくないので、必ずOna相手でも手話で話すようにお願いしているのに、すぐに忘れてしまうし、子育てなのでしょうがないのかもしれないが、夫はどうしてもOna - 健常者同士のやりとりの方に向いてしまうようだし、それが続けばOnaはどうしても父親のほうばかりについていくようになるだろうし、ÁngelaとOnaのやりとりの際、母の状態をわかってもらうためにOnaにヘッドホンをつけてもすぐに嫌がって外されてしまうし、母がどんな困難を抱えてどんな思いで過ごしているのかをOnaにわかってもらうにはそれなりの手間と時間がかかるに違いない。それまでの間、OnaにとってÁngelaはどんな存在になってしまうのだろうか? など。 そして、その苛立ちが彼女を周囲から孤立させていく。その孤立や苦難は、出産前にあったそれとは明らかに異なる種類のものに見える。
Ángelaの考えすぎ、心配しすぎではないか? と思うようになってきた最後の方に映画の音声はÁngelaの聴界のそれに同期する。聞えないので補聴器を付けた際のそれ – きんきんしたノイズがうるさすぎるので外してしまうところまで含めて。この状態で母親として子供と接して、子供を守ったりしなければならない、その難しさが感覚としてやってくる。
そこに愛があれば、とか、制度がどう、とかそういう話ではまったくないの。 こんなの“Deaf”というタイトルしかありえないではないか。
Gary Lucasのライブを1週間間違えてて、ショックでもう週末なんかしらない…
5.08.2026
[film] Sorda (2025)
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