9月29日、月曜日の晩、Hampstead Theatreで見ました。
もとはStratford-upon-Avonで演っていたRSCの舞台がLondonに来たもの。
原作はシェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス
』(1593-94)、演出はDavid Tennantの”Macbeth”を演出していたMax Webster。音楽はMatthew Herbert。
Titusを演じていたSimon Russell Bealeが健康上の理由で降板してJohn Hodgkinsonが演じることになった。 元のポスターにあった、血まみれになって叫んでいる丸っこい熊みたいなSimon Russell Bealeを見たかったのでちょっと残念。
なぜか舞台を囲む席のうち一番前のが取れてしまったのだが、席に着く前に、「あなたの席の下にはブランケットがあります。シーンによっては血しぶきが飛んでくることがあるので、それでガードしてください。飛んでくる可能性がある箇所は3つあるのですが、知りたいですか?」と聞かれて、(そんなの知ってたらおもしろくないじゃん)だいじょうぶ、と返した。のだが、横の人たちを見ると、みんな首までしっかり被っているのでちょっと不安になる。そうやって首まで巻いているとぽかぽかしてきて眠気が…
舞台はモダンでモノクロームで殺風景で、金属の格子があったり上から拷問器具の鎖がさがっていたり屠殺場のように冷え冷えしていて、床は大理石の薄白で、表面にうっすらと墓碑銘のような文字が掘ってあることがわかる。
黒のタイトな服を着たダンサーのような男性たちが数名出てきて、くねくねざわざわ、っていうかんじの不吉っぽい舞いをして、消える。以降、彼らは場面転換のたびに現れたり、死体を舞台(石盤)の下に埋葬(落と)したりする。
ゴート族との戦いに勝利し凱旋したローマ軍将軍Titus(John Hodgkinson)の運命を追う血みどろの史劇で、復讐と憎悪に燃える側とその炎に焼かれる側で、互いの家族の妻や娘や息子が強姦される舌を切られる両手を切られる、自分で腕を切る、人肉パイにされる、など残酷陰惨な場面が延々続いて大変で、これらがモダンでクリーンな空間でしらじらと(ライブで見るとどたばた音は恐いくらいやかましく)展開される。 だから戦いや復讐は虚しい、とか、だからやっぱり家族は大切、とかそういうところにも向かわず、こんな諍いなんて屠殺場のin-outとなにが違うのか、って。それだけで、Titus Andronicusの将軍としての威厳や悲愁もないことはないが、そんなことより、これは不可視なところでの拷問や虐殺が正当化されて、膨れあがる憎悪の裏側でぴかぴかの表面だけがもてはやされる現代の権力者たちのしょうもなさを指しているんだろうな、って。
血しぶきはずっと来なかったのだが、ちょっと油断した – Tamora (Wendy Kweh)が刺殺されるところ - でばしゃーって飛んできて顔にかかった(冷たい。絵具の匂い)。
Troilus and Cressida
9月30日、火曜日の晩、Shakespeare’s Globe Theatreで見ました。
二日間続けてShakespeareの史劇を見ようと思ったわけではなくて(Shakespeareはなにを見てもおもしろいことがわかってきたので、なんにしても可能な限り見る)、もう野外で見る劇は日が短いし、天気も安定してないし寒いしで、気候が崩れないところを狙ってて、たまたまこの日はよさそうだったので、昼間に空いているところを取った。休憩をいれて約3時間の野外劇は、夜になるとやっぱり冷えて寒くて、休憩時間に帰ってしまう人も結構いた。
原作はシェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』 (1602)、演出はOwen Horsley。
舞台の右手には半分壊れたでっかい張りぼての足が無造作に置かれて、金メッキが剥がれていて、その少し上には”TROY”っていう矢印の看板がやはり棄てられたようにかかっていて、いまは錆びれてしまったかつての繁華街の趣き。舞台の上の階にいるバンドもブラスと太鼓が中心の気の抜けたちんどん屋風情。
最初はトロイ側(8人)とギリシャ側(9人)のそれぞれの見得の張りあいで、トロイ側は金を塗ったむきむきの筋肉鎧をつけていて威勢も景気もよくて、でもそのギャップはあくまで冗談のように機能していて、最初に舞台の下から現れた道化のThersites (Lucy McCormick)がいろいろやさぐれで案内してくれる。もうひとつのテーマであるTroilus (Kasper Hilton-Hille)とCressida (Charlotte O’Leary)の恋も、大阪のおばちゃんみたいな(←すみません偏見です)Pandarus (Samantha Spiro) によってかき回されてばかりで落ち着かない。
Cressidaがギリシャ側に売られた後の顛末も、あまり悲劇的なトーンはなく、だからどうしろっていうのよ、みたいなふてくされと共に語られて、あまりにしょうもないので笑ったり歌ったり騒いだりするくらいしかないじゃん、になってしまって、とにかく神々も含めていろんな連中がわらわら出たり入ったりしつつコントやミュージカルみたいなのをやっていくので、飽きないことは確かで、よく言えば戦乱期の混沌と落ち着きのなさ、みたいのは表現できていると思ったが、そもそもこういう劇なのかしら?
最後は吉本小喜劇?(←すみません見たことないです)みたいにみんなで踊ってまわってええじゃないかー、みたいになるのだが、やはりどうしても、はて何を見たのか? にちょっとだけなったかも。
10.09.2025
[theatre] Titus Andronicus
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