5.01.2026

[film] Milestones (1975)

4月26日、日曜日の午後、日仏学院の『フランス実験映画祭2026』のなかの『ロバート・クレイマー特集』で見ました。 2025年にオリジナルの16mmネガから修復されたバージョンであると。

これは前にも見たことあって、でもあたまに残っていないもんよね。でろでろの出産シーンを除けば。
監督はRobert KramerとJohn Douglas(盲目の陶芸家役で出ているひと)- 映画製作集団Newsreelにいたふたりの共同。 3時間18分。 1975年のカンヌ国際映画祭監督週間でプレミアされている。

最初にマンハッタンで生地屋をずっとやってきたおばあさんが朝に来て店を開けて、のずっと続いてきた日々からそれがどこから始まったのか、の親たちについての語り、そこから当時 - 前のめりで盛りあがった60年代のあと、70年代のアメリカの各地で生活したり活動したりなんかやっている人々の、彼らがどんな思想に基づいて、どんな風貌でだれと暮らしたりやりとりしたり活動したりしているのかを並べていく。ふつうにふつうの会社に通って暮らしてなんの不満も問題もない人たちや家族のそれではなく、ベトナム戦争や学生運動の余波があった時代、特定の志向や目的をもった集団とかコミューンにいたり、ずっと続く人種差別の泥のなかにいる人たちもいる。そのバックグラウンドは雪に覆われた山だったり滝だったり洞窟だったり道路だったり、家は安住できる場所、というよりもまずは仮住いで、これらの間をカメラはずっと動いていって、「マイルストーン」はその動きのなかでずっと揺れ動いている or その活動・移動そのものがマイルストーンであるかのような。そしてクライマックスで描かれる「出産」の重みと啓示と。

ドキュメンタリーのような撮り方をしている箇所、現場をそのまま、もあれば明らかなフィクション - 女性が襲われそうになるところとか – もあり、でも両者は区別されることなく同じようなトーンで並べられていて、登場人物の顔立ちや挙動は誰も彼も、クラシックなアメリカ映画のきっとどこかで見た気がする誰かのそれ、だったりする。

上映前にChris Fujiwaraさん(上映後の講演はパスしてしまった)が言っていたように、これはアメリカという国をファブリックとして編みあげて広げたもので、生地の目が詰まっていたり解れていたり虫に喰われていたり棄てられていたり、でもその面積と汎用性のようなところ、そのファブリックがどう機能すべき(だったの)か(→政治)のようなところははっきりと力強く訴えてくる。「マイルストーン」とは、その布の四辺をひろげて地面に定置するための敷石であり、それが置かれて覆われたところが「アメリカ」となる。 Frederick Wisemanのドキュメンタリーとの違いでいうと、彼の作品はそのファブリックがどんな使われ方をしているのか、人々の生活のなかでどう機能しているのかを細部から凝視するように追っているのだと思った。


In the Country (1967)

↑の前に見た、これもRobert Kramer作品で、彼の最初の長編フィクション。

ベトナム戦争の最中、ずっと左翼で一旦政治活動から離れざるを得なくなっている男(William Devane)と女(Catherine Merrill)が隠遁先の田舎でぶつぶつ燻って議論などをしていて、その燻りのなかで明らかにされていく都会と田舎、イデオロギーのありよう、男女のあれこれ、など。でも結局は田舎だから中心にはいないから、に落ちて、そこから世界はひとつのでっかい田舎なのではないか、という徒労感まで。

これらがモノクロの、風景も含めて割ときれいで整った映像のなかで描かれると、そんなもんかも、になって何かがぐるぐると回りだす、気がする、と。 吉田喜重あたりが得意としているテーマのような。
公開当時は評判が悪くて、唯一評価してくれたJonas Mekasがフィルムをヨーロッパに持っていってくれた、って。

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