4月24日、金曜日の晩、神保町シアターの特集 『名作の陰に女性脚本家あり 田中澄江と水木洋子』の最終日の最後の回に見ました。
原作・脚本は水木洋子、監督は今井正、製作はこの作品のために立ち上げられたM.I.I.プロダクション(M.I.I.は製作の市川喜一を含めた3人の頭文字から)。
タイトルの頭には「喜劇」とあるが、上映版のタイトルクレジットに「喜劇」は入っていない。実際のところ、ちっとも「喜劇」とは思えなかったのだが。
冒頭、いろんな老人たちが暮らしていろんな人たちが介護して朝から慌ただしい老人ホームの様子が描かれるなか、くみ(北林谷栄)がどこかにいなくなったことが報告されるが、現場はそれぞれに慌しいのでそれどころではないかんじ。
その反対側、浅草のレコード屋の軒先でくみとサト(ミヤコ蝶々)が橋幸夫のシングルをかけて貰って一緒にダンスしたところで知りあって、でも特に自己紹介をしたりするわけでもなく素面で元気なく一緒にだらだら歩いていくだけで、親切な鶏めし屋の女子店員(十朱幸代)に店にあげて貰ってビールを戴いたり、親切で真面目な化粧品のセールスマン(木村功)に感心したり、面倒とか迷惑とか気にせずに気の向くままにうろうろしていって、くみが持っていた睡眠薬のことで心配になった老人ホームでは警察(渥美清)に電話を掛けたり、でもふたり共どこに行きたいというより、どうしても自分の家とかホームとかには帰りたくないらしい。やがて警察に見つかったふたりはそれぞれのところに帰されて…
威勢のよい老婆ふたりが周囲を大混乱に陥れてざまぁー、みたいな痛快コメディではなく、居場所も死に場所も見つけられないふたりがなにをどうすることもできずに浅草の町をとぼとぼ歩いていくだけのお話で、互いにどんな思いでここにいるのかはなんとなくわかっているので、深刻に話し込むようなこともなく、ただ一緒にいる。その佇まいがなんとも言えず痛ましいし、ふたりがあの後にどうなったのかもわからないし。 見る人によってはそれでも十分におもしろ、なのかもだが、立場的には彼女たちの側に近いので、ううぅ... しかない。
昭和37年の時点で老人ホームは社会ではお役御免、適応不可になって逸れた老人たちが寄せ集められる場であり、核家族化が進む集合住宅に彼らの居場所なんてないことが示されていて、これって今と比べてもそんなに変わっていない。こういうのは結局、社会や労働や権利やケアに対する意識が重なって居所として認識形成されていくものなので、戦後に制度も含めた大きな社会変動を経験していない - 自民党があのやり方でずっとやってきた施策によれば稼ぐことができない弱者には冷たくする(してよい)、という点では一貫していて、水木洋子すごいな、しかない。 あと、老人総進撃みたいに当時の名優たちがうじゃうじゃ出てくるのもたまらない。
いまは豊かな階層にいる老人たちはケアハウス(っていうの?)とかに流れて多少は幸せなのかもしれんが、いま行き場のない老人たちが向かう先は国立映画アーカイブとか神保町シアターとか、あの辺に溜ると思っていて、あの界隈に生息する性根とマナーのよくない老人(主にお爺ぃちゃん)たちをテーマに誰か撮らないかしら? (そんなのだれも見ない)
4.30.2026
[film] 喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん (1962)
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