LFFが終わって、通常営業に戻ったBFI Southbankで始まったのが、特集” Too Much: Melodrama on Film”で、なんで日が目に見えて短く、午後の早めから暗くきつくなっていく季節に、わざわざ泣いて貰いましょう、みたいなのやるのだろう? - 11月終わり迄 - ってふつうに思うのだがしょうがない。
BFIのサイトの始めにはLillian Hellmanの有名な言葉 - 『もしあなたが、古代ギリシャ人のように、人間は神々のなすがままになるものと信じるなら、あなたは悲劇を書くでしょう。結末は最初から決まっているから。しかし、もしあなたが、人間は自らの問題を解決でき、誰のなすがままにもならないと信じるなら、おそらくメロドラマを書くことになるでしょう』 が引かれている。
これに倣うのであれば、メロドラマというのは『人間は自らの問題を解決でき、誰のなすがままにもならない』と信じ、これを実践しようとする女性のもの=女性映画、という気がしていて、そういう角度で見ていきたいかも、と。
Love – Obsession – Duty – Defiance – Scandal – Spectacle、のサブテーマの下に作品がキュレートされていて、日本映画からは『乳房よ永遠なれ』 (1955)と、『浮雲』 (1955)と、『西鶴一代女』 (1951)が上映されるのだが、日本なんてどろどろメロドラマの宝庫なのに、これっぽちなんてありえないわ、になるけど、こんなものなのか。”Spectacle”では『さらば、わが愛/覇王別姫』 (1993)とか”Written on the Wind” (1956)のIMAX上映があったりする。
Leave Her to Heaven (1946)
10月23日、木曜日の晩に見ました。
監督はJohn M. Stahlで、もう何度も、昨年春のGene Tierney特集でも見ているやつ。邦題は『哀愁の湖』。20世紀FOXのこの年の最大のヒット作になったそう。
テクニカラーのパーフェクトな色調のなかで描かれるアメリカの砂漠、湖、家族といったランドスケープの反対側で描かれるEllen Berent (Gene Tierney)にとっての天国と地獄。盲目的に愛していた父を亡くし、作家のRichard Harland (Cornel Wilde)と出会ってしまったばっかりに。 Ellenは彼とずっと一緒にいたい、ふたりだけでいたい、そればかりを一途に願って、彼の弟を殺して、自分も流産して、最後には自分まで殺してしまって、これだけだとなんて恐ろしい女、になると思うのだが、彼女の反対側にいるRichardはあの程度の罪で済んでしまってよいのか、彼女がああなっていったのはこいつのせいでもあるのではないか、とか。
そういう変えられなかった、どうすることもできなかったあれこれをドラマ(華やかで動かしがたい落ち着いた空気)の根底に見て感じることができる、というのがメロの基本なのだなー、って。
All That Heaven Allows (1955)
10月25日、土曜日の昼に見ました。『天はすべて許し給う』。
↑からの続きでいうと、彼女を天国に置いておけば、あとはすべてが許される、って繋がっていて、どちらも下界にHeavenがないが故に起こりうる悲劇であり、だからメロになるのか、と。
これももう何度も見ている、監督はDouglas Sirk。制作のRoss Hunter、撮影のRussell Metty、音楽のFrank Skinnerらは、こないだ見た”Portrait in Black” (1960)の面々と同じ。
Cary Scott (Jane Wyman)はニューイングランドの貴族社会で、夫を亡くして息子と娘を育てあげて、友人も言い寄ってくる男たちもいっぱいいるのだがなんかこのままでよいのか、があって、ある日庭師のRon Kirby (Rock Hudson)と出会って惹かれはじめるのだが、ふたりの間にはいろんな壁とか溝とか崖が湧いてくるのだった…
いつの時代もどんな場所でも昼メロの恰好の題材となる保守的で中に入れなくて見透しゼロの上流社会とその外側に奇跡のように現れた王子さま(あるいはその逆)の狭い世界の上がって下がって傷ついてを流麗に描いて、世間なんて知ったことかー、という状態になったところで現れる鹿も含めて、果たしてこれは地獄なのか天国なのか? 天が許したまう「すべて」って果たして誰にとってのどこからどこまで? のパーフェクトなサンプルを示す。
Enamorada (1946)
10月21日、火曜日の晩に見ました。ニュープリントの35mmフィルムでの上映。
Emilio Fernándezの監督によるメキシコ映画で、日本で公開されたのかどうかは不明。タイトルを直訳すると『愛』。とにかくおもしろいのよ。
見たことないと思っていたのだが、最初の場面で見たことある!になって、調べたら2019年にBFIで見ていた。
Cholula(チリソース)の町にやってきた傲慢で恐いものなしの革命家のJosé Juan Reyes (Pedro Armendáriz)は逆らう地元民を簡単に銃殺したりしていたのだが、町の有力者の娘Beatriz (María Félix)に一目惚れして革命どころじゃなくなり、でもBeatrizは自惚れるのもいいかげんにしろ寄ってくるんじゃねえ、の針ネズミで、教会の神父とかも巻きこんでどうなるやら… のこれ、メロドラマというよりふつうにrom-comとして楽しいのだが、どうなんだろう? 寄ってくるJosé Juanを花火屋で火まつりにしてやるところとか痛快だし、最後はハッピーエンディングみたいだし(あのままふたりで突撃して死ぬつもり?… にも見えないし)、でも、Beatriz、あんなにJosé Juanを嫌っていたのに、ああなっちゃうのはやはりちょっと謎かも。
まだこの後も泣きながら見ていくつもり。
10.29.2025
[film] Too Much: Melodrama on Film
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