9月20日、土曜日昼のマチネを、Stratford-upon-AvonのRoyal Shakespeare Theatreで見ました。
ロンドンからStratford-upon-Avonは電車で2時間以上かかるのでお芝居に行って戻ってくると一日潰れてしまうのだが、これは予告見てすぐ見たい!と思ってチケット取って、行きの電車が途中で止まって乗り継ぎに失敗して(次の電車は1時間後..)、現地で遊ぶ余裕もぜんぜんなくなってしまったのだったが、それでも見てよかった。
原作はシェイクスピアの『尺には尺を』 (1603-04)。 演出はEmily Burns。
舞台はクローム、メタル、ガラスでモダンに仕切られた現代のオフィスのような空間 - 牢獄はガラスで覆われたケースが下りてくる仕掛けだったり。 前回ここで見た”Hamlet Hail to The Thief”もモダンな舞台だったので、このシアターで見るシェイクスピアは自分にとってすっかり現代劇になっている。
冒頭、舞台奥のでっかい三面プロジェクターにMonica Lewinsky/ClintonのスキャンダルからTrump、Harvey Weinstein, Jeffrey Epstein, Prince Andrewまで、現代の権力者による性加害の映像がずらっと並べられて壮観(吐気)。
ぱりっとした背広を着た公爵Vicentio(Adam James)がしばらく身を隠すから宜しく、と周囲に告げて後任にAngelo (Tom Mothersdale)を指名して自分は僧院の修道士に姿を変える。
恋人のJuliet (Miya James)を結婚前に妊娠させた罪で拘留されているClaudio (Oli Higginson)にAngeloは絞首刑のオーダーを出して、その官僚的な身振りと手つきに揺るぎはなくて、Claudioの妹Isabella (Isis Hainsworth)は絶望しつつ減刑を求めて彼のところに通って、を続けていると、ひと晩付き合ってくれたら考えよう、というところまで来て、でもそんなの絶対嫌だしおかしいし、なのでClaudioの友人のLucio (Douggie McMeekin)に相談したりしつつ泣いていたら公爵がAngeloに婚約を破棄されたMariana (Emily Benjamin)の件を持ちだして罠を仕掛けたらどうか、と。
こうしてAngeloのところに怯えながらやってきたIsabella、それとは逆に闇の向こうから救世主として堂々と現れるMariana、欲望と体裁の間でどきどきしつつ目隠しをされて縛られてされるがままのAngeloの前で「すり替え」が行われる「現場」の生々しい臨場感 - 流れている曲はElvis Presleyの”Can’t Help Falling in Love”。
当然このトリックは事後にばれて、だまされて意固地になったAngeloはClaudioの刑を取り下げようとしない(レコーディングして脅迫しちゃえばよかったのに)。 最後の裁きのシーンでは、リアルタイムのカメラが登場人物たちの表情と挙動をプロジェクターにでかでかと映しだし(Ivo van Hove風)、誰もどこにも逃げられない緊迫の様がドキュメントされるのだが、ドラマの構造としては遠山の金さんなので、やや陳腐(おもしろいけど)。それでも女性たちの証言が重ねられて皮が剥がれていくところは力強くスリリングな現代の法廷劇になっていて、冒頭の腐った権力者たちの像ともここで連なってくるのか、と思った。
婚姻制度のもつ奇妙な(まるで罰と表裏一体の)力と、それに多かれ少なかれ起因したスキャンダルのありようは現代のそれとしか言いようがないのだが、” Measure for Measure” - 『尺には尺を』の、ここでの尺と尺って互いが見合ったものになっていないような。でも、最後に一緒になろうと公爵から言われたIsabellaの少しの困惑からの最後の行動はすばらしくて(という言い方でよいのかな)、まだ目に焼き付いている。公爵からあんなこと言われて、この上なき幸せ、だと思われた(少なくとも公爵はそう思った – 救いあげてやっただろ、とか)のに、彼女にしてみれば、なんだこの地獄は、でしかなかった、という…(尺には尺って、ひょっとしてこっち?)
雨音のようにずっと鳴っているAsaf Zoharの音楽もすごくよかった。
このあと、ロンドンに戻ってBFI SouthbankでRe-releaseされた”Breakfast Club” (1995)を見ました。
10.01.2025
[theatre] Measure for Measure
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