10.15.2025

[music] Patti Smith

10月13日、月曜日の晩、London Palladiumで見ました。
彼女のデビュー作、“Horses”(1975)の50th Anniversary tourで、英国~ヨーロッパを回ってアメリカにも行くツアーのロンドン2 daysの2日め。

40th Anniversary tourのライブも見たので、50thも行かなきゃ、と思ってどうにかチケットを手に入れたのだが、後になって掘っていくと40thを見た、というのは思いこみで、自分が見たのは2005年の30thの時のライブ(日付は11/30)であることがわかって慄いてしまった。 20年前…  この時の場所はBAM (Brooklyn Academy of Music)で、ベースはFleaで、ギターにはゲストでTom Verlaine(椅子に座った状態だった)が参加していた。

会場にはRamonesからPistolsからDamnedからJohnny ThundersからSiouxsie Siouxまで、パンクのスタンダードががんがんかかっている。 前座なしで20時過ぎに始まって、まずは”Horses”の全曲通しから。 ドラムスは当初アナウンスされていたオリジナルレコーディングメンバーのJay Dee DaughertyからPolar BearのSeb Rochfordに替わっていて、アンサンブルはよりタイトに締まった印象。2023年のライブの時は過去の写真を背後にいろいろ映しだしたりしていたのだが、今回はシンプルな黒で、なんもない。

Patti Smithのライブを最初に見たのは1994年だったか95年だったかのCentral Park(おうちのどこかにポスターがある、はず)で、そこから年末のBowery Ballroomでのお誕生日ライブにも通ったり、しばらく空いた後、2023年は、The NationalのサポートをしたMSGのも見たのだが、おそろしいのは声の厚みというかでっかさがどんどん増して、ダミ声みたいな強さになってきていることだろう。 作家として本も書いて、写真集も出して、じゅうぶん隠居しておかしくない歳と容貌なのに(←偏見)、いったいどういうことなのか。

おもしろかったのは、前もやっていたかどうか定かではないのだが、1曲目の"Gloria"のエンディングを割とあっさり終わらせて、それを”Land”の最後に繋げて延々ぶちかましていたことだろうか。 (レコードのエンディングの”Elegie”は、”Land”の前にもってくる)

50年前、喪失と生への不安を抱えて、自分と世界の間にあるなにか/すべてを奮い立たせるべく解き放った”Horses”が、未だにこれだけの震えと畏れをもたらし、未だに何かを駆動し放出し続けている、その強さしぶとさの驚異をどう受けとめるべきなのか。 伝統芸ぽい落ち着きや風格なんて洗練なんて、微塵もないんだからー。

ここでいったん休憩に入って、20分後、Pattiを除いたバンドが出てきて、75年、CBGBで2ヶ月間一緒にやっていたバンドへのトリビュート、ということで、Televisionの”See No Evil”~”Friction”~”Marquee Moon”をカバーする。ヴォーカルはTony Shanahanがとって、”Marquee Moon”はヴォーカルを抜いた短縮版、ギターはJackson Smithががんばっていたが、うー。

“So You Want to Be a Rock 'n' Roll Star”から再びPattiが入って彼女のスタンダードを。エンディングの”Because the Night”の前には2003年に作った”Peaceable Kingdom”をパレスチナに捧げる(”Free Palestine!” コールが)。

アンコールはJohnny Deppがギターで加わり、Pattiの娘のJessieも入って定番の”People Have the Power”を。 それにしても、JohnnyDはなんであんな得体の知れないくそじじいになってしまったのか。


Refused

10月3日、金曜日の晩、O2 Academy Brixtonで見ました。 パンクで繋げてみる。

あまりきちんと追ってきたバンドではなかったが、解散するというし、サポートがQuicksandだというので。
なのだが嵐が来ていてバスが動いてくれなくて会場に着いた時にはQuicksandは始まっていて、どうにか数曲は見れた。ベースなしで、右左をえんえん引っ掻いて止まらない音の塊りで、こういうのは一日聴いていられる。

Refusedのメンバーは、1993年にオスロに来たLiving Colourを見にいった際、前座をしていたQuicksandを見てほれた、って後で言っていた(そうでしょうとも)。

PAにはパレスチナの旗が貼られて、セットを変えている間、ずっと”Free Palestine!”のコールがかかっている。Pattiのライブもそうだったが、ロンドンは割とずっとこんなふうなんだよ。 背後には極太ゴシック大文字で”THIS IS WHAT OUR RULING CLASS HAS DECIDED WILL BE NORMAL”と書かれたでっかい垂れ幕 - 昨年2月、D.C.のイスラエル大使館前で抗議の焼身自殺をした25歳の軍人Aaron Bushnellが最後に遺した言葉である。

思っていたより複雑によくしなる音構成で、真ん中くらいに”Old School Hardcore”って自嘲ぎみの枠でやった“Circle Pit”とか”Burn It”とかが軽やかに浮いていて、でもどっちもよいのだった。なんでもいいのか? なのだが、これに関してはなんでもいいんだと思う。総力戦、という意味で。

ヴォーカルのDennisが言っていた、学校でも職場でも世の中でおかしい、間違っていると思うことがあったり、辛いことがあったりしたら、声をあげていい、声をあげるべきなんだ、そのために僕たちの音があるってことを忘れないでほしい、っていう辺りが沁みた(”Free Palestine!”の声がさらにでっかくなる)。 改めて「政治的なこと」を嫌忌する「音楽ファン」なんて消えちまえ、って強く思った。

最後の方、背後の垂れ幕が”Umeå HARDCORE REFUSED 1991-2025”に替わって、緩急自在に爆発を繰り返す”New Noise”でのモッシュの荒れっぷりはバルコニーから見ていると壮観で、こればっかりは最後だから許してあげてよいのかも、って思った。

もうRATMもRefusedもいなくなった。でも、戦いは続く。

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