10.13.2025

[film] Tron: Ares (2025)

10月10日、金曜日の晩、BFI IMAXで見ました。久々なので3Dにしてみた。
最初の“Tron” (1982)も次の”Tron: Legacy” (2005)も実は見ていない。

コンピューターの向こう側に別の世界があったり別の人格が潜んでいたりする、というのは、もうコンピューターができて50年くらいになるのだからもういい加減諦めたらどうか、と思うのだが、ひとは夢みることをやめないし、最近はAIなどもあるので、まだ諦めていないらしい。でもあれらはものすごい労力と奴隷仕事の積み重ねでできあがった - 大半はゴミみたいな – ただのコードの羅列でしかない。 という認識は80年代からあったので、それを甘ったるくて超ださいコンピューターグラフィックスで包んで「SF」の名のもとに商品化したディズニーにはあーあ、しかなくて、いや、あれはアニメーションのようなものだから、というのであれば、アニメにしてもやっぱりださいし、でしかなかった。

今回見ることにしたのは音楽がNINだったから。 ディズニー側も早い時期からNINのロゴを入れて宣伝しまくっていたので、ちょっとは違って見えるのかしら、くらい。なので音もでっかいIMAXにしたのだが、あんまし変わんなかったかも。 ていうか、Trentは自分の音のバックがあんな程度のリンゴ飴みたいなグラフィックスで満足しちゃうわけ? 昔の君だったら絶対採用しなかったでしょ?

ENCOMとDillinger Systemsの2大グリッド企業があって、Dillinger Systemsの世襲のCEO – Julian (Evan Peters)は3Dプリンターを使って兵器とか29分で消える(なんで?)最強の使い捨て兵士Ares (Jared Leto)をリリースして、ENCOMのCEOのEve (Greta Lee)はそのデジタルの生成物を永遠に存続させることができるコードをアラスカの山奥から発掘して、それを知ったJulianはそいつを手にいれるべくENCOMのメインフレームに襲撃をかけて、Aresなどを総動員してEveをさらってこようとするのだが。

競争相手の新技術をかっさらうためにロボットを投入したらそのロボットが寝返ってひどい目にあいました、ママ(Gillian Anderson)にも怒られたけど、ママも死んじゃいました、っていうそれだけの話で、一企業があそこまでめちゃくちゃやっても許されるのだからなんだって許される、っていう、ここだけ今と繋がっていそうなディストピア。

そもそもなにをしたいのかが(説明されていたのかも知れないけど)よくわかんなくて、兵器市場の寡占化?世界征服?それで? とか、永遠に存続させるコード(不老不死の薬みたいな?)もネットから隔絶された山中に保存されていて、引っぱりだしたばっかりに大騒ぎになって、こっちもよくわかんない、みんな落ち着け!ほんとうにやりたいことはなんなの? って聞きたくなる。(ディズニーに聞け)

テック・ビリオネアって、なんでこんなふうに碌なことしないの?そういうバカがなれる世界なの?バカだからなれるの? 地球とか学術の世界にまともなことをしてくれる正義の味方の極左のビリオネアっていないの?

あとはあれよね。なんでデジタル生成物に髭を生やさせたり左利きにさせたりする必要があるのか、とか。そんな生成物がなんでDepeche Modeを80’s popで一番だと思うのか、とか、なんでJeff BridgesはCGじゃなくてリアルに歳をとった姿をしてみせるのか、とか。

まだまだ続きそうなかんじなのがこわい... 

NINの音としては、(NIN名義ではないが)“Challengers” (2024)のサントラのゴムみたいに打ち返していく弾力が効いてて、本体の中味がない –“Challengers”も割とそうだった - ことを考えるとゴスでダークなとぐろ巻きにしなかったのは懸命だったかも。Nine Inch Noizeの流れもあるので当分はリズム方面を追求していくのかしら。


All of You (2024)

9月28日、日曜日の晩にCurzonのVictoriaで見ました。
これも近未来っぽい設定のだったので、メモ程度で書いておく。

作/監督はWilliam Bridges。
舞台は近未来らしいロンドン。大学の頃からつきあっていたSimon (Brett Goldstein)とLaura (Imogen Poots)がいて、町には100%の相手を見つけることができるよ、テストを受けましょう!っていう勧誘の広告が溢れていて、Lauraは悩んだ末にテストを受ける/受けたい、って言ってSimonもそれに同意する。

で、Lauraはテストの結果でマッチングされた男性と一緒になって結婚して、子供ももうけて、でもテストを受けていないSimonはずっとLauraのことを想っていて、別の女性とつきあってもしっくりこなくて、Lauraもそれを知っててたまにデートをしたりして、でも今の家族と別れるかというとそこまではいかなくて、ふたりでずっとうだうだしているの。それだけなの。

なんでそこまでテストの結果に縛られるのかわからなくて、それが「幸せ」を予測してくれているから、なのだとしたら悩むな、しかないと思うのだが、彼らはずっと悩んでいてあんま幸せには見えなくて、そんなの知らんがな、になるの。

最後までどんよりめそめそしているImogen Pootsは素敵なのだが、設定がありえないくらい陳腐で、なんで?ばっかりだった。某宗教団体の合同結婚式に科学をまぶしただけの、そんな未来を描いたディストピアもの、として見るべきなの? 表面はrom-comだと思ったのに?

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