5月10日、日曜日の午前、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
監督はKen Loach、脚本はPaul Laverty、製作にはWhy Not, BBC, BFIの名前がある。
2023年のカンヌでプレミアされて、英国での公開の終わりの頃にロンドンに着いたので見逃していた作品をようやく見れた。いまヒットしていることを聞くと、なんでここまで遅くしたの? ってなるがいろいろ事情はわかるし、今この作品が3年遅れの日本で、3年遅れであっても見られなければいけない状況になってしまったことは(残念ながら)間違いないの。
冒頭、イギリス北東部の小さな町、かつては炭鉱で栄えたが現在は廃れた町に、バスでシリアからの移民が到着すると町の人々は当然のように歓迎せずに冷たい目で見て、若い女性Yara (Ebla Mari)のカメラを勝手に手にとってわざと壊してしまったりする。
そうしてYaraと知り合った地元の古いパブ - “Old Oak”の主人"TJ" Ballantyne (Dave Turner)は、彼女とやりとりしながら町の歴史や炭鉱夫として亡くなった父のことなども含めて案内し、Yaraも自分の家族とアサド政権に投獄されて行方不明となっている父のことを話す。
TJのパブにたむろする白人(若いのから中高年まで)の中には地域の住宅価格の暴落と大手ディベロッパーによる近隣の買い占め、それらが招いた移民の流入(+彼らが思うところの治安の悪化)を嘆いて、町に一軒しかないこんなパブで日々の鬱憤を晴らすしかない被害者としての自分たちを強調し、移民に対するヘイトを晒して正当化するが、TJは彼らに寄り添うことはない。昔から知っている客であり友人でもあるので強い行動には出ないものの、よい顔はせず相手の話に乗ることもない。
のだが、Old Oakのカウンターの奥で長いこと打ち棄てられていたバックスペースを(常連客からの要請は断ったのに)YaraたちのFoodバンク&食堂として活用することにした辺りから常連客たちの不満が噴き出すようになって、一触即発の状態にまで転がって…
冒頭からずっと移民たちに対する酷い描写や言葉が投げられてきつくて、それがなんできついかというと、こういう現実がこの地域だけでなく、自分の身の回りにふつうにあることを自分も想像できるというより知っているから。 でもこの映画はそんな彼ら白人たちを犯罪者として描いてはいないし、画面に警察や司法が入ってくることもない。白人労働者階級の彼らもまた、80年代の炭鉱ストの頃からずっと被害者として隅に追いやられてきたのだ、ということが何度か示されて、これは僻地経済の構造的な問題であり、容易にどうこうできるものでもないこと.. なんてわかっているの。
あと、TJがYaraを地元の大聖堂に連れていって、聖歌に感動したYaraがISが永遠に破壊してしまったパルミラの神殿について語るシーンがあり、これに続くラストの葬儀のところは感動的ではあるものの、ちょっと安易かも、と思った。
結局破壊や死がないと人と人はわかりあえたりハグしたりできないのか - とまでは言っていないけど、両者の間の壁はどうやったら崩せるものなのか? もちろん、それは政治家や当事者たちが考えたり対応したりすべきことで、Ken Loachは映画作家なんだから、筋がちがうし – というあたりの苦悶が垣間見えて、現時点でこれが彼の最後の映画作品、となっているのはその辺もあるのだろうか。 排外主義ばんざいで脳が麻痺している連中はこんな映画はぜったい見ないだろうし。
“I, Daniel Blake” (2016)では給金交付に伴う老人の苦難を、“Sorry We Missed You” (2019)では休めない配送ドライバーの辛苦を、本作では移民と住民間の軋轢を描いて、そのどれもがここ数十年で見えてきた、単に生活が苦しいきついというより、目を凝らさないと見えないような社会の片隅で進行している、関係ない人たちにとっては痛くもなんともないところで進行している、でも当事者たちにとっては致命傷のように苦しくきついところを扱っていて、Ken Loachの映画はこういうのをきちんと並べようとする。見せ方はへたくそだけど、とにかく穿り出して見せようとする。
UKの今後の行方も心配だがそれ以上に日本の方だわ。政治も司法もメディアも教育も日本(人)えらいばんざい、って、それのなにがいけてないのか、なんでいけないのかぜんぜんわかっていないみたい。子供か、なのだがずっとそういう幼稚園でやってきたんだよね…
5.15.2026
[film] The Old Oak (2023)
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