10.06.2025

[film] Happyend (2024)

9月28日、日曜日の昼、Curzon Bloomsburyで見ました。

いくつかのシアターで『何かが大きく変わる予感がする』 - “Something big is about to change”というコピーのついた自動車のひっくり返った看板(ポスターではなく立体の)が置いてある。

監督は”Ryuichi Sakamoto | Opus” (2023)を撮った空音央。邦題も『HAPPYEND』。

幼馴染でずっと親友できたユウタ(栗原颯人)とコウ(日高由起刀)は高校でもつるんで18禁のクラブイベントに行ったりEDMやったり仲間と楽しく過ごしていたのだが偉いんだぞって顔して頭の悪そうな校長(佐野史郎)とか学校にはうんざりしていて、ある晩、校長が自慢している(それしか自慢できるものがなさそうな)車にいたずらしたら激昂して全校にバカみたいな名前(パノプティコンから)の監視システムを敷いてますますやってらんねー、になっていく、そうやって消耗させて支配しようとする大人たちとの終わらない戦いの日々。

学校の外では頻繁に繰り出されるフェイクの地震アラートとそいつをネタに緊急事態条項を成立させようとするやらしい政府(また復活しちゃうね)やそれを下支えする外国人排斥の空気とか、どこかで見た(まだ消えてない)おなじみのうんざりがぷんぷんで、ユウタとコウの周囲にもそれらに同調する連中、反対する連中それぞれがいて、でも目の前の校長のアレだけはカタをつけないといけなくて。

彼らがハッピーエンドになろうがどん底に落ちようがそんなことは割とどうでもよくて、いまの空気や問題の並べかた、それらがどんなふうに日々べったり張りついてきて気持ち悪いものなのか、はよく描けているように思った。けど、他方で、彼らの青春のお話だからしょうがないのかもしれないが、これを彼らの世代の、仲間や友達がいる前提で成り立つようなお話にしてしまってはいけないのではないか。「彼らの物語」にした途端にそれは、というかそれこそが連中の思う壺なんだってば。

思い出したのは、ここから20年ほど遡る『アカルイミライ』 (2003)で、あれも同じように若者たちのどん詰まりを描きつつも、それでも周辺の大人たちも巻きこむ世の中の不穏さ、気持ち悪さに溢れてはいなかっただろうか。あの頃ぜんぜんアカルく見えなかったミライが、あれから20年経ってどうなった?( ⤵︎ )


Breakfast Club (1985)

9月20日、土曜日の晩、Stratford-upon-Avonから戻ってきて、BFI Southbankで見ました。

シアターに入るとSimple Mindsの”Life in a Day” (1979)が流れていてちょっと動揺して倒れそうになる。 高校に通う時いつも聴いていた曲、40数年ぶりに聞いたかも。映画の主題歌の”Don't You (Forget About Me)”と同じバンドのだから、くらいで流していたのだろうが、Simple Mindsの初期はほんとによい曲だらけなんだから。

たぶん見るのは公開当時と、00年代のNYと、今回のが3回目くらいで、今回が一番しみたかも。

折角の土曜日に学校から呼び出しをくらい、親に連れられて学校にきて、"who you think you are"というテーマでエッセイを書くことになった互いをよく知らない 5人の一日を描く。

境遇もばらばら、共通の話題もそんなになく、一致しているのはそんなことをした教師への恨みと学校への嫌悪だけ。 やけくそになっていろいろ吐き出したりぶちまけたり、彼らみんな誰もが自分を理解してくれるとも、理解してほしいとも思っていない。そこから何が起こりうるというのか。最初に見た当時は、なんてスイートな結末、だったが、今見ると彼らがああなっていく過程の不思議なリアルさと、それを実現してしまった脚本、若者たちの演技の見事さに打たれる。

そして、"who you think you are"を改めていまの自分に。

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